サッカーの審判について考える②

前回の続きです。

さてさて、選手をしながら審判資格を更新し、
年に何度か審判を務め続けているうちに
自分の中で明らかに考え方が変わってきていることに気が付きました。

どう変わったか。平たく言えば

より審判をリスペクトするようになった
ミスジャッジに寛容になった

この2点です。

審判へのリスペクトはサッカー人として当然のことだし
寛容になったなんて言うと随分と偉そうに聞こえるかも知れません。

でも、わかっていてもできていなかったんですよね。


社会人になるまでの私は

小1〜高3までの12年間→選手
大学の4年間→サポーター

ざっくりこんな感じ。

もちろん、違う形でサッカーに関わる機会も数多くありましたが
「これがメイン」というものがハッキリしていました。

そして、それぞれの期間を振り返ってみると
選手としての目線、サポーターとしての目線ばかりが先に立って
審判へのリスペクトなんて皆無に等しかったと今では思います。

特にサポーターとしての自分はひどかったですね。
ブーイングや野次は当たり前でしたから...


で、社会人になって一番大きく変わったのが

同時期に複数の立場でサッカーに関わるようになった

ということ。

スクールコーチとして子どもたちに指導をしながら
トップチームの試合ではコールリーダーとして応援
セカンドチームで選手としてプレーをして
それぞれのチームの運営スタッフや広報もやり

その中で、審判資格を取得し
公式戦で主審として笛を吹いたり
副審を務める機会が増えていきました。

同じサッカー、そして同じクラブの中で
様々なことに同時に携わることで

「相手の気持ちがわかる」
という無責任な言葉は安易に使いたくありませんが

少なくとも、誰かがミスをして自分が被害を被ったとしても
(例えば試合中に審判がおかしな判定を下したとしても)

逆の立場で自分も似たような場面に遭遇したことがある分
何も考えずに非難する、ということが極端に減ったんですね。


もしかしたら、
「サッカーを仕事にする」という夢が叶ったこと以上に
この感覚を身につけられたことの方が
今後の長い人生を考えると大きな財産かもしれません。


そんなわけで、若い頃とはまた違った視点で
審判という立場について考えることが増えた私からひとこと。


審判に対する視線、厳しすぎませんか?


例えば、プロの試合で審判が大きなミスジャッジをしようものなら

選手や監督は猛抗議、サポーターからは大ブーイング、
クラブは意見書を提出...
さらにはスポンサーなどのステークホルダーも絡み
審判は四面楚歌状態になります。

でも、そもそも選手だけでは秩序が保てず
試合が成立しないから審判がいるのです。

指導でもプレーでも運営でも応援でも
どこかで何かしらのミスは起こるし、
後悔する場面も多々あるはず。

それなのに、審判だけが完璧・ノーミスを求められる。

試合を裁く立場として、厳しい目で見られるのは仕方ないとは言え
アンフェアだよなと思うことが増えてきたんですよね...


「人間だから誰でもミスをする」
みたいな言葉で片付けるつもりは全くないんですが

同じプレーでも

テレビとスタジアム
スタンドとベンチとピッチ上
選手側と審判側

それぞれで見え方が全然違うということを
頭の片隅でほんの少しでも考えておくだけで
より良い関係性が築けるようになるんじゃないかなと。

そして、少なくとも審判は自分の時間とお金と労力を費やして
ルールを正しく理解し、運用するための努力をしているわけで

ルールを正しく理解していない状態で
選手や監督やサポーターが一方的に文句を言うのはおかしなと。
(元選手、元監督の解説者もまた然り)


現実的に難しいことは承知の上で言いますと

中学生以上の登録選手と
全ての指導者ライセンス保持者には
4級審判資格の取得を義務付けた方が良い!

そう思います。


うまくまとまらず、ダラダラと長くなり
無責任な提言で締めるという駄文を
最後までお読みいただきありがとうございました。


ルール改正についても触れようと思ったのですが
また次回に。

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