特許をとるまでの長い道

もう10年前になりますが着付けに関する便利グッズで特許をとりました。

商品化もされて今現在も販売していますがなんせ、着付けに関する小物なのでそんなに売れませんからぜんぜん儲かってはいませんが(笑)

でも特許をとるなんてことに挑戦した経験は自分の財産になっているかなって思います。10年たった今、どうして特許をとろうと思ったのか?特許をとるまでのすったもんだなんかを記録しておこうと思います。



***お気軽着物塾***

2007年、私は「お気軽着物塾」という着付け教室を開設した。
きっかけは現在離婚協議中の配偶者、つまり夫だ。

娘は小さいころ夜泣きがひどく、2時間おきに火が付いたように泣くので2時間以上続けて寝られない日々が続いた。肉体的にも精神的にもけっこうハードな日々だった。

それ以上にきつかったのは夫の求めだった。夫は夫婦というだけで妻に対して性的なことを強いるのは合法的なことと思う人間だった。(私はレイプだと思っている)

夫はほぼ毎日飲んで夜の12時まわっての帰宅が多かった。
飲んで帰ってくること・・・それはまだいい。
本当に嫌だったことは体を求めてくることだった。

「内臓くさってんじゃねぇの?」ってくらい臭い酒とたばこがまじった口臭を放ちながら寝ている私のからだを触ってくる。

私は2時間しか寝られないのだ。2時間後には泣き叫ぶ娘の相手を泣き止むまでしなければならないのだ。そんな貴重な私の睡眠時間なのになぜ起こされなければならないのだろう?なぜ無理やり起こされてそんな酒で発つ力さえないお粗末なモノを押し付けられなきゃならないんだろう?

怒りと悔しさと情けなさといろんな感情が入り混じって涙がぽろぽろこぼれた。

そんなある晩、「セックスしないなら夫婦じゃない。同居人だ。同居人なら生活費半分支払って」と言ってきた。

驚いた。驚いたけど

「あ、生活費を半分払ったらセックスしなくていいんだ」と思ったらスッと気が楽になった。それなら働こう。

そこからいろんなことが動き出した。
まず息子と娘を入れるために保育所を探した。幸い近所の保育所に空きがありお店をやっている伯母に勤務証明書を書いてもらいすぐに入所できた。伯母のところでお手伝いをしながらガッツリ稼げる働き口を探したが保育所ではすぐに風邪をうつされたりする。ある程度時間の融通がきく仕事で、なるべく時給のいい仕事はないかと探した。

ホテルの宴会営業の仕事がみつかった。自分の都合のいい時間にホテルの宴会のパンフレットをもってルート営業&飛び込み営業をするパートで当時時給1000円だった。他にも地域新聞を配るポスティングの仕事をした。これも自分の都合のよい時間に配ることができるのでこちらは収入は低かったがかけ持つことにした。
保育所に行くことで保育所の先生に夜泣きのことなど相談することができ、気分的に楽になった。娘は保育所で体を動かすことにより疲れるようで続けて寝るようになってきた。私は仕事を通して社会とつながり母親じゃない自分の時間ができることでリフレッシュできた。そうやって生活費の半分を稼げるようになった。

そんなある日、夫が言った。
「パートするのはいいけど扶養から外れるなよ」と。
生活費の半分稼げ、でも扶養からはずれるな。扶養から外れないってことは月8万くらいしか稼いじゃだめってこと・・・。でも8万じゃ生活費の半分にはならないな~。本当に意地悪な男だと思った。

そんなときに1冊の本にであった。

沢木遥さん著「幸せ力をつけるお金持ち練習帳」

この本に夫の意地悪な難題を解決するヒントが書いてあった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?