命を前にして

9月10日、ねこの調子が急に悪くなった。何度も吐いて、いつもと様子が違ったので翌日動物病院に行った。薬をもらって、その後、食欲も水飲みも調子が戻ってきたが、血液検査の結果は腎不全ステージ4の数値だった。
3週間薬を飲んだら、数値が劇的によくなったので、なにか一時的なものだったのか?(知らぬ間の誤飲かなにか?)先生も驚いていた。だけど老いてきていることと、腎臓の状態も悪くなってきていることには変わりないので引き続き薬は飲むことになった。
10月はそれほど大きな変化もなく過ごしていた。ドライフードは病院でサンプルをもらった腎臓サポートのものに切り替えた。食べる量は以前より減った。
11月13日の血液検査でも数値は改善、気をつける必要はあるものの、そんなに大きな問題もなさそうだった。引き続き腎臓の薬と、新たにサプリメントが出された。
11月21日に義実家に1泊。今まで2泊3日くらいの留守番はOKねこだったが、心配だったので1泊で戻った。問題なかったが、ごはんをほとんど食べていなかった。その後、全くドライフードのごはんを食べなくなってしまう。ちゅーるは食べていたので薬やサプリメントは混ぜて飲ませることができた。水はやたらと飲んでいて、蛇口の水も飲みたがるようになっていた。おしっこの回数も多い。ドライフードを食べなくなったので、ウエットフードをあげてみるも、最初は少しは食べていたが途中から全く食べなくなり、12月7日ごろにはどのタイプのごはんも食べずちゅーるも残すように。それまでやたらと飲みたがっていた水もあまり飲まなくなってきて、目に見えて終わりに近づいていく予感がした。12月8日まではイスを経由して窓際にのぼる力があったが、それ以降はイスにもジャンプできなくなっていた。
そういえばいつの間にか毛繕いもしなくなっていたし、喉も鳴らさなくなった。いままで全く獣臭がしなくていい匂いのねこだったけど、1ヶ月前くらいから、匂うようになってきていた。12月に入ってからはかなり体の匂いがキツくなっていた。ガリガリに痩せて、抱き上げるたびにせつなかった。
0歳の赤子は、ねこが近づくたびにギャハハと笑って追いかけて触ろうとしていたのに、あまりねこに近づかなくなったし、ねこのほうも赤子に近づかなくなっていた。
なんとなく終わりが近い予感はしていた。病院に行くのはやめて、家でゆったり好きなように過ごしてもらおうと決めたものの、秒でゆらゆらに揺らぐ。それは自分のエゴであって本当にねこのためなのだろうかとも思う。考えても考えても答えはでない。病院に連れていったら連れていったで「無理させないで家でゆっくりさせればよかった」と思うだろうし、家でゆっくりさせてたら「病院行ってればまだやれることあったかもしれない」と、どっちにしろ後悔はあるだろう。
12月11日、歩くのもフラフラでよろけたりしていたけど、どこか安らいでるように思えた。もう全く何も食べないけど、何も出さないのも悲しいので毎日ごはんを出した。スーパーやドラッグストアのペットフード売り場を見ると涙が出てくる。これあげたら喜ぶかなと思いながらちゅーるを選んだりしていた日々が懐かしい、そういうことももうないのか...。ちゅーるはたまのご褒美だったけど、あんなに夢中で食べていた時を思い出すと、もっとあげればよかったと悲しくなった。
12月12日、午前中赤子を児童館連れていって帰ってきたらトイレの隅でうずくまっていた。日向ぼっこさせてあげようと思って抱いて移動させたけど、ほんとは暗いところにいたいのだろうか。数日全然鳴いてなくて、もう鳴かないのか?と思ったら、夜に、オアーンオアーンと変な低い声で連続して鳴いた。そしてヨロヨロ倒れながらオイルヒーターの横まできた(ついてないのに...)そんなに寒くないけどヒーターをつけた。地べたにべったり倒れていたけど、爪研ぎを置いたらノロノロと入った。夜中、爪研ぎから出て、すぐそばで寝ていたわたしの顔の横にきて倒れるように寝ていた。
12月13日、とても良い天気の日だった。朝から家族3人で、ねこもみんながいるテーブルの下で横になっていた。もうほとんど動けないから、日が当たるところに何度か移動してあげた。朝から何度もビクビクと体を震わせていて、赤子がおもちゃで遊ぶ音にもビクビクしていたので、ストレスになるかと思い、午後13時過ぎ、少しひとりにしてあげようと思って赤子連れてを3人で30分ほど散歩に出た。散歩から戻って、また日の当たる場所に少し移動。口やお尻から体液が漏れているのに気づいて、下にペットシーツを敷いた。
日向ぼっこできる場所で横にさせたまま、しばらく赤子と遊びつつ様子を見ていたが、なんだか急に様子がおかしくなった。鳴き声?息?が詰まるような感じで発していて、口から舌が出て曲がって硬直していくような。ああ、もう終わると思った。夫を呼んで、見守った。ありがとうと何度も伝えた。最後の瞬間は、魂の終わりというか、魂がどこか別のところに移動していくのを見ているような感じだった。濡れた布を絞り切るように、最後のほんの数滴まで、出し尽くして、命はこうやって絶えていくんだな...。
今まで、目の前で人や生き物が死んでいく様子を目の当たりにしたことがなかった。死んでもなお、生きている時と同じように、きれいでとてもかわいいままだった。
最期を看取ったあとしばらくして夫が、赤子を連れて散歩に出てくれたので、ねことの時間を過ごせた。目をうまく閉じてあげられなかったけど、そのままのほうが、凛としている感じで素敵だったので、そのまましっかり目を開いたままにした。体液や口の周りを拭いて、ブラシで体をきれいにした。赤子と散歩に出た夫が花を買ってくれて、ねこが横たわる箱に飾って華やかにした。ねこの体の下に入れた保冷剤を何度も交換しながら、1日、その体で最後の時間を過ごして、翌日の夕方には火葬された。

12月に入って、終わりが近いかもしれないと予感していたときに、悲しいけどあらかじめ火葬のことなど調べて夫に情報共有と希望を事前に伝えておいた。わたしは喪失感で身体中の細胞が地面に落っこちてしまったかのような無力感だったので、事前にそうしておいてよかった。夫が諸々手配してくれたのと、たまたま義両親が翌日くることになっていたので、赤子を見てもらっている間に、最後の別れを済ませた。ほんとは自分の手で、盛大に燃やしてあげたかったけど、ここでそれは叶わない。都会のペット火葬はなんとも味気ないものだった。火葬車の中で1時間ほど火葬して、そのまま車の後ろ、路上でお骨上げという。骨はたいへん美しく残った。こんなに小さいものなのか...。鍵しっぽの骨も美しく立派だった。

これでよかったのだろうか、ねこは幸せだったのだろうか。ほんとはもっとこうして欲しいとか、病院に連れていって欲しいとかねこが思っていたかも知れないし、なにかやれることがあったんじゃないかと、いまだに思う。赤子が生まれてから、以前ほどかまってあげられてなかったし、狭い部屋で赤子の鳴き声がストレスになっていたなっていたのかもしれない。もう何もかも終わったあとで、いくらでも「〜かもしれない」が出てくるけど、何もかも無意味、ただ心をすり減らすだけだから考えても無駄なのに。

部屋のそこらじゅうにまだねこの残像が残っていて、カーテンに毛がついたままだったり、窓のサッシから爪が出てきたりする。TSUTAYAの袋や普段使っている黒いサコッシュを、一瞬ねこと見間違える。
年があけてから、猫トイレやキャリーケースを粗大ゴミへ。その他の普段使っていた物たちは、いろいろ残しておきたい気持ちもあったけど、そんなのは無意味だとも思った。ごはんを食べるのに使っていた猫用の陶器だけ残して、未開封の療養食や水を飲んでいた陶器はメルカリにだしてすぐに売れた。レデッカーの猫ブラシは残しておきたかったけど、やっぱり無意味だ、と思って結局捨てた。あのブラシで気持ちよさそうにブラッシングされている姿を思い出すと悲しい。骨と写真と、いままでに友人たちが描いたり作ってくれたねこの絵やものを飾った。

なんの生産性もなくてただただくつろいでいるだけの生き物が部屋の中にいる、という安心感に、ずっと救われていた。単純にただそこに存在しているだけっていうのは、人間にはできないことだから。この社会の中で生きていくのに、何かしらややこしいことに絡まっているのが人間だから、「ただいるだけ」の尊さを、人間以外の生き物に見ることで常に感じていたのかもしれない。
ねこがいなくなってすごく寂しい。それでも毎日バタバタしていて、生活が進んでいく。ねこがいなくても、毎日は滞りなく進んでいく。それもまた寂しい。ふとしたときにさみしい。今どこにいるんだろう。なんの期待も見返りもなく、ただあのふわふわした体に触って、それでいいと思える日々はもう終わってしまったんだ。


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