回想
2020年10月、最近、飛び降り自殺した男子高校生の巻き添えで女子大生が死亡したニュースを知った。
2017年6月2日木曜日、仕事が休みだったので昼間、上野でバベル展を見て、夕方は職場の同僚のY田さんと田端の駅前で寿司を食べて、20時半ごろに住んでいる家の最寄り駅に着き、駅から家に帰る途中のセブンイレブンで荷物を発送するための伝票を1枚もらって(レジで少し待った)、それからコンビニを出て歩き始め、クリーニング屋を越えて、右手に床屋のあるあたり、文字通り目の前、ほんの数メートル、2メートルくらいか?ドサっと大きな音を立てて、上から人が落っこちてきた。若い女の人だった。
瞬間、背中と胸のあたりから地面にぶわっと血が溢れだしてきて、わたしはすぐその場に崩れて座り込んでしまったからそこから一歩も近づかなかった。後ろを歩いていたサラリーマンがすぐ声をかけてくれて、冷静に警察に携帯で連絡をしていた。一番近くにいたのはわたしだったが、道の反対側や周辺にも人がいたので、そのサラリーマン以外にも何人かが同時に警察に電話をかけたようだった(と、あとから警官が言っていた)もう1人、後ろからきた若い女の人が声をかけてくれて、わたしの側にいてくれた。
平日の帰宅時間帯だったので、人通りはそれなりにあり、塾や部活の帰りか?小学生や中学生も通りにいた。だんだん人が集まってきて、警察や救急車がきて、わたしは一番近くの目撃者だったので警察にいろいろ聞かれた。といっても大したことは答えられない。ただ目の前に人が落っこちてきたのを目の当たりにしたにすぎない、その人が誰かも知らないし、上から落っこちてきて、血が溢れ出てきたくらいのことしかわからない。裸足だった。
警察はすごく段取りが悪かった。野次馬がどんどん集まってきて、子供だっているのにいつまでも交通規制をしないから、通りにいた野次馬の男性に「さっさと道をふさげ、子供がいるだろ!」など怒鳴られてやっと規制を始めていた。聴取のやり方も効率が悪く腹立たしくて、最初の警官に話を聞かれ、免許証の提示も求められたのでそのようにしたが、また別の警官がきて同じことを聞いて、さらに、このあと刑事の人がくるから同じことを話してと言われたのでその人がきたらまた話して、最後にまた違う警官がきて同じようなことを聞くので、もう何人にも同じことを話したと言って最後の警官にはちゃんと話さなかった。その警官はそれ以上聞いてこなかった。警官みんなそれぞれがその場でなんとなく仕事するふりでそんなことしてるのかと思って、すごくばかばかしかったと覚えてる。
警官にいろいろ聞かれたりしている間に、動揺していたわたしを女の人が側で介抱してくれて、コンビニでペットボトルの水も買ってきてくれた。ひとしきり聴取が終わったところで、家の近くまでその女性が送ってくれた。若くて長い髪の毛だった気がする。もうあまり覚えていないけど親切な女性だった。
このときちょうど夫は友達の結婚式でハワイに行っていたため、数日間わたしは1人だった。家に帰ってまだ動揺していた。部屋の窓を開けてしばらくすると、外を歩いていた中学生?高校生?の女子たちが、さっきの自殺現場の話をしているのが聞こえてきた。わたしの住んでいるあたりの住民はみんなあの道を通ってくるから、まあそうなるだろう。
心臓がバクバクしたままだった。上から人が落ちてきた瞬間の、あの音、映画でみるような血の溢れ出し方、横顔。
何の前触れもなく突然目の当たりにした他人の自死行為に、全部意識をもっていかれた。思うのは、なんで?という疑問ばかり。誰かもわからないし、なぜそんなことをしたのかもわからない。考えてもわからない他人のことをそれから数ヶ月ずっと、否応にも考えさせられるはめになる。
1人でいられなくなった。せっかく海外に行っている夫に心配をかけたくない思いもあったが、でも1人でいるのも今日は無理だ。もう22時近く、平日のこの時間に突然泊まりに行けるような友人も近くにはいない。実家も他県なのでいまからは帰れない。結局、恥を忍んで義母に連絡した。義父と義母がわざわざ車で迎えにきてくれて、金・土曜日の2日間泊まらせてもらい、そのあと日曜の夜に高速バスで実家に帰った。夫に心配をかけたくなかったので、義両親にも黙っていてもらい、普通に何事もなかったように夫とはLINEしていた。日曜の夜に高速バスに乗っている時に、夫から今電話していいかと連絡が来たので、夫も月曜には帰ってくるし、わたしも実家には1泊だけして夫の帰国に合わせて帰るつもりだったので、いま実は実家に帰るバスの中だということと今回のことをLINEで伝えた。夫は多分何も知らなかったようですごく心配していたので、義両親も黙ってくれていたのだろう。
実家では草むしりなど家のことをして過ごした。父はデリカシーがなく(楽観的に慰めようとしたのかもしれないが)、父自身も文筆家なので「こんな経験は滅多にできることじゃないぞ!文章に残しておいたほうがいい」などと言っていた。(その後も、父のその言葉はずっと片隅にあったので、いつかそうしようと思っていて、今回書いているが)
その日の夜にはまた高速バスで東京に戻り、ハワイから戻ってきた夫と新宿で落ち合うことにし(わたしの方が早く着いたのでルミネの本屋で時間を潰した)、小田急線各駅のホームで待ち合わせ、代々木八幡の福包で餃子を食べて、家に帰った。火曜日からは仕事に行った。
そのあとのことは知らない。女の人が助かったのか、死んだのかわからない。時間が解決してくれたが、その後数ヶ月は目を閉じるとその女性の落ちてきた瞬間がまぶたの裏に映り続けて悩まされる。仕事をしていたほうが気が紛れると思い頑張って仕事をしていたが、仕事中も心臓のバクバクが止まらないのと、女の人が落ちてきた瞬間がまぶたの裏に張り付いてるのには参った。ずっと一生、他人の死の願望が自分の眼球にまとわりついたまま離れなかったらどうしようかと思った。自分は何も悪くないし関係ないのに、たまたま居合わせただけで、謎の罪悪感が付きまとっていた。
ネットニュースやTwitterなど色々検索してみたが、どうやらその自殺はどこにもとりあげられていないようだった。よく自殺のニュースはみるけど、とりあげられないものも中にはあるんだろうか。そういう死が、世の中にはたくさん転がってるんだろう。いや、もしかしたら助かったからニュースにはならなかったのかもしれないし。それならそれで良い。
しばらくはその道も通れなかったので、ものすごく遠回りをして駅まで向かうはめになった。何ヶ月か経ってやっとその道を通ってみたときには、もうその出来事の面影は全くなく、ただの道、誰も何も気に留めずそこを踏んで歩いている。わたしだけが、その痕跡を避けて歩く。
日々忙しく過ごして(仕事くらいしかしてないけど)時間が経って、その出来事はだんだん常にはまとわりつかなくなっていったが、去年、今の家に引っ越したあと、夜、部屋の窓からマンションの別棟の屋上に人が立っているのが見えて、その時は突然ものすごく怖くなって腰が抜けて泣いて動揺してしまった。(マンションの住民が屋上に忍び込んで酒を飲んでいただけだった)
それ以外はその後何事もなく、ただ時々ふと思い出してはぞっとする。
飛び降り自殺した男子高校生の巻き添えで女子大生が死亡したニュースを知ってあの時のことを思い返したら、わたしの目の前に落ちてきた女の人は、下にいる人間のことなんて考えてなかった思う。もし考えていたとしたら、まだ帰宅時間で人通りの多いあんな時間帯を選ばないだろう。わたしはあそこを歩いていたし、ほんの数秒タイミングが違っていたら、わたしや、後ろにいたサラリーマンにぶつかっていたかもしれないわけだし。今回のニュースの、亡くなった女子大生は心底気の毒だが、あんな場所や時間帯を選んだ男子高校生も、下にいる人間のことは考えていなかったと思う。そしてそれほどの思考になるような自死の理由が、その男子高校生にも、あのときわたしの目の前に落ちてきた女の人にもあったんだ。それだけがわたしに分かっていることで、それ以外のことは全くわからない。
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