『(Life is like a) sweets dish!』の私的解釈、追想

これは何?

『とかげ復活祭』に参加し、『とかげ復活祭 あとがき』を読んで、「歌詞の意味是非聞きたい~」となったので、いきなり答え合わせする前に私見を残しておこう、と思いここに記しておきます。

(花丸さん以外でここに来てしまった方へ)
花丸さんのあとがきはこちら↓

ここで言っている、『とかげ復活祭』のエンディングムービーに使われた楽曲『(Life is like a) sweets dish!』はこちら↓

前置きとして、私自身は音楽を義務教育以外であまり関わりを持たなかったので音楽素養は低めです。イベント参加できてよかった~すげー曲流れる場面に居合わせることができてよかった~と感動した、一ファンの主観で書き綴った解釈、追想としてご笑覧ください。

勢いで書きたいので口語が混じります。
また、正しく文章を書くと色んなところに(と、私は思っています)が挟まって冗長になるので、ある程度省いたり、断言した書き方になっています。

わかりやすいように、曲の区切りで番号を振って一つづつ書いていきます。

[1]ぶどう味?メロン味?

今日はどんな味がする日になるかな
焦げた味 苦い味ちょっと
うまくいかない日もきっとあるの

(Life is like a) sweets dish!

初手でいきなりぶっこまれた~
普通、「音は耳で聞くもの」「味は舌で味わうもの」の常識を破り、両耳にぶどうとメロンをぶっこまれました。現状のVR機器で実装されてない味覚、それを初手、駄菓子によく採用されるわかりやすい明確な「ぶどう味」「メロン味」をぶっこむことで味を錯覚し、「え、今から何があるの?!」と軽いパニックになり、イベント終わったかな~の雰囲気から引き戻され、再びイベントの世界観に引き込まれました。
これは、VRイベントならではの効果的な初手だな~と思いました。

で、わかりやすい味ならぶどうよりイチゴの方が記号的では?味や色の対比でもイチゴメロンでよさそうだし…とこの時点では思うのですが、[7]でイチゴよりぶどうの方が意味があってた理由が出てきます。

「〽焦げた味 苦い味」
そして次は、耳から味わう味覚への攻撃第2波。最初のぶどう、メロンと合わせて、色々な味のバリエーションをこの[1]で味わい、「味についての歌詞が続きそうだよ~」と親切に導入してくれます。

また、前半はポジティブな味、後半はネガティブな味、と、これは花丸さんがあとがきでおっしゃってた、『(Life is like a) sweets dish!』に込めた気持ち
「人生いいことばかりじゃないし辛い目にあうこともある(からこそ強がって平らげてしまおうぜ)」
が現れてて、この対比構造が他にも色んなところに込められています。
また、前半にジューシーな生フルーツを持ってきていることにより、焦げた味苦い味がキャラメル・チョコのような美味しい意味で言ってなさそう、という方に誘導してます。

[2]サクッとしたり フワッとしたり

でも虫歯になんかはなりたくないよ
だって私ピカっとしたtooth
笑ってたいから

(Life is like a) sweets dish!

[1]でいろんな味を味わったと思ったら、[2]では口当たり、舌触り、歯ごたえ攻め!しっかり味に集中させに来ています。
サクッフワッという焼き菓子連想ワードは、『Sweets Dishǃ』に入った時に感じる「甘味処に入った時、これから何か甘いものを食べることができるという未来への期待からなる、舌を経由しない錯覚による甘味」というとかげさんのワールド意図をこの曲でも感じてほしい、ということなんではないでしょうか。

「〽だって私ピカっとしたtooth 笑ってたいから」
ここで泣かされました。
イベント中は正直ちゃんと歌詞は聴こえずなんかよくわからんけどええやん!となって感涙してたのですが、改めてみるとこれはとかげさんのあのニコニコご尊顔DJプレイを想起させますし、笑えなかった未来もあったかもしれないけど、この歌詞の視点(とかげさんニュアンスを含ませたAさん)の祈り通り、また、作詞者花丸さんの祈り通り、今ここに本人が笑っていられてよかったな、ということを現しています。

[3]君のことを待っていたよ

この広いお皿の中で
他愛もないそんな日常に
カロリーをもっとちょうだい!
おまじないが効かなくても
甘い思いができなくても
手を合わせたい
どんな味も抱きしめてもう一度

(Life is like a) sweets dish!

ここで視点変更。ラブソングとして捉えると、[1][2]はとかげさんニュアンスを含ませたAさん視点、[3]はその相手のBさん視点…
と、この段階では考えましたが、[7]でこれがミスリードだったことが分かります。
歌詞の内容はストレートなのではないでしょうか。無理やり何かこじつけたいわけではないし、何回聴き直してもふんふ~んてなってほのぼのするばかりなので、そのまま読み進め、後の答え合わせを聞くことにします。

[4]マルターゼ?ラクターゼ?

何も私自分のことなんてわからない
「遊ぼうぜ」 「騒ごうぜ」
きっと君のことがわかれば充分だもの

(Life is like a) sweets dish!

ここすき。
再びAさん視点に変更。
で、なんとなく気に入ってこの箇所の歌詞を含めてリツイートしていましたが、改めて咀嚼すると、[4][5]と合わせてマジで良い~。
「マルターゼ」「ラクターゼ」が分からないのでググると

  • マルターゼ…炭水化物の分解酵素の一種。だ液・すい液・腸液の中に含まれている。

  • ラクターゼ…炭水化物の分解酵素の一種。乳糖(ラクトース)を加水分解する。腸液の中に含まれている。

ということでした。ただ、ここではマルターゼ、ラクターゼの単語の意味はなくて、その次の歌詞でストレートにそのまま説明されています。

「腹の中で常時起こっている自分の事なのに、調べてもよくわからない目では見えないもの(転じて不安)」と、
「Bさんの、フランクで率直な楽しげな言葉、その振る舞いを見て理解するBさんの人となり、それで得る充足感」が対比されています。
ここでBさんの話し言葉をちょっとガサツ寄りにすることで、「Aさんとその相手のBさん」という登場人物像をミスリードさせ、[7]で伏線回収されます。

[5]ザクっとしたり カリッとしたり

口の中傷ついたカケラでさえも
ちゃんと私まるっと飲み込んで
笑ってみせたい

(Life is like a) sweets dish!

ザクッカリッはポジティブワード…と読み進めていたら、ネガティブを堪えるターンでした。

深読みすると、口当たり、舌触り、歯ごたえのことは料理本ではよく「テクスチャ―」という用語で説明されます。
テクスチャ―という単語はVRChatユーザーにはマテリアルに貼り付ける画像ファイルとして馴染み深いものです。
ここで歌詞で言及されているのは口の中。そして、軽量化を好むVRChatユーザーは、口の中のテクスチャーは当然の如く、前面のみで裏面には貼り付けない。
つまりこれは、「言葉に裏表がない(口内のテクスチャーに裏面がない)」「二枚舌ではない(1枚しか貼っていない)」ことを表し、そのような気持ちのいい人格者Aさん(とかげさん)を表しているのではないでしょうか。

ここは妄想が過ぎる気がしますが、せっかくなので書き残しておきます。

[6]君と僕で何を作ろう

期待したい味覚革命
気分次第でレシピなしで
知らない味にしよう
はじける夢シナプスまで
この思い味蕾に乗せて
伝えたいよ
君といれば幸せだってずっと

(Life is like a) sweets dish!

視点は変わってBさん視点。
ミスリードしそうになる歌詞の読み所といえば、BさんもAさんのことを同じ二人称である「君」で呼んで、「きみとぼく(この歌詞の中の登場人物は2人)」だけのセカイ系に見せ、歌詞も一気に甘々で登場人物2人だけに誘導しているように見えるところでしょうか。[7]でこのミスリードの伏線は回収されます。

表. 登場人物の一人称、二人称

ここも、上記以外は素直に何回聴いてもよい~となってそれ以外の考察が沸き起こって来ないので、後の答え合わせを楽しみにすることにします。

[7]色んなものを食べてみても

満たされても僕らすぐに
腹ペコなのだからずっと
おいしい夢を見よう
一緒に遊ぼうもっと

(Life is like a) sweets dish!

前述の伏線が回収されました。
ここまでずっと「ラブソングと捉えて登場人物はAさんとBさんで、登場人物は2人だけ」と読み進めてきましたがミスリードに引っかかってました。
上記ミスリードの世界観だと、この時の違和感が凄い。
登場人物2人だけだとどんだけ食ってんだよってちょっと食い過ぎっぽく感じるし、今までのこの曲のイメージと異なる気がします。

そうです。登場人物は2人ではなく、「とかげさん」と、「とかげさんを迎えるみんな」だったのです。「僕たち」ではなく「僕ら」という言い回しも、2人だけよりもっと沢山の人数を想起させます。
「Bさん1人」ではなく「とかげさんを迎えるみんな」と捉えると、歌詞そのまま、色々食べて満腹ですぐ腹ペコでまた食べに行こう!もっと遊びに行こう!っていうのが素直にイメージできると思います。
『Sweets Dishǃ』の、空間が開け気持ちのいい太陽光が差し込む高低差があるワールドは、2人きりのデートというよりはもっと大人数でワイワイ遊べる雰囲気を醸し出していて、この歌詞も『Sweets Dishǃ』のワールド意図を大事に含ませている、と思います。

[1]でイチゴではなくぶどうだった理由もこれです。
「鈴なりのぶどう=多」 と、 「1玉のメロン=単」の対比だったのです。普段手に取るイチゴは鈴なりにはなってないし、ショートケーキの上にのっかる1粒のように、単体のイメージが強いと思います。
「とかげさん」と、「とかげさんを迎えるみんな」を込めた歌詞だからこそ、その対比にうまくマッチするぶどうを選んだのではないでしょうか。

[8]君のことを待っていたよ

この広いお皿の中で
他愛もないそんな日常に
カロリーをもっとちょうだい!
おまじないが効かなくても
甘い思いができなくても
手を合わせたい
どんな味も抱きしめてもう一度

(Life is like a) sweets dish!

ミスリードから解かれた所で、この歌詞を「とかげさんを迎えるみんな」の視点として読むと、同じ歌詞がもっと賑やかに、晴れ晴れしく読めるのではないでしょうか。
ちょっと曇らせる箇所もありますが、手を合わせて全部食べちゃいましょう。

2度目の同じ歌詞「手を合わせたい」は、いただきますなのでしょうか?ごちそうさまなのでしょうか?祈りなのでしょうか?
自分は、いただきますだと思いました。
「だって私ピカっとしたtooth 笑ってたいから」で祈りは済ませていますし、その祈りは既に叶っています。
「満たされても僕らすぐに腹ペコなのだから」2回目だからといってごちそうさまでもないかなと思います。
花丸さんがあとがきでおっしゃってた「強がって平らげてしまおうぜ」という意気込みのいただきますで、この歌詞を締めたのだと思います。

最後に

おつかれさまでした。ここまで長々と読んで頂きありがとうございました。

それでは一晩寝かせて、アウトではないことを確認して投下します。

-おわり-


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