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私たちが持っているものはみな、身悶えした末に蝶に変わらなければならない

私たちが持っているものはみな − 私たちは芋虫のようなものだから − 身悶えした末に蝶に変わらなければならない。何も捨て去ってはいけない。受けとってきたものは宝なんだ。去勢したり一部を削除する必要はない。与えられてきたものを豊かにし、変異(ミューテート)させなければならない。
「サイコマジック」アレハンドロ・ホドロフスキー


人は変われる。

そう信じたい気持ちと、簡単には変われないという揺らぎの中を長い間過ごしてきた。

人は変われる、この言葉に真実の一片を感じながらも、疑り深い私は本当にそうだろうか、と何度も自分に問い直し、変わらないように見える自分に忍耐づよく突破口を見つけようとした。

地域、言語、家族などの環境による枠組みに誰もが囚われているけれど、その限界から突破しなければ、変わることはできない。

仕事を辞めるとか、引っ越すとか、結婚・離婚など、形の上でのことを言っているのではない。心の変容についての話だ。

自由に生きる道を模索しながら、自己の激しい抵抗を目の当たりにして怯むこともあれば、見ないふりをしてフリーズすることもあった。

変わりたいと言いながらひと時の安堵のために既存の枠組みの中で解決策を見つけ、「癒された」と言う人たちに苛立ちを感じることもあった。

その苛立ちはミューテートできていないと思い込んでいる自分自身に対する苛立ちだった。でもそれは実は起こっていた。少しずつ、でも気づいたら、確かに。

自由を求めるなら、自分を縛っているものを自覚すること。
アレハンドロ・ホドロフスキー


自分は変われないと言い張る人は結局、自分を縛っているものに対峙できないのだ。不安が大きくて冷静になれない。原因はその人が抱える傷の大きさではなく、思い込みの強さだ。こういったことは誰にでもあるし、ジャッジするようなことではない。

ただ、そういう状況が長引くと、人はタロットに未来を当ててくれと依頼するようになる。自分は変わるつもりはないのだから、この先どうなるか教えてくれと乞う。自分には未来を変える力がないと信じている。

本当はタロットは、私たちに想像以上の可能性と力があることを見せてくれるものなのに。

タロットを「未来を当てるためのもの」と限定するならば、その学びは自己を閉じ込めるものになる。タロットを「自己を発展させるもの」として扱うならば、終わりのない探求になる。




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