地域の図書館に本を投げつける

そもそもの発端はアキーラが本を送りつけてきたことだ。

そうだ、アキーラが悪い。
ボクはちゃんと自分でも買ってあったんだ。でも、アキーラはそれを送りつけてきた。
ダブった本をどうしようかと考えて、考えて考えて考え抜いた結果、紫波町図書館へと1冊引き取ってもらった。(投げつけた。)

その後も、podcast番組『いんよう!』から生まれた同人誌の文庫版『まちカドかがく』を投げつけてみたり、SNS医療のカタチのお医者さんたちが書いた本を投げつけてみたり、いろいろ投げつけてみたが、今回とうとうマンガ本を投げつけてみようと試みた。
図書館に行ってみたら、「学習漫画フェア」を展開していたので、これだ!と思ったのだ。
とはいえ、やはり、何でもかんでも受け付けてもらえるということではなく、一定の基準を満たすものでないとならないらしい。具体的には

 マンガに関しては、収集基準にあわせて選んでいます。
 例えば「完結しているもの」「評価が定まっているもの(マンガ大賞等受賞している)」 
「中高生の学習マンガ」
「紫波町に関連する」など、最低限の基準があります。

とのことだった。ので、今回投げつけチャレンジをしたのはおかざき真里さんの『阿吽』
最澄と空海の2人を主人公とした、古代日本で国家を統治するシステムとしての仏教ではなく、衆生救済のための仏教を萌芽させるために奔走する物語で、ストーリーも大変美しいが、何よりビジュアルが圧倒的に美しい。

完結はしている。文化庁メディア芸術祭やマンガ大賞で入賞まではいかないまでも度々選考に入っていた。学習漫画フェアの名簿にあがってた。紫波町に関連…坂上田村麻呂とアテルイがチラッと出てくる。どうでしょう?
ということで投げつけてみたところ、
「紫波町の中高図書館で巡回することになるだろう。」とのこと。良いではないか、中高の時に最長と空海の目指したものとか、奈良時代末期の遷都のゴタゴタとか、唐の華やかさとか、呪いとかが実際信じられていた世界観とか、8世紀後半の日本に触れられるのは古典や日本史の理解に大いに役立つはずだ。

そして、もののついでに、いや、ほんと、話の弾みに、もう1冊「こんなのはどうでしょう?」と取り出してみた。

『グッバイ、ドン・グリーズ!』
のイラストたっぷりの小説版とコミカライズ版である。あ、2冊だ。
もう、劇場で何回か観てどハマりしましてね。
すると、当然聞かれるんですよね。

「この作品のどういうところが「学習本』としてふさわしいと思われたのですか?」

…考えてなかったぁ
言いたいことはいっぱいある。喋れることもいっぱいある。ただ、「学習本メガネ」を用意してなかった!
そしてなにより、岩手県紫波町全く関係ない!舞台は千葉県の田舎です。
もはやしどろもどろに何を話したのか分からなくなっているが、とにかく、小学校の頃からクラスで浮いていたロウマとトトの2人はドン・グリーズという名前の2人だけの空間を持っていて、高校1年の夏に、スタンドバイミー的なひと夏の冒険を共有した、ドロップとの出会いと別れを通じて、ドロップの生き方に触れたロウマとトトが今を生きる意味を考え始めて、セカイとのつながりを実感する。そして、小さな間違いだらけで、ちっとも進まなかった2人の、その間違いがいっぺんに祝福へとひっくり返って、それぞれの未来へと向かいはじめる瞬間を…
劇場で観てほしかったぁ…!
コミカライズ版は単行本サイズ1冊にまとめられていて、ごそっとエピソードを削ったダイジェスト版のような感じだし、小説版は十分いいんだけど、ボクは劇場版観た後の補足として読んで脳内映像を反芻しながら楽しんだのだけれど、初見だとどうなんだろう?
くそぅ、円盤化が待ち遠しい。
とりあえず2冊を紫波町図書館の児童文学担当司書さんに預けて判断を委ねることになった。

ん、振り返ってみると、地域の図書館に推しを投げつけに行っていた。ということになる。
ちょっと、迷惑、かな?
ま、こんな楽しみ方をするヤツがいても許容される、いやぁ、いい図書館ですよ。紫波町図書館は。ええ。

いや、でもやっぱり、そもそもの発端はアキーラで…
そういえば、この間、アキーラが突然紫波町へとやって来ていたな。学生を引き連れて紫波町へとやってくるきっかけになった人のお葬式に参列するとか。何やら1度倒れて入院して生死を彷徨ったみたいなことを言っていた。歩き方が以前と違っていたから、その辺りはそういうことなのだろう。それでも大人しくならないあたりがとてもアキーラらしい。最期まで自分の納得できるように動き回ってほしいものだと思いながら、まだ寒々としている3月の朝、温泉に浸かってから帰るというその後ろ姿を見送った。

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