不義理な男

これは今さっきの話。こう言うのを書くのがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど、父親に似て詩を書くのが好きみたいだから書くぜ。

俺が父親と仲悪かったのは蚊に噛まれたら痒いってことぐらいみんなが知ってると思うんだけど、最近は仲直りしてたまに飯行ったりするんだよね。
今は昔みたいに新竹で暴れたりする体力はなくて、病気になってかなり弱ってて入院してる。入院する前に飯行ったときにもらった手紙を読むのを忘れてて、さっきふと目に入って読んでみた。

書いてることはいつも言うことと同じ。
小さい時、百貨店で並んでるおもちゃを見てて「今日は1個しか買えへんで」って言われて「見てるだけやから大丈夫」っていう話。この話が本当に好きみたい。
俺もそんなことがあったかなってふんわり覚えてる。

この手紙をもらったのは2022年2月、ついこないだのこと。
でも手紙が書かれてた日付は2016年2月4日。6年前の俺の誕生日。まだゆかと出会う直前の手紙だと思う。

長い間1人にさせて本当に悪いことをした。勝手に敵って決めつけて、向き合おうとしなかった。自分の父親なのに。今まで散々お世話になったのに不義理すぎる。血が通ってる人間ならどれだけ腹が立っても今までしてもらったことを思い出して向き合うべきだった。たった1人の血縁のはずだ。

1人は寂しいし、悲しい。誰も助けてくれない現実はもう二度と自分の周りの人間に訪れないようにする。ここに誓うよ。

父親の病気は治療中で今月末に手術がある。治療は上手くいってるそうだから神様に感謝しなきゃならない。後は手術が上手くいくことを祈る。

病気になって、結構痩せて逆に健康そうになってたのは良かった。前のままだったら多分取り返しのつかない病気なってたと思うから、いい方向に神様が導いてくれてるのかなと思う。

思ったことを言葉にしたら、気持ちがさっきより軽くなったぜ。心の溜まってるもんもたまには出さないと身体に悪そうだな。

またな!

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