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弘中綾香という後輩

私は2008年からテレビ朝日に勤めているが、その5年後2013年に入社してきたのが弘中綾香という後輩アナウンサーだ。

先日、彼女の自身の自伝的エッセイ「アンクールな人生」が発売された。

先に言っておくと、読後「この本は自伝的エッセイという形をとった”教育書”である」と感じた。
考えてみてほしい。「弘中綾香のような人間がどうやったら育つのか?」この疑問に対する答えが示されていると言われれば、多くの人が興味を持たざるを得ないのではないだろうか?

その発売日である9/14の夜、彼女からこうLINEが来た。

芦田さん本が今日出ました!
感想Twitterしてください!
(原文まま)

これこそが弘中綾香、というLINEだ。

しかしそもそも、”弘中綾香”とは何なのか?

「アンクールな人生」=「弘中綾香が出来るまで」を読んでみると、私が10年弱、会社の先輩として弘中と接してきて感じたことや、理解している(つもり)の弘中綾香という人間像との答え合わせがしたくなった。
そんな本が「アンクールな人生」だ。

というわけで今回は、本人にも許可を得たので、私なりの弘中綾香論を書いてみようと思う。

弘中と一緒に写ってる写真を探してみたけど1枚もなかった。
レギュラー番組3年も一緒にやってるのに。
それが我々の不思議な関係性を物語っていて、
スマホの画像フォルダスクロールしながら思わず笑ってしまった。

彼女を一言で表すならば、”無欲の怪物”だ。と、私は思う。
彼女と最初に出会ったのは2013年の夏頃だったと思う。
(彼女は多分覚えていないと思う。)

1期下の部署の後輩が「太郎さん、今年のアナウンサー面白いですよ」と声をかけられて居酒屋に行ってみると、弘中がいた。
小柄で童顔で「うち(テレ朝)っぽくないな」というのが第一印象。
しかし話してみると、時折ナタのような切れ味鋭い言葉を吐く。
そしてとにかく会話のレスとテンポが早く、童顔と表情のギャップから、たとえ同じ言葉でも、弘中が発することで倍以上のインパクトを巻き起こす。
「こういうコミュ力と度胸のあるアナウンサーが”アナウンス能力以外”でポテンシャルを発揮できる番組があると良いなあ。(俺の今の担当番組では無理だ…)さすが加地さんが一本釣りした逸材。」そう感じたことを今でも覚えている。

アナウンス部のホームページに残っていた新人時代の写真。
同期の林は私の初ゴールデン演出番組「あいつ今何してる?」の進行を務めた。
と思うと、この代は何かと縁がある。

しかしそれと同時に、彼女にはある種の不気味さも感じた。
新人アナが必ず持ち合わせている”意欲”みたいなものを感じなかったのだ。
もちろんやる気がないとか、態度が悪いとかそういうことではない。
表向きの会話のやり取りでは「芦田さんの番組にも呼んでいただけるように頑張ります」みたいなことは言っていたと思うのだが、そういうことではない。「この人は、アナウンサーにどうしてもなりたくてなりたくて仕方なかった(ようやくなれた!!)という人種では無いのか?」

そう、今思うと彼女は入社当時から”無欲の怪物”だったのだ。
(実際、彼女はアナウンサー志望ではない。現場採用に先立って行われるアナウンサー採用試験に「面接の練習がてら」受けて受かったのだ。それも全て詳細は「アンクールな人生」に書かれているので是非読んでみてほしい)

しかしその後、彼女と仕事することはあまりなく、たまーに食事に行く程度(年に1回あるかないか)で、彼女はMステで一気に知名度を上げ、気安く食事に誘うことも憚られる存在となっていった。

その後再び少しだけ距離が縮まったのが、2015〜2016年あたり。
私が「関ジャム」(2015年〜)の立ち上げに携わったことで、音楽班に配属され、彼女がいる「Mステ」を時折手伝うようになったからだ。

これも弘中は覚えていないと思うのだが、ある日の「Mステ」の打ち上げ(忘年会だったかな…)で弘中と隣の席になった。
この時、彼女は自身のキャリアについて悩んでおり、ある相談を自分に持ちかけてきた。これはとても意外だった。自分の中での弘中像は、「己が決める。」これに尽きたからだ。つまり、たとえ悩むことがあっても人に頼ることなく、自分で断固たる決意ができる。そんな人だと勝手に思っていたので、新人時代から彼女に対して「〜した方がいい」とか、「〜すべき」と言った記憶は無い。(個人的にはない。あったらごめん弘中。)

「弘中でもこんなに悩むことがあるんだな」
”無欲の怪物”が人間らしく見えた一瞬だった。

でも彼女らしいのは、その相談以降、同じような悩みを私に話してくることはなかった。自分も彼女が話してこない限り聞かないようにしていたし、もしかしたら彼女は悩んでいたのかもしれないが、その後「激レアさん」(自分と同期の舟橋が演出)という彼女の知名度とポテンシャルをもう1段階引き上げることとなる番組と出会い(2017年ごろ)、そんな悩みは、払拭されたのかもしれない。

その後、私が音楽班を離れたことで、弘中とは元々の「たま〜に食事に行く先輩後輩」という関係に戻った。だけど、今振り返ってみて面白いのは(別に面白くないか)、過ごした時間や会話の量は割とあるのに、弘中のプライベートを自分は一切知らない。弘中も私を知らない(っていうか多分興味ない。それがまた弘中を好きなところ)。だから何を話したかってほぼ思い出せない。忖度もない。変な先輩後輩だ。熱い話もほぼしないし、対等だ。

その関係はレギュラーを3年一緒にやっている今でも変わらなくて、この前だってスタジオで収録が始まる前に、田中みな実氏の新CMが「可愛かった」と自分が褒めたことによって、「芦田くんがそんなにストレートに褒めてくるの珍しい!好きな人できたんじゃないの!?」という中2の教室のような会話を大声で繰り広げ始めると、弘中はロートーンでこう言い放った。
「芦田さんって恋愛しないんじゃないんですか?」
田中みな実は「弘中ちゃん…!」と爆笑していたが、こういう一瞬一瞬で現れる言葉の切れ味みたいなものが、弘中の魅力であり、「この人にしか「あざとくて」は(田中みな実の隣は)無理だ」と確信させてくれるのだ。

この笑顔で言い切るからこそ破壊力と面白さが数倍になる。

話を戻そう。音楽班を離れてからも、自分が企画した特番ではちょくちょく弘中の力を借りたりして、たま〜に食事に行ったり。
そして2019年9月「あざとくて何が悪いの?」の特番1発目の放送。
この番組が3回の特番を経て、2020年10月からレギュラー放送となり、そこから彼女と長い時間を共にすることになる。

記念すべき初回の2019年9月27日放送。
今でもその手応えを思い出せるほど、えげつない手応えを感じた収録だった。
唯一無二の化学反応を見つけられた!その充実感は3年経った今でも毎週感じられている。

この番組における弘中の立ち位置はアナウンサーではない。進行ではない。
出演者であり、タレントだ。だから当然意見を言わなければいけない。
アナウンサーというのは、基本的に「進行に徹して、自分を殺す」。
もちろん番組によってその役割は微妙に異なるが、この基本姿勢を研修時代から徹底的に叩き込まれる。

しかしこの番組はそうは行かない。世の中のあざといテクニックが詰まったドラマを観て、ああだこうだと言わなければならない。
しかも弘中の隣には”あざとい象徴”とも言える、田中みな実氏が座っている。

最初に彼女にこの企画書を送ったとき「畏れ多い並び」と恐縮し切っていたことを今でもよく覚えている。そりゃそうだ。自分が弘中だったら震える。

想像してみてほしい。「これを言えばいい」という台本や正解は全くもって存在せず、山里亮太、田中みな実という日本でも屈指のバラエティ能力者、言語化能力者たちと同じスピード感と、同じレスポンス力で会話やパワーワードをぶつけ合わなければならないのだ。

2020年7月放送の3回目の特番。
この放送の成功でレギュラー化を勝ち取った。

弘中には大きな心労を課してしまうことは企画者として容易に想像できた。
が、田中みな実×弘中綾香×山里亮太という「テレビ朝日でしか実現不可能な組み合わせ」には、根拠はないが圧倒的な可能性を感じていた。
思いついた瞬間、「勝った」とすら思った。

さらに弘中を入社から見てきた(実質の会話時間にしたら大して見てきてないけど)自分としては、「この番組で発揮される彼女のコミュ力、思考、思想は、多くの女性の共感を得るはずだ!」という演出家としての根拠のない自信、確信があった。

こうして半ば自分の自信という名のエゴを押し付ける形で、この番組はスタートした。

ここからの彼女の快進撃は説明不要だろう。「あざとくて」にとどまらず、「好きなアナウンサーランキング3年連続1位」という快挙のみならず、連載、ラジオ出演、フォトエッセイ発売と既存のアナウンサーの概念を覆し続けている。

その爆発に呼応するように、私の友人や同級生たちから「弘中ちゃんめっちゃ好き!」「毎週会えて羨ましい!」「どんな話するの!?」「彼氏いるの!?」挙句の果てには「あんなに可愛い子近くにいて好きにならないの?」なんて質問をここ3年くらいで大量に浴び続けている。

残念ながら読者の皆さんが期待するような答えを私は持ち合わせていない。
我々の”良い意味で心地よい(と私は勝手に思っている)”希薄&ドライな関係性は今も続いている。

「あざとくて」の打ち合わせは、いつも2分で終わる。
演出家としてどうなの?と思う人がいるかもしれないが、彼女に何かを強いることは何もない。
言うとしたら時折、「編集してて客観的に見て気がついたんだけど、こういうスタンスや言い方は弘中が悪者に見えると感じたわ。」とか、「スタジオでは気が付かなかったけど、オンエア見て、弘中のあのリアクション(スタンスでの発言)めっちゃ良かったわ。あの感じ意識して今日もやってみてよ。」とか、その程度だ。
「あ、ほんとですか。わかりました。」で終わり。
終わり。っていうか、それは彼女が演者としての高いポテンシャルを持ち合わせているから、それだけで必要十分なのだ。

「アンクールな人生」を読んでいるとよくわかるが、非常にロジカルでクールで戦略的に思われがちの彼女だが、意外と今でも明確な野望や短期・中期・長期の目標や戦略を持っていない。「まずは目の前のことを」と言うベースの思想がある。そのベースの日常の積み重ねで起きうるウネリや人気や経験を自分なりに享受し、解釈して、次の行動につなげる。この能力が圧倒的に長けているのが弘中綾香という人間なのだろうか。
だからこそ距離的に割と近い私の目を通しても一見”無欲”に見えるんだろうか。しかし繰り返すが、彼女はただの”無欲”ではない。”無欲の怪物”だ。
”無欲”が故に、自分の可能性や限界が存在しない。だから怪物なのだ。
一見矛盾のように思える彼女の人間性こそが彼女の魅力であり、彼女に心酔してしまう理由なのだろうか。

と、ここまで4000文字近くを費やして、彼女について考えてみたが、全て文末を「…だろうか」としたくなってしまう自分がいる。

先日ゲストに来てくれた芸能界屈指のモテ男かつ様々な女性を見てきた田村淳さんですら「弘中ちゃんが芸能界で一番わからない」と言わせる弘中綾香という女性。

だから私もいつからか、「彼女を分かろうとする」ことをやめた。
だって彼女は、分かろうとしなくなって十分に魅力的であるし、そのエネルギーは常に感じ取ることができるし、番組ではしっかり結果を残してくれるから。あとそもそもの話、「私を簡単に分かろうとしないでください」という強大なエネルギーとオーラが彼女から放たれ続けている。だからそこのあなた、弘中綾香を簡単に語らないようにしてください(私も同様)。

長くなりましたが言いたいことは一つ。
これからも彼女の力を借りながら、一緒に面白いものを作っていきたい。


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