ほなまた楽しい地獄で。①
母曰く、自分は赤ちゃんのときからあまり泣かずに育ったらしい。
物心ついてからは親に甘えることがどんどん下手くそになり、友達と遊びに行くからお金が欲しいとなかなか言えなかった。
拾ったウォークマンに、友達が沢山アルバムを入れてくれた。救いだった。
今思うと昔からずっと調子乗りの躁鬱だったような気がする。
人が大勢いるところでは大きい声を出して目立とうとして、結局はずっと1人だったような。
誰か気づいてくれ!と常に思っていた。ような。
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親の影響で幼稚園から中学生までスポーツチームに所属していた。
10年以上続けてもルールが分からなかったし、体も強くならなかった。
今思うと数年経ったあたりで、何かおかしいと気づいて欲しかった。
週末の練習が近づく度、毎日憂鬱だった。
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成功がなかった。
怒られないように宿題をこなす、怒られないように練習に行く。
ギリギリ赤点回避、ベンチにもなれない水汲み。
なんのために生きてるのか全く分からなかった。
大好きなブルーハーツは大好きになった頃にはもういなかった。
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続
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