コンプラ厳しすぎる世界線の童話を考えてみる
◼️はじめに
みなさんお久しぶり。
家どころか部屋、布団からも出なくなりつつあるエピ塚です。
今回はタイトルにもあるように「もしコンプライアンスが厳しすぎる世界線だったら、童話はどのように変更されてしまうのか」を考えていきます。
◼️考察
『ヘンゼルとグレーテル』
あらすじ
貧しい兄弟が義理の母に森へ捨てられ迷ってしまう。辿って帰れるようにとパンクズを落としながら歩いていると、お菓子の家に辿り着く。しかしそれは魔女の罠。なんとか2人は力を合わせて魔女を倒して物語は終わる。
そもそも子ども森へ捨てる行為自体が、刑法 第二百十八条の保護責任者遺棄に該当します。
そして捨てられた兄弟が道を辿って帰れるようにとパンクズを落としながら進んでいくシーンがあります。
舞台がもしシンガポールなら、ポイ捨ては初犯でも最高10,000ドル(100万円)の罰金が課せられます。
これはパンクズではなく環境に優しい植物の苗を植えながら歩かせましょう。
そしてお菓子の家も食品ロスの観点から好ましくありません。
そのため今回はお菓子でできているように見える普通の素材の家にします。
また魔女を暖炉へ蹴り落とすのは言うまでもなく殺人ですね。
ここは子どもたちに感情を押し殺してもらい、大人に助けを求めて警察へ通報してもらいましょう。
魔女であっても殺してしまっては立派な犯罪です。
以上のことを踏まえて、私なりにあらすじを変えてみました。
貧しい兄弟が森で遊んでいると迷ってしまう。道に苗を植えながら歩いていると、お菓子でできている様に見える家に辿り着くがそれは魔女の罠。2人は大人に頼り警察を呼んでもらい、警察が魔女を捕まえて物語は終わる。
『桃太郎』
あらすじ
お爺さんが山へ芝刈りに行っている間、お婆さんが川で洗濯をしていると桃が流れてくる。中から出てきた赤ん坊を老夫婦は大切に育て、桃太郎は鬼退治へと向かう。犬・猿・雉を仲間にし、鬼を倒して宝物を手にする。
まず初めに、男が芝刈りで女が選択という固定観念にも疑問を呈する必要があるのではないだろうか。
他にも、犬・猿・雉にエサ(きび団子)をあげて仲間にするシーンがありますが、NPO法人日本エコツーリズムセンターは野生動物には基本的にエサを上げない方が良いと回答しています。(画像参照)
なんなら桃太郎を我が子の様に育てた老夫婦は養子縁組の登録を役所で済ませたのでしょうか。
まぁ当時は現代よりも養子が珍しくなかったでしょうし、ここには目を瞑ることにします。
みなさんはもし川上からあり得ないサイズの桃が流れてきても勝手に割ってはいけません。
警察へ届けましょう。
そして届主が1年間現れなければ桃太郎の1割、つまり1/10桃太郎が貰えるかもしれません。
鬼に暴力を働いた上に宝物を奪うのもいただけませんね。
ここは道中できび団子を使って弁護士を雇い、鬼を法で裁きましょう。
そして、持ち主たちからお礼として宝物を貰うのです。
言い出すとキリがありませんが、桃太郎は子どものヒーローどころか立派な犯罪者ですね。
では変更後のあらすじを書いていきます。
お婆さんが山へ芝刈りに行っている間、お爺さんが川で洗濯をしていると桃が流れてくる。老夫婦は一度警察に届けた上で中から出てきた赤ん坊を大切に育て、桃太郎は鬼退治へと向かう。そしてきび団子と引き換えに弁護士を仲間にし、鬼を法廷で倒す。そしてお礼として、宝物を手にする。
◼️まとめ
いかがでしたか?
他にも沢山の童話がありますが、どれも教育上適切なものではありません。
魔女や鬼たちは本当に敵だったのでしょうか?
都合の悪いモノを悪に仕立て上げるのは今も昔も同じです。
本当の悪者は私たち人間なのかもしれませんね。
ではここら辺でお暇致します。
次回もお楽しみにー
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