映画『五等分の花嫁』の感想をば(2022.07.05)

どうも。この間、2回目の『映画 五等分の花嫁』を鑑賞してきた他力です。

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居住地がバレそう。とりあえずなんか書きたくなったので、感想を書き散らしていこうと思います。圧倒的ネタバレを含む(というかネタバレしかない)ので、まだ見てない人は閲覧注意です。あと原作は持ってはいるものの、映画見てから改めて見返したりはしてないので、けっこう違う部分があるかもしれません。ご了承ください。

1 物語の本筋

映画は五姉妹と風太郎がプールに行くところから始まり(めっちゃカットされてました。なんで)、その後の文化祭を中心に物語が構成されていました。というかほとんど文化祭だったような。もちろん大事な場面が多いですから、必然的にそう言う構成になったのでしょうけど、映画単体で見ても分からない部分が多いのは悲しいポイントかもしれません。後述するグランドホテル方式(で合ってる?)での進め方も、初見だと理解がしづらいのがなぁ。これは原作がそうだからしょうがないんですけどね。

ということで、私の印象に強く残ったのも文化祭編でした。特に文化祭の3日間を各姉妹の視点から描いた「最後の祭りが一花(二乃,三玖,四葉,五月)の場合)」がすごく良かったので、少し書かせてください。

2 最後の祭りが一花の場合

結論から言うと、1番内容が薄かったです。文化祭は3日間あるのですが、女優業が忙しい一花はなんと1日目の終わりと3日目の終わりしか学校におらず(2日目は病院で風太郎と会いますが)他の四姉妹と比べると風太郎やその他姉妹との絡みが圧倒的に少ないのです。「五姉妹の誰と結ばれるのかが分からない!」というのがこの作品の大きな強みではありましたが、ここまで来ると「一花の可能性は無いな」と思ってしまいました。まぁ一花は2期∮∮の終盤(修学旅行)で京都での過去の話や三玖への変装だったり……色々やってましたからね。一花に関してはもう掘り下げられる話がなかったって感じがしました。

またこの話だけ、他の4つと比べて主題(テーマ)が見えにくかったのが残念でしたね。感想や考察もあんまり語れないかな……って感じです。

ただ風太郎との接触が薄かった割に、風太郎を揶揄うようなお姉さん然とした態度だったり、一花の魅力はきちんと描かれてた気がしてました。いいぞ一花、もっとやれ。

3 最後の祭りが二乃の場合

うぉ〜二乃!!!結ばれてくれ!!!

……無理でした。

さてそれは置いといて、この話の主題は「家族(父:マルオ)との向き合い方の変化」にあると思っています。物語の開始からこの段階まで、マルオに対して反抗的だったのは二乃くらいだったのではないでしょうか(五月は二乃の態度と対比的に描かれていましたね)。二乃は最初から、家族(姉妹)への情が深い人間として描かれています。母が亡くなり、残された姉妹に対して金銭的援助以外に目立ったサポートをしてくれないマルオに対して、反抗的になるのは必然のことでしょう。あるいは、義理とはいえ家族に対して無関心な態度をとるマルオと性格の不一致があったのかもしれません。

そもそも「父は私たちのことを想ってくれていると最近は思えるようになった」とか言ってる五月の方が異常だと思うんです。精神年齢、大人すぎだろ。五月の中の五月、リトルイツキは本当にそう言っていますか?

あとマルオ、医者で連日忙しいのは分かりますけど、何年も家に帰らないとかありますか?帰れよ。まぁ病院の近くに部屋借りてたりするんでしょうけど……結局のところ、『五等分の花嫁』で1番のツンデレってマルオなんですよね。エグいほどツン要素が多めなツンデレです。

なんやかんやパンケーキのくだりがあって、過去(母との思い出や死別)と向き合い、父の支援に徐々に気づき、しっかりと親に対して感謝を向けられるようになった二乃。非常にいい素晴らしい尊敬してます。実父、実母だとしても現実ではなかなか難しいですからね。母の死後にできた父とかいう複雑な関係性なら尚更です。姉妹への重い愛から家族や他人とあまり上手く折衝できなかった二乃ですが、このタイミングあたりから色んな人とうまく関係を築くことができるようになったのではないでしょうか。その後が描かれていないから確かなことは言えないですが。

ちなみにこの話のベストパンチラインは、病院でマルオに対して言った「フー君を家庭教師に選んでくれてありがと!」です。このセリフ、二乃側では父に対して素直に感謝を述べられるようになった瞬間であり、感動的なシーンでもあるのですが、いやちょっと待て。これマルオからしたら今すぐ風太郎を殺したくなるほど憎くなる台詞では?

マルオ視点では風太郎って、自分の実子のように愛を注いでる娘たちを一気に誑かした存在ですよ。「(でも私も大人だし……寛大な対応をとるか)君が娘たちとの関係を、真剣に考えてくれることを望む」みたいに渋々許してたのに、その直後にこれですよ。私がマルオだったら普通に病んでる。自分の父としての功績、あの男を娘に近づけたことかよ!!……

ということで、二乃の話は2人のツンデレがお互いに対してようやくデレる話でした。風太郎はしっかり絡むものの、恋愛的要素という意味での絡みは少なく、感動はしましたがやはり「二乃ではなさそうという雰囲気がありましたね。まぁ漫画読んでても、二乃ではないかもな〜とは薄々感じてました。風太郎に選ばれなくても強かに幸せになってそうってのが二乃の魅力だと思ってるので、そこは難しいところなんですけども……。

4 最後の祭りが三玖の場合

二乃に対して(マルオに対して?)思い入れが強すぎて長くなってしまいました。三玖は簡潔に書きます。

三玖の話の主題は「自身の過去との決別」にあると思います。意思や主張の弱い過去の自分と決別し、自分の道をしっかりと選び取っていくという、三玖の圧倒的成長が描かれていました。成長ポイントは主に2つです。

1つは料理の専門学校への進学。三玖は最初期から風太郎(絶対大学進学させるマン)のことを好いていたし、元から「五姉妹の中で最も勉強が得意」というのが自身の拠り所でもあったので、大学進学を止め専門の道を選ぶというのはかなり難しい決断だったと思います。風太郎をきっかけとして始めた料理でしたが、すごく不得意にも関わらず自分の好きな気持ちを優先し進路を決めるの、かっこいいですね。寡黙な性格の裏にしっかりとした情熱が見え隠れするところ、好きです。

2つ目は文化祭2日目(だっけ?3日目だっけ?)、男子たこ焼きと女子パンケーキが相変わらずいがみ合っている中、男子の代表と女子の代表を呼び出し、大音声で自身の思いを叩きつけます。三玖ってどちらかといえば風太郎と似て「学校行事なんてどうでも……」みたいなタイプだったような気がしますが(合ってる?)、風太郎と同じく行事をしっかりと楽しむ社交性や貪欲さ、そして意思をはっきりと伝える強さが身についていて感動しましたね。

ただ三玖のこれは、風太郎/他の姉妹からの巣立ちという印象が強く、これは三玖ちゃうんやないか……感はひしひしと感じました。きちんと最後まで見ると、ヒロインは四葉しかあり得ないな、と思えるような構造にしっかりなってましたね。

5 最後の祭りが四葉の場合

四葉は三玖と打って変わって、「過去の自分が未だ枷となっていることの再確認(と視聴者への共有)」が話の本筋になります。めちゃくちゃ陰鬱というか……中野四葉というキャラクターがどういった道のりを歩んで現在に至ったのか、ようやく読者にも共有されるといった話です。

今から書くことは映画鑑賞後に考察を書いたブログを何個か見て、そこに書いてあったことの受け売りになるのですが、ご容赦ください。

四葉は幼少から黒薔薇留年まで、いくつか挫折を味わうことになります。

1つは風太郎と出会い、風太郎に自分と一花を間違えられたため(?)、姉妹の中で最初にトレードマーク(リボン)を身につけるようになります。そのことに優越感に浸かる四葉でしたが、しかしながら零奈に否定され(5人でいることが重要という台詞)、また五月も同じようにトレードマーク(ヒトデ)を見つけてくることで、自分固有のアイデンティティを創造することに失敗します。正しくは、アイデンティティを"自分だけ"持っている、という状況を作ることに失敗します。

2つ目は中学で、風太郎との誓いを守り勉強に励むも、全然テストの点が上がらなかったことです。「勉強の邪魔になるから」と言って三玖にゲームを譲渡したのに、その三玖にテストの点で負けるのは流石に応えますね……。ここから四葉がグレます。

そして3つ目は当然、留年による転校です。複数の部活動で結果を残すことで自身のアイデンティティとしていて、またも優越感を感じていた四葉ですが、このことで自身の長所に対する自信を完全に失います。また他姉妹全員を巻き込んだことで、大きな負い目をずっと抱えることとなります。まぁこれも仕方ないですね、現実で同じことがあってもずっと引きずってしまうでしょうから……。

みたいな過去があって今の四葉がありますよ〜って明かされるのですが、いや重いて重いて。脂マシマシか???ってくらい重い話をされて、しかも四葉は負い目から文化祭2日目にして過労で倒れます。エグ重いって

最終的に風太郎の存在によって、自分の自傷的かつ献身的な行いが多くの人の助けになっていることに気付かされ、自信をある程度回復するっていうオチでしたが、これもマイナス100がマイナス30になった程度で全然プラスになってないんですよね。他の姉妹(一花除く)が自身の成長とかを描いていてすごく感動する話なのに対し、四葉の話は総じて後ろ向きで翳るシーンが多いです。この後風太郎から告白され、一度断って走って逃げるシーンも、過去に囚われた結果の自己肯定感の低さに由来します。

これ逆に、四葉が風太郎に選ばれなかったらどうなっていたんでしょうね。自傷的とも言える献身行為で自身の精神性を保っていた節があるので、やっぱり何回か過労で倒れてそうです。そういう意味では、風太郎と四葉は驚異的な共依存カップルになれそうです。この漫画ってそんな話だったっけ???

6 最後の祭りが五月の場合

五月ってずっと入力してましたけど、これ「いつき」って入力しても漢字出てこないんですよね。ずっと「いつつき」って入力して変換してます。ってどうでもいいか。

五月の話の主題は「実父(無堂)、母(零奈)、そして自身と向き合う」ことにあります。映画見てるとき、絶対みんな思ったと思うんですよ。無堂、はよ◯ね……!!!

ちなみに私自身の人生経験もありますが、この五月の話が1番感動しました。

私自身がこれまでの人生で痛感したのは、(存在の有無は置いておいて)「親子の絆」というものの存在を強く意識してしまうことです。「親だから」或いは「子だから」ということでかなりのことを大目に見たり、釈然としない中でも許してしまったりすることが多くあると思います。無堂もその一人です。この「親子の絆」の存在を無条件で信じているがために、五月に接触し許しを乞うてきました。そしてこれは無堂が性格クズだから、というだけで片付けられる行動ではありません。五月も確かに、「親子の絆」の存在を意識し、実際に返答に時間がかかっています。

実体験から言わせてもらうと、この「親子の絆」を、すなわち情を利用して接触してきたりされると、拒否するべきと頭では分かっていても実際に振り払うのは非常に困難になります。普通、誰かの助力があったり助言があったりしない限り、不可能に近いと思います。

さらに言ってしまえば、無堂は五月の将来像(零奈&教師)という部分にも言及しており、事実それはある程度当たってしまっているので、五月は自分というアイデンティティに揺らぎが生じてしまいます。もちろん、最適解は無堂の言葉なんて信じず完全に拒否することなのですが、情緒が乱されている上に無堂は自分の知らない零奈を知る存在ということで、かなりその選択肢が見えなくなっていました。

しかしながら、(風太郎等の助言を少し受けたとはいえ)五月はわずか1日後に無堂を呼び出し、きっぱりと拒絶の意を示します。これは凄いことです。

五月が風太郎争奪戦に参加しなかったこともり、別にこの話はあってもなくてもそんなに影響がなく、「無堂要らん」「無堂シーン消せ」みたいに言う人が多いとは思います。しかし私は自分のバックグラウンドの所為もあり、五月に自分を重ねて見てしまい、結果としてめっちゃ感動しました。五月は強い。かっこいい。

という感じで、多分みんなが想定していないであろうシーンでえらく感動してしまい、よく分からない楽しみ方をしてしまいました。でもマジで五月はかっこよかったっすよ。

7 終わりに

やべぇ。簡潔に、2000文字とかで終わらせようと思ってたのに、気がついたら5000文字を突破してる。怖いですね。学校のレポートもこのくらいのペースで書けたらいいのに(って全員思ってるとは思いますが)。また原作を読み直して、相違点とか修正とかはするかもしれませんが、今のところはこれで筆を置きます。それでは。

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