仮面ライダー龍騎其二――城戸真司は浅倉を殺せたのか?

※RIDERTIME龍騎および、TVSP未試聴での感想になります。

『仮面ライダー龍騎』を通して、城戸真司は正義を貫く男として描かれている。

あらためて、城戸真司という男

 真司は正義の矛盾に悩むことがない。ライダーバトルという異常事態においてそもそも自分の過失や亡くなった人について悩む暇がないのかもしれない。
 真司は人を守ろうとした。しかし、そのために同じ人間を傷つけることに対しては強いためらいを示す。本来ライダーバトルは人間の殺し合いであるというのに、参加している身でありながら、ライダーバトルを止めるために尽力するのである。
 しかし、真司はそのために葛藤しない。真司は自分が意識しない間に、他人にライダーバトルに対する拒絶反応を伝染させており、それが良くも悪くも彼に疑念を抱かせなかったのだ。

 だがライダーの中にはその願いを決して理解しえない人間が現れ、真司の行方をはばむ。浅倉は戦うように戦っている人間であったし、東条は英雄になりたいとうそぶいて自分が何をすればいいのか分からないまま、佐野や享受を手にかけるのである。
 後半になると、どんどんライダー自体の数が減り、真司はいよいよ人としての情を棄てるべきかどうか悩み始める。たとえ一人だけ生き残っても、最後に神崎が選ぶオーディンとの戦いが控えている。だが真司は生来の人なつっこさゆえに、冷酷になることができない。
 甘い、とすら言いたくなる。そしてその甘さに、物語は裁きを下してくれない。それどころか、真司の活躍を正当化すらしてくれる。

アンチ・ヒーロー

 仮面ライダーの中でも浅倉威や須藤雅史は確かに真司の信念を崩しかねない人物だった。真司が人を助けたいと思っており、また助けることしかできないなかで、彼らはもっともライダーバトルにおいて自由に立ちまわっていた。もし止めようとすれば、いずれ真司が元に戻れなくなってしまうのは無理もない話だったはず。
 しかし、真司はくすしき御業によって、自分が手を汚す機会から免れている。

 須藤は蓮と相討ちになりかけて倒された。東条はやけを起こした末、子供を助けてつかの英雄になった。
 本編でも劇場でも、浅倉は真司が手を下すことなく自滅してくれた。全て、彼が関知しない所で起きたことだ。
 真司はそういったことをどう考えていたか。多分悩み、悔やみはしただろうが、もちろんそれを真司の罪だとはみなせない。そしてそこに、真司というキャラが背負わざるを得なかった本当の欠点がある。

 無自覚の悪ゆえか、須藤に「お前は絶対に倒さなきゃならない」と言った時、真司はそれが殺しに手を染めることだと気づいていない(現に北岡を殺してしまったと思いこんだ時は、絶望してドラグレッダーに餌をやるのも怠って食われかかっている)。後に蓮が極限状態となってサバイブと化して、真司は蓮に誰も殺させないために自らサバイブとなる。彼は、その点ではかなり冷酷というか、情を棄てているのだろう。
 浅倉を許せない、という。しかしそれだけだ。真司が人を助け、誰も傷つけたくないと願う限り、結局浅倉と東条が繰り返す凶行に何もできないのである。そして、自分の限界に苦悶することもない。

 真司は最初から何も失おうとしない。何かを成し遂げるためには何かを進撃の巨人の有名なセリフ「何かを失わなければ、何も成しとげられない」というテーゼに、最後まで真司は組しない。そこに追いこまれることはあるが、一線を越えることは最後までない。

 みんなライダーバトルとは別の所で自滅してくれたおかげで、結局その正義に大した障壁もぶつけられないまま、最期はモンスターに刺されて悲劇の英雄として死なせてもらえるわけで、これを掘り下げればもっと見ごたえのある作品になったかもしれない……と、それではもはや子供向け番組ではなくなるな。いずれにしても大人の事情だ。
 真司はある意味で一昔前の英雄像を引きずっていたのかもしれない。

 真司の死は殉教のようなものだと思う。彼の死は悲惨そのものか、神々しいものとすら描写されている。

匹夫か、英雄か

 クウガの五代雄介と同じくらい、真司は自分が願わない戦いを戦っていた。
 望んでその力を手に入れたわけではないし、最後までその力を悪用しようと考えていなかった。およそ真司にはエゴがなく、何の欲望もなかった。だからこそ、真司は英雄にしかなれなかったのだ。
 逆に言えば――英雄になれない真司は、何者にもなれない、ただの匹夫。

 ジオウでの描写が暗示しているが、ライダーバトルに関係のない真司は全く立派な人間ではない。下手をすると、不幸な生涯をたどっているとすら言える。これもまた、『英雄』という言葉の一側面なのだろう。
 彼はその人なつっこさゆえに結局、社会的に高い地位にはいられないし、そもそもそういうことに興味もない。あまりに凡庸なまでに正義の人だ。いや、こういう人間こそ真似されるべきなのだが。

 残念なことに、正義を暴走させた人間ばかりが晒され、呪われるこの世では。
 真司という人間に魅力はある。だがそれは、彼自身に幸せを与えるものではない。大衆が真司を必要としてもしなくても、真司に恵まれた道を与ええない。やはり、ヒーローなんてなるもんじゃないな。

 十数年後、平ジェネFOREVERでアナザークウガを相手にして、「ライダー同士、一緒に戦おう!」と叫んだことには深い意味があるように思う。本編ではついぞかなわなかったことだ。そうすることでしか彼は初めて自分の不運と、苦しみを分かち合う仲間を見つけられなかった。真司の孤立した状況をましにしてくれるものは。

 真司はその意味ではヒーローのあり方の一種類を巧みに提示しているし、一見一貫していないように見えて、つねに一貫している。一貫しているように見えて、常に芯がぶれ続けている秋山蓮とは実におかしい対照だ。その蓮がオーディンを倒し、生き残ったのも、深い意味を持っていると考えざるを得ない。