西ヒロシマ国抄史

1.トワダ・イズキ 2426-2434
2.トワダ・ユータロー 2434-2449
3.トワダ・シン 2449-2457
4.トワダ・リウ 2457-2479
5.トワダ・タイヤ 2479-2485
6.トワダ・シューミ 2489-2498

 長らくヒロシマ地方には国がなかった。その中でもいち早く国として独立したのがシモノセキ市に面する西ヒロシマ国だった。この地域は昔から都市同盟との関係が深く、住民の往来が多かった。

 トワダ・イズキはオーイタの家臣だったが、同胞と戦う内に、オーイタの支配に疑問を呈した。オーイタは兵力がなく、常にシコクやルタオから兵力を借りていたが、それは彼らが力を合わせれば瞬く間に自分が滅ぼされてしまうことを意味していた。そのためオーイタは彼らを仲たがいさせることに神経を注いでいた。
 イズキはヒロシマにも都市同盟やオーサカのような強国が必要だと考え、そのためには狭い地域の中にひしめき合っているヒロシマよりはすでにオーイタによって秩序が確立されているシコクを我が物とした方が得策と考えた。
 2426年、イズキはオース庁舎を攻落とし、街中を支配した。その年中彼はルタオ人の協力も借りてシコク西部全土を占領した。オーイタ人にとっても同盟市民にとっても、それはヒロシマ人の反乱と考えられた。
 2429年、イズキはヒロシマ側にも侵攻し、。そして、ヒロシマ地方の西端に位置するシモノセキ市を滅ぼそうとした。しかしイズキは2434年に暗殺されてしまう。その子ユータローは国内の混乱を収拾して、堅実に国を治めた。

 さほど何かが優れていたわけでもないユータローが唯一達成させた大事業が、シモノセキの征服だった。
 シモノセキの防備は堅固であり、陸も海も頑丈に封鎖されていた。そこで数か月かけて地中に坑を掘り、そこから城内になだれこむことで、2448年、シモノセキ市を陥落させた。ナガサキ市に続いて同盟都市がまた一つ滅びたことは、市民に大きな衝撃を与えた。これによって都市同盟に並ぶ
 ユータローが死ぬと、近縁の子のシンが即位した。

 シンは最初は名君として目されていたが、数年で処刑や強姦など素行の悪さが目立つようになり、弟のリウによって寝込みを襲われて暗殺された。リウは疲弊した国内を立て直すために産業を充実させた。

 オーイタはフクオカからの攻撃に苦しんでいた。
 2460年、フカミ・リオンから王位を奪ったナカムラ・セイゴは仇敵を使ってフクオカからの侵攻を食い止めようとした。クニサキ半島に上陸して、フクオカ軍の阻んだ。田畑を焼き討ちしたためフクオカ軍は糧食を絶たれ、撤退をよぎなくされた。
 セイゴは褒賞を出すことを渋った。そのためオーイタの城壁に肉薄し、半日ほど戦闘になった。最初西ヒロシマ軍は都市を陥落させることすら考えていたがオーイタが予想以上に抵抗したため、シコク地方になおとどまるルタオ人(数は少なかったがオーイタ南部の同胞と)の蜂起もあって、リウは撤退しなければならなかった。

 その頃フクオカ市は非常に大きな体制の変化に見舞われていた。
 ヒロシマ人間で内戦がおこった。その中でも台頭してマツモト・ヤスシ(2460-2508)という人物であり、2531年に民会を廃止して王政を敷いたギオの父親である。ヤスシは「監査官」という称号を名乗って民会に参加し、総督を傀儡として国政を牛耳った。彼は全ヒロシマが唯一の国の元に統治されるべきだと考えており、そのためにはヒロシマ地方の万民を服属させなければならないと考えていた。
 ヤスシはそのために西ヒロシマ国を征服することを思い立った。

 リウの子であったタイヤが即位した。中央ヒロシマ国とも連携をとって、フクオカ市と対峙した。タイヤは自分の出自を誇るあまり、親戚であるシューミを冷遇していた。

 シューミはシンの子ではあったが、血縁関係はなく、側室の一人、サエキ・ウメコ(2409-2490)の連れ子だった。ウメコは元々酒場の踊り子という低い身分の女性で、民衆や臣下からは快く思われていなかった。特にタイヤの母アキヤマ・イズミ(2404-2457)はシューミを何度も殺そうとした。成人してからシューミは山間部の徴税を担当する低い役職に甘んじており、タイヤも王族間のこうした格差を黙認していた。そのためシューミはクーデターを思いついた。
 2490年シューミは即位すると、復讐せずにはおかなかった。タイヤを幽閉すると、王位についた。それはあまりに強引に行われたので臣下の中には王位を認めないものもいた。そのらめ宮廷を舞台に政争へと発展した。一部は
 シューミはウメコとつるみ、イズミの墓を掘り起こして凌辱した。またタイヤの記録を抹消するため、石碑や史書から名前を削り、彼が建築に関わった建物を解体した。シコクで反乱が起き、独立してしまった。シューミはしかし弾圧することに執念を燃やし、ほとんど無策。

 2490年、フクオカ市はヤスシの指揮のもとにシモノセキを奪取した。この際市民の中にはもう一度これを独立した都市として復興させようと提言するものがいた。これに対しヤスシは、
「今は弱肉強食の世の中であり、かつての理想や大義は役に立たない。強く大きな国を建てることだけが正解だ」
 とさらに西ヒロシマの領内に攻め入った。シューミは隙をつかれてしまった。
 シューミは山間部に立てこもり、兵糧攻めに入った。シューミは決して降伏する色を見せなかったが、やがて投降者が続出した。

 マツモト・ヤスシは彼に、諸侯としての待遇を与えることを約束した。シューミはそれを拒んで十日、自害した。こうして西ヒロシマ国全土はフクオカ市の笠下に入った。しかしシコクは反抗し続けたので、オーイタやルタオとめぐって終わらない争奪戦が続くことになる。