考えているときは、考えていない

 目の前のことを一旦やり終えてから、忘れていた課題を思い出し、しまった、このことをやっておけば良かった! と後悔することが本当に多い。パソコンやスマホに触れていると、避けては通れないことだ。
 考えているときは、考えてない。逆説的表現かもしれない。しかし実際、ある一つのことにつきっきりになっている時は、他の別の問題に対する思考はすっかりおろそかになってしまっている。
 そして、終わって冷静さを取り戻した後は、また自分がやり遺していたことに気づき、後悔する……その連続だ。
 この後悔を完全になくすことはできないかもしれない。けれど減らすことはできる。

 そのためにはメモするのが大事だ。これから書くべき内容をあれこれ焦りながら思案しても、いい物なんて思いつかない。だから自分がこれまでどんなネタを思いついていたか、手帳やメモ帳の過去の書き込みを読む。そうすることで、ようやく自分が一体何をすべきで、何がしたかったのかをはっきり把握することができるのだから。
 だから、途端場で焦ってもいいことなんてない。焦ったらまず過去の自分が何を書いていたか読んでみよう……となるのはいいけど! 手帳、ページとか日付とか全然考えずに書き散らしてるから必要な内容がどこにあるかわからん! そっちの方が一番自由でやりやすいからないんだよ。体系立てて書くと
 心理学用語では研究者のツァイガルニク効果と呼ぶそうだね。どう書き進めればいいのか分からなくて中途半端な所で終わらせても、時間を置いてからまた書き始めると何を書くべきか分かるようになる。小説を書く時には特に実感することだ。全力を出すのは必ずしも最善の策ではない。

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 ひらめくのは基本、考えることからもっとも遠い所にある時に起こるものだ。アルキメデスが金貨の真偽を割らずに確かめる方法を発見したのはお風呂に入っていた時のことだし。
 ひらめきがどんどん起こる人間こそが一番素晴らしいんだけど、僕はなかなかそんな風にはなれないな。そのひらめきに一番出会える場所と言うのが、実は寝覚めの直後だったりする。

 まだ眠りから覚めたばかり、いまだ気が確かでない頃、人はもっとも考えているのかもしれない。強いて何かを考えなくても、頭が勝手に色んな事象について考えてくれているからだ。少し前、この現象が好きで、僕は恍惚とした状態に意図的になろうとしていた。夢の中の情景が一瞬だけ目の前に現れるのだから。
 でもそれは決まって、あまり起きてほしくない時にばかり起きる。例えば電車の中で、徒然草を読みあぐねながら、立っている時とか。その時ばかりは、自分の身に降りかかっていることに抗おうとしてもあらがえない。寝るべき時でもないのに、ついつい寝てしまう。実際、僕は夜寝るのが一番難しいのだ。

 夢の内容は支離滅裂だ。そこで思い浮かべる字句も、見える光景も非現実に満ちている。これこそ創作の源泉だ。メモせずにはいられないものだ。