短歌、それは春秋の筆法

 春秋とは、中国古代の年代記である。伝説ではそれは孔子が書いたことになっている。春秋はそれ自体非常に簡潔な記述からなっており、そのため多様な注釈が著されるようになった。
「春秋の筆法」とは、一文字、二文字の選び方によって全体の意味が左右される状況であり、それを解きほぐすことによって筆者の意思をも理解することが可能な仕組を指す。短歌も恐らくこれとよく似た思想を持つのではと僕は常々思っている。


 短歌もこれに似たものなのだろう。わずかな言葉の選びで全体のニュアンス、そして伝わり方が変わってしまう。
 これほど凝縮されると、もはや一音節すら全体に等しい力を持っている。だが、狭い分量になるべく意味を詰め込もうとするのは現代人の発想だろう。かつては、感情の吐露こそが歌の本質だった。
 何より数世紀よりも前には「懸詞」という技巧があったのだ。昔の人は一つの歌に複数の意味を込めることに神経を注いだ。ままリズムを整え、言葉同士の関係性を備えることにも余念がなかった。「枕詞」はただある名詞を飾るだけの無意味な言葉だと思われがちだが、実際にはそう軽視できるものではない。

 古今和歌集序にも「鬼神をもあはれと思はせ…」とある通り歌にはそもそも宗教的な要素があり、理屈づくめで詠むものでは本来ないのだ。
 僕が時たま推敲や思考を介さずに一句を思い付くのは、いわゆる天啓と呼ばれる現象が神秘性を失った、残滓めいたものではないのか。
 これを要するに、短歌というのは本来、技巧を求めるものではなかった。所が時代をくだって人が短歌の存在を客観的に理解し出すようになると、短い尺の中に色んな含みを持たせることに努力するようになる。ここに短歌の本質の一つが現れている、と僕には見える(一貫した文章ってなかなか書くのが難しい)。

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 徒然草は、歌は昔の方が格調高かったけど、今は卑しい調子になっている、と評している(今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ、文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき…第二十二段)。これと似た感想を僕は現代の短歌に対しても抱いているのだろう。源実朝だって、万葉集の歌を理想として、上代の言葉を使って詠んだわけだ(裂けて散るかも)。
 実際僕は古い歌を暗記することに熱中している。古い歌の語彙と文法で詠めるようにするためだ。実際には散文も書けるようになるのが好ましい。江戸時代の国文学者も古風の文章を書くことこそがかつての民族意識を取戻す手段だと信じていたわけだから。
 今ではもはやどれほどの人間が古語に精通しているだろうか。明治初期に出版された橘曙覧歌集の序文がね…本当に失われた技術なのですわ…。
 日本語の文章の移り変わりは速い。百年ほど前の新聞でさえちゃんとした勉強をしないと読解けない。ある意味、千年近くに渡って続いてきた伝統が途絶えてしまったの言える。
 だからこそ古語、ないし文語による創作活動を復活させることには必ず意義があるし、僕がやっていることもそのささやかな活動と言っていい。