フクイのトーホク喪失

ホカイドが2426年にフクイの支配を脱した後、2460年ついでトーホクが独立した経緯は次のようなものである。

 2326年の征服以降トーホクには絶えずフクイ人が流れ込み、トーホク人はフクイへの隷従を強いられた。そのために絶えずフクイ人への反乱が起きていたが、一方でこの地に定着したフクイ人が本国からの支配に反抗して蜂起することもあった。数世代が経つと両者の混血が進み、トーホク人とフクイ人は分かちがたいほどに混在していた。
 2426年以降、ホカイドからの難民がトーホクに押し寄せた。彼らはフクイ人としてのアイデンティティを固く持ったため現地のトーホク人に対して抑圧的であり、再び両民族の対立が激化した。
 この中でフクイからの独立を勝ち取り、古代に存続していた国アキタを復活させたのが再びムラヤマ・ロクジ(2411-2464)である。
 彼らの先祖は旧アキタ国において地主だった。アキタの首都が謎の滅亡を遂げても彼の家は無事であり、フクイ人の侵略に協力して地位を維持し続けた。しかしロクジはそのような先祖の方針に若い頃から反発していた。
 彼は若い頃から武装蜂起を試みており、何回か投獄されていた。二回目の出所の後、彼は山奥へと移住し、密かに仲間たちと反乱の計画を練った。
 ロクジがこの運動を成功させた背景には非常に謎が多い。彼の計画は極めて秘密主義であり、建国に成功した後は作戦に関する企画や内通者との手紙など多くの文書が焼かれたからである。
 2457年七月九日、ロクジは決起した。各地のアキタ人とアオモリ人が同時に行動を起こし、フクイ人の立てこもる城砦を襲撃した。次々と都市を陥落させ、2460年十月十九日には最後の拠点だったアキタ中央官衙を陥落させた。
 戦勝が国中に伝わると、トーホク各地のフクイ人住民は殺された。その死体は川に捨てられ、墓を作ることも許されなかった。国王の銅像や、戦勝や建物の竣工を記念する碑文など、街中からフクイ時代を示す遺物が破壊された。ホカイドのフクイ人が一部は残留を許されるなど比較的穏便な処遇を受けたのに対し、フクイ人の影響が濃かったことへの反動は大きかった。

 わずか数隻の船がハテノ島にたどり着き、トーホクでの異常を知らせた。島に駐屯していたフクイ軍がトーホクに上陸し、アキタ人たちと交戦したが彼らの精強ぶりに圧倒され敗北した。すぐさまロクジはツルガに使者を送り、独立を認めるよう朝廷に求めた。この年即位したばかりの王ニノミヤ・シドーはカンサイでの施政を重視しており、トーホクを維持し続けることに意味を感じず彼らの独立を認めた。
 こうしてアキタの名を冠する国が数百年ぶりに復興したのである。だがその体制は盤石な物ではなかった。彼はアキタ貴族としての血筋を誇るあまりアオモリ人の地位を軽んじた。またインフラや都市行政を担当していたフクイ人が消滅したため生活水準は以前より後退した。
 ロクジは自分以外の勢力が増長しないように、臣下を粛正した。そのため2464年、粛正を恐れた家臣の一人に宴席で暗殺されてしまった。
 ロクジの後継者もほとんどがわずか数年で殺されるなど、政情は安定しなかった。2480年、ロクジの甥タイヘーが混乱を収拾した後道路や河川を整備し、二十年以上にわたって統治したが、晩年はイワテ遠征に多くの財産をつぎこみ、不要な土木工事を行って人民を苦しめた。その秩序を徹底的に打ち砕いたのがフクイ人セキ・ジョージ(2470-2514)による侵略である。

 彼はアキタ入植民の先祖であたが、彼の代にはもはや貧困の生活を送っており、先祖の栄光を取り戻すためにアキタの奪還を思いついた。
 家と土地を売り払い、さらに戦費をまかなうためにオーサカ人やコトウラ人の資産家に金を借りた。そして国中に同志を募るための檄を飛ばすと、フクイ宮廷にまで赴いて自らの意思を力説した。
 帝国の失われた領土を奪還する情熱は、殿上人の間ですらすでに失われていたが、ジョージはこの作戦の有効性を説き伏せることで無理やりこの計画を通させた。2313年の五月にツルガの港から数隻の船がトーホクに向けて出発した。
 当時ハテノ島をフクイ人から奪っていたニーガタ人をも説き伏せ、オジカ半島に船で上陸した跡、洞窟や廃墟に棲みついていた強盗や流民を金で買って味方につけた。
 それからはアキタの村や町に放火し、荒らし回った。だが元から統率にとれていない集団だったため攻撃を受けるとすぐ散りぢりになり、捕まったジョージはハチノヘに連行されて2514年一月十九日斬首された。結局ジョージは当初の目的は達成できなかったどころか、トーホク人のフクイ人に対する憎しみをさらにかき立てただけだった。
 しかしこの事件は決定的な破局をアキタにもたらした。2519年アオモリ地方がアキタから離反し、2528年最後の王ヨシがホカイド亡命に失敗して暗殺されたのをもってアキタは豪族が群雄割拠する無政府状態と化した。

付録 
歴代新アキタ王
ムラヤマ・ロクジ(治2460-2464)
ムラヤマ・ジリエ(2464-2468)
(内紛)
ムラヤマ・タイヘー(2480-2502)
ムラヤマ・シレン(2502-2509)
ムラヤマ・クレム(2509-2521)
ムラヤマ・ヨシ(2521-2528)