何でもできるという期待

 自分には何でもできるという思いと、もうこの先はないんだ、という諦めの両方が心の中でせめぎあっている。元から人は矛盾する生物であって、その矛盾する部分に一種のたくましさや美しさがあるものだが、いざ当事者になるとその矛盾に例えようもない息苦しさを覚える。
 人には、無限の可能性がある。それを信じても信じなくても、自分は何者にでもなれるという確信を誰でも一回は抱いたことがあるはすだ。それはある程度心が成長した後に残続けるか、消えてしまうかするものではなく、ふとした節目にまた蘇っていくものなのだ、と最近は信じるようになってきた。

 一年前に比べて、自分には沢山のことができなくなってしまったし、できるようになったけど、今息をしてるこの環境は、確かに全てが不可能とか、理不尽とかで言いくるめられる所ではないという風に思えるようになってきた。
 すると僕は再び、自分が何かを成遂げられるのではないかという期待(希望ではないだろう)を抱くようになった。
 だが僕は困難な人生を送っている。この困難こそより現実に存在するもので、僕から生きる希望をはばむものそれ自体。

 自分が本当にやりたいことをするにはあまりに障壁がありすぎて、もうそれを乗り越えようとして自分が消滅してしまうのではないかと恐れる。
 昔から不安を感じ続けてはいたけれど、これから僕は本当にやってられなくなるんじゃないかって。
ただでさえ命は短くて、いつぱっと散ってもおかしくないものなのに、もうこの先がない。未来のことにくよくよ悩んでも仕方がないとは言うけれど、僕はそもそも自分に未来がないことを知っている。疑ったことはない。
 僕の才能は僕にしか身に付けられないものだ。それが僕の死によって絶えてしまったら、世界にとってどれほどの損失か。僕の才能を必要としてくれる人、継承してくれる人に出会えなくなってしまうではないかと。
皇帝ネロではないけど、やはり自分は素晴らしい能力の持主だと自負したくなる部分はある。

 結局それが、お金だったり進路だったりと、現実の問題にふとぶつかった時、僕はただの匹夫になってしまうのである。この現実があまりに耐えがたいものであるために僕はほとんど一切の希望を捨てる他はないと信じる。だから僕は結局何もせず、自分の才能を他の人に知ってもらいたい、願わくばより沢山の人間にそれを受け継いでほしいとばかりに、更に自分自身の、趣味の世界に没頭する。現実の問題に対しては何一つ対策しようとも思わないまま。
 こうして自分の未練をだらだらとしゃべらかすには、僕の切実な願いは、誰かのためじゃない。自分のつまらない名誉欲のためでしかない。