ナガサキ抄史

 21世紀末期に大陸からやってきた人間が住み着いた後、ナガサキが大災厄後に記録に現れるのは22世紀中期からのことである。ナガサキはキューシューの中でもっとも栄えた都市であり、『東の星』というあだ名で知られていた。しかし定着した移住民が次第に分裂していくつもの国に分裂すると、ナガサキは南のアマクサ国に併合され、長い間一地方都市としての地位に甘んじていた。
 まだ国としての体裁を整えていなかった都市同盟はナガサキとしばしば武器や農作物の交易で儲けていた。古典期の戯曲作家スダ・センジがまだ奴隷身分であった時、主人に連れられ大陸で人気を博していた劇団の上演を観て演劇を志したのは有名な話である。
 しかしナガサキはルタオ人がもっとも早くに定住した土地としての伝承があり、他のルタオ都市と比べても独立の気運が強かった。また貿易によって膨大な利益がアマクサ政府に吸上げられているのもナガサキ市民の不満を募らせた。

 この現状に異を唱えてナガサキ独立を志したのがワン・シーという人物であり、彼は2256年三月、百人ほどの仲間とともに蜂起したが失敗し、隣のクマモト国に亡命した。
 2267年、アマクサの後継者争いを巡ってルタオ連合軍が都市同盟領に大挙侵攻し、フクオカ市を陥落。当然ながら、軍を駐屯させるための莫大な戦費がナガサキからも徴収された。シーはこの期に及んで、ナガサキの独立は都市同盟の力を借りることによって成功すると考え、都市同盟側の義勇軍に身を投じてルタオ軍に逆らった。これが背信とみられなかったのは、ルタオと都市同盟の民族的な差異が実際には曖昧だったことを示している。
 こういう事情は後世になるほど忘れられていき、25世紀以降ルタオでナショナリズムが高揚するとシーは売国奴として批判されるようになった。

 ナガサキはルタオ人は当時これがキューシュー人への領土の割譲であるとは考えていなかった。これはあくまでアマクサ国内の、ナガサキという一地区の独立を認めたとしか考えていなかった。キューシュー人はその内政を補助する目的で参与したのである。ナガサキへ入植したキューシュー人は大半が大都市ではなくヒロシマ出身者だった。
 キューシュー人が到来した後も人口の大半は多数のルタオ人で、彼らを強制的に追い出すことは不可能だった。それは同盟都市としてのナガサキ市が滅亡する時まで変わらず、結局文化的にナガサキはルタオの一部であり続ける。

 2296年ナガサキはトットリ地方への植民を始める。まだ独立から20年ほどしか経っていないにも関わらず本土の一流都市に並びたいという思惑があった。コトウラ市の建設は先住民の抵抗にあり最初は難航したが、最終的にこの都市は2567年に陥落するまで頑強に持ちこたえ、都市同盟の中でも最強と謳われるようになる。この成功に大きく貢献したのがフクオカ人カヤマ・サイクであり、ナガサキに移住した後はナガサキの軍の調練に携わり、軍事的な活躍を可能にした大きな一因となる。もっともサイクはオーイタに対して融和的な態度で臨むよう民会にしばしば
 2316年、大陸軍がルタオでの内紛を静めるためナガサキに上陸すると、当時のナガサキ民会は自国に駐屯されるのを憂え、オーイタをその元凶として早々と攻め落とすよう要請した。このようにナガサキは政治・経済的な危機を切り抜けていった。
 2324年には七十年以上ルタオ人の支配下にあったゴトー列島を併合するなど、最初から領土を拡張する方針が濃厚。

 しかし政治が安定すると、次第に政治に携わっていた人々も弛緩してしまい、風紀紊乱が目立っていた。それを立て直し、二十年以上にわたる独裁を行ったのがヨネサワ・カズハルだった。

 カズハルは元々弁護士になるため法学を勉強していたが、シコク戦争に際して出征し、シコク戦線で戦っていた。戦争が終結する時までシコクの奥地で止まっていた彼は、終戦の宣言を聞くとヒョーゴに逃れ、さらに命の危険を顧みずヒロシマを抜けてフクオカに至り、ナガサキに帰還した。その時カズハルは自分を戦場に送った政治家たちから冷遇され、政治を改革しようと決意した。
 彼はナガサキにあふれていた格差を是正し、下層民を煽ることによって政治の中心に昇りつめた。2371年には終身執政官に即位。2375年、北部で栄え、シコク戦争でも徴兵を免れていたルタオ名門のツァイ家の領地や財産を没収、国家予算に組み込んだことは民衆の喝采を博した。しかし秘密警察を設立し、民衆には密告を奨励するなど、その体制は恐怖によって無理やり
 2384年、独裁的支配を嫌って蜂起したイサハヤ市を破壊した。政治的には安定していたが、いつ反乱が起きてもおかしくない状態だった。

 2397年十月五日、カズハルが死ぬと、ナガサキの市街で小規模な暴動が始まった。これは税収の是正、腐敗官吏の罷免を求めるもので、政権の打倒を目的とはしていなかった。だが十二月に驚くべき事実が発覚したのである。
 カズハルは生前、膨大な量の資産をフクオカの銀行口座に隠し持っていたのだ。フクオカは、民会の決定によりこの資産を凍結した。
 執政官に即位したカズハルの子、ナオジ――それ以前はフクオカで外科医だった――はこの決定に反対し、シモノセキ、イスモなど反フクオカの都市に圧力をかけた。
 ルタオにもこの騒動が知れ渡り、クマモト国はナガサキ市を支援してヨネサワ家への寄付を約束。他にも様々な小さな条件が重なり、ついにキューシュー全土が戦火に巻きこまれた。
 都市同盟がナガサキを巡って二つに分裂したのである。2399年、反ヨネサワを唱えて自由なナガサキを取り戻すことを名目に『革命同胞団』が設立され、フクオカを拠点にナガサキ派の年を都市を攻撃した。だがこの組織は後フクオカの私兵に堕し、2412年六月一日にはナガサキが用意した偽の和議の場に呼び出され、団員は殺戮された。この事件が露見すると、諸都市はナガサキを絶対に攻め落とすことで一致した。

 ナガサキはヒロシマ人ミヤタ・ルカの支援を受けながらもなんとか持ちこたえたが、2416年、ついにアマクサ国に攻め滅ぼされた。ナオジは城壁が突破される間、屋敷の中で自殺したという。これ以後都市同盟とルタオは幾度となくナガサキを奪い合うがもはやかつての栄光はそこから消え失せていた。