オーイタ抄史

1.フカミ・ナオミチ 2291-2296
2.フカミ・マサカネ 2296-2317
3.フカミ・メイツ 2324-2349
4.フカミ・シトロ 2349-2357
5.フカミ・ザイル 2357-2369
6.フカミ・リスケ 2369-2391
7.フカミ・サトル 2391-2397
8.フカミ・タダスケ 2397-2411
9.フカミ・ガイ 2411-2447
10.フカミ・リュータ 2447-2451
11.フカミ・リオン 2451-2460, 2475-2488
12.フカミ・シクロ 2488-2501
13.フカミ・カネミツ 2501-2511

 キューシュー島の中でもオーイタは都市同盟にもルタオにも属していない点で力の空白地帯だった。
 ルタオ側ではオーイタのことをウェイタ、タフェンと呼んでいた。23世紀以前のオーイタの歴史は杳として知れない。23世紀から少なくともこの地域には一定の住民が狩猟採集生活を行っていたが、彼らはシコクやヒロシマほど政治勢力として結束力や軍事力がなく、また他の民族も記録に残そうとしなかった。オーイタ人がどういう生活を営んでいたか知るには、世紀末を待たなければならない。それはオーイタ国の成立とほぼ同時期と言っていい。
リ・チャンシウはアマクサ出身で、若い頃は無頼の徒だったようだ。長く都市同盟に出向いて傭兵として生きていたが、やがて四十路になって独立勢力となるのを思い立ち2289年、オーイタに侵攻する。シコクの植民市、イマバリ市の要請を受けてフクオカ人フカミ・ナオミチがオーイタへ遠征に向かい、2291年にオーイタに入る。

 二十三世紀初めにおいてすでにルタオ人の支配権は都市同盟以外の全キューシューに及んでいた。しかし、ルタオ人が統治する範囲はいまだキューシュー人の方が多く暮らしており、言語的・文化的に「ルタオ化」がしていくのは少なくとも二十三世紀の終結を待たねばならないというのが学会の定説である。その頃にはキューシューが一つの場所であるという意識が失われて久しかった。
 2270年、ルタオ人はオーイタを占領する。まだ都市同盟の版図にも組み入れられておらず、土着のキューシュー人が都市同盟の支配にも入らず小勢力で割拠していたこの地域はキューシューの中でも比較的未開の地であった。
 オーイタの街を陥したのはアマクサ出身のリ・チャンシウという男。若い頃は無頼の徒を率いて博打にうちこみ、社会の規律にそむいていたが、ルタオ人同士の勢力争いで頭角を表し、三十歳にはすでに大きな傭兵団の隊長を務めあげるまでになっていた。
 チャンシウは都市同盟での争いにおいても兵力をしばしば投入していたが、ついに自分が一国の主になりたいという志を抱き、オーイタ一帯へ侵攻した。
 ルタオ人の東漸運動をいち早く察したのはシコクのイマバリ市である。ルタオ人がもしシコク近くにまで攻め寄せることがあればヒロシマ人と共謀して挟撃されるかもしれないという恐怖があった。
 イマバリ市はフクオカ市に協力を打診した。フクオカ市はヒロシマやシコク以外での植民事業にあまり熱心でなかったが、オーイタ人がルタオ人と組んで都市同盟に反抗するのも厄介と感じ、2274年、オーイタ征服案を民会で議決した。
 チャンシウはキューシュー人がいち早く察知すると、戦時措置として支配下の集落から現地のオーイタ人を追放する。ルタオ人の眼にはオーイタ人も都市同盟人も同じに見えたのだ。
 一方フクオカ市から司令官として選ばれたのはフカミ・ナオミチ。フクオカ奪還戦争でルタオ人と戦った経験のある彼はルタオ人の戦術を知悉している、と目されていた。
 クニサキ半島の前哨戦では手痛い打撃を受けるが、その後はゲリラ戦法を駆使して優勢にルタオ人を打ち破っていき、最終的にチャンシウに休戦を受け入れさせる。
 チャンシウはオーイタが取り返せないと悟ると、オースミ半島へ逃れ、さらにはミヤコノジョーに拠点を移し、そこで亡くなった。
フカミはしかしフクオカに帰還することはなく、オーイタに居座る。のみならず、ルタオ人がオーイタに住むことを許し、ほぼ独立都市の体制を創り上げていく。
 オーイタの国家的事業とされるものが図書館の建設である。チャンシウにつき従っていたルタオ人が別荘としたものをナオミチが購入し、自分のための書庫として改築させた。しかし二年後に焼失してしまい、同年、跡地に全く新しい建物として成立し、年々増築を繰り返して規模を大きくしていった。最大で三十万冊が収蔵されたようである。その威容については、2497年に大陸からこの地を訪れた冒険家ヤン・チョンチが書記した旅行記によって知ることができる。

 初期のオーイタ市はまだ都市同盟の秩序中に位置付けられていた。しかし、2297年にフカミが亡くなると、その子のマサカネがその遺言により位を継ぐ。マサカネ自身も父と似て有能な人物であり、チャンシウがオーヨド川を越えてやって来た時も服属させたルタオ人の力を借りて撃退している。オーイタの現地住民は多くが隷属民に貶められた。彼らは法令によって農業に従事できず、そのため金融業などに頼るほかなかった。そこからいくつか、キシモト家などキューシューの経済を左右するほどの財閥が生まれた。
 キシモト・ハルヒサはルタオ人との通訳の父の元に育ち、様々な人間貿易の仕事を生計にして、東はオーサカ、西はインドのパンジャーブまで交易で旅をした。あまりに莫大な財産を残したため、彼の息子たちは相続争いを起こし家運は傾いてしまった。

 2316年、大陸軍がルタオでの混乱を鎮圧するためにキューシューに上陸する。彼らに食糧を供出したナガサキ市がこの原因がオーイタにあると吹聴したため、大陸軍は九月、オーイタを陥落させた。このため数年間オーイタは大陸の占領下に入るが、マサカネ死後の2320年に大陸軍は撤退。彼らが残した物資はオーイタの科学技術を高い水準に進めるのに役立った。またウミムコーからも学者を招聘して古代末期の文献の研究に当たらせた。2319年、二年前に即位したヨシミツはオーサカに使節を送り、君主が名乗る「ソーリ」の称号を送られ、2320年正月にヨシミツは「ソーリ」を名乗り、ここから正式にオーイタが王政へ移行。
 彼自身、オーサカ王族を妃に迎えるなど、世代を越えて厚い関係を迎えた。

 2333年イマバリ市がオーイタ南部のルタオ住民を扇動するために密使を送るが、捕えられ、陰謀が発覚する。オーイタが都市同盟からはっきり離反する勢力となったのはこの時からであり、都市同盟でもオーイタを「極めてオーサカ、フクイ寄りの国家」と記しように。
 2338年、オーイタ市はその後シコクの西沿岸に出兵する。あくまで経済制裁の措置として始まったこの活動はしばらくの間講和のための会議が続いたが、2345年に結局決裂し、フクオカ・イマバリの連合軍がシコクに上陸し、オーイタ軍と衝突する。ヒロシマからも都市同盟の軍隊が迫る。
 これが24世紀最大の戦争であるシコク戦争の始まり。
 オーイタ側はルタオ人(南部ルタオ人に対して様々な特権を約束していた)やヒロシマ人の援軍がいたものの、決して優勢とは言えず、むしろ最初から敗色濃厚だった。とくに2352年にナガサキ市が参戦してからは一気に戦争が激化した。しかし都市同盟側の団結も盤石ではなかった。この戦争ではキューシューはほとんど戦場にならなかったが、一度だけ、2354年五月にオーイタ本土に都市同盟軍が侵攻して略奪を行っている。
 2356年八月一日、フクヤマに駐屯していたフクオカ軍が、ヒョーゴ軍から突然の奇襲を受けて壊滅する。これが発端となって元から食糧や個人的怨恨から内部対立を抱えていた連合軍が次々と敗北し、十二月にはイマバリ市とオノミチ市が陥落。一月に戦争が終わる。
 戦後、オーイタはかなり経済的に困窮してルタオ人から多額の借金をしなければならなかった。そのためルタオ諸国との関係が厚くなっていき、都市同盟に対しては戦争の傷跡もあり、関心がなくなっていく。ただし軍事行動自体は休息せず、むしろシコク戦争後はシコク先住民に命じて奥地に強制移住させる他、2387年から、八年間ミヤコノジョー国を占領してもいる。またオーサカとの交易を優位に進めることやクダリ地方の植民市がカンサイ南部に存在することへの後顧の愁いを絶つため、オーサカにこれを征服させた。オーサカでもやはりオーイタに政治の主導権を握られたくないという思惑があり、そのために都市同盟の残党を討伐して諸国に威を唱える必要があった。
 2397年、ナガサキ市で内乱が始まると、オーイタはナガサキ側につき、反ナガサキ的な同盟都市と対立する側に回った。この戦争が都市同盟全体に波及し、予想外に長く続いたため(2416年、アマクサ国がナガサキ市を征服して終結)オーイタはシコク部分の領土を防衛し、北部から侵入してくる同盟都市にも対処することにも懸命だったために財政が破綻してしまった。このような事態はオーイタの立地からくる宿命であった。

 2444年、イマバリで給料の未払いを理由にヒロシマの軍人たちが蜂起した。これは数ヶ月で鎮圧されるが、その際動員されたのは同じヒロシマの兵士だった。そのため、ヒロシマ人たちはこれによってオーイタへの反乱が不可能ではないことを知り、2557年にはヒロシマ人はオーイタの圧政から解放することをシコク人に約束して連合し、七月にはオース庁舎は占拠。その後数ヶ月でオーイタがシコクに持っていた領土はことごとく消失した。2462年にはイマバリ市民の子孫がイマバリに集結して復活イマバリ市を建設したことでオーイタは二度と立ち上がれないほどの傷を受けた。
 この痛手を王の責任として2460年、王の母系祖父、ナカムラ・セイゴがリオンを廃して自ら王に就く。だが2475年に暗殺され、再びリオンの番。だがその途端南部のルタオ人が貢納を拒否して他のルタオ人君主についてしまい、もはやかつての栄光はどこにもなかった。

2508年、首都オーイタが陥落する。図書館も焼かれ、多くの史料が散佚してしまった。最後の王、カネミツは命からがら逃げのび、シコク沿岸、山あいの土地に数百人と引きこもって再起をはかる。
 しかし2511年、フクオカ市が派遣した暗殺者によりカネミツが殺害されることでオーイタ国は滅ぶ。この後オーイタの土地は塩がまかれ、五十年間人の住まない廃墟に。
 のちこの地には南部からルタオ人が移住し、都市同盟系やオーイタ系の住民は消滅。もっともその頃にはルタオ人の勢い自体が衰えていたためこの変化はその時北部で支配的な力を持っていたヒロシマ人を脅かすには至らなかった。