ナカジマ・ミソル

中島美雪、2601-2627

 ヒロシマの聖女と呼ばれ、後世日本全土を覆う聖女教の教祖となった人物。彼女自身はキリスト教徒の出身だった。親がおらず、元は孤児として教会で育っていたが、物心つく前からすでに神々しい雰囲気を身に着けていたと記されている。小ヒロシマ地方の、オータ川の川沿いに住んでいた。

 2610年のある日、山中で祈っている間に突然天使からの託宣を受け、真実の宗教を人々に伝えるように命じられる。彼女は最初自身の正気を疑い、知り合いの修道士に自分の体験を告げた。
 すると修道士は彼女はイエスやムハンマドを継ぐ新しい預言者であり、その啓示は神の本来の信仰を復活させるためだと告げた。必要なものだと天使は告げた。そこで彼女は身辺に密かに布教を始めたが、受入れられず、最初は狂人扱いされた。しかし彼女が持つ不思議な力には誰もが認めざるを得なかった。
 ミソルは病人を手に触れて癒すなど、多くの奇跡を起こした。彼女はそのために嫉妬した当時の中央ヒロシマ王に命を狙われ、2622年二百人の信徒たちとともにフクオカ国に逃れた。
 2623年、ここで新たに天使からの啓示が下り、武器を執って戦うように命じられる。ミソルはそのため2622年フクオカ王マツモト・アルム(治2596-2637)に謁見して教えを時、国を護り、またニホンの統一を再び実現させることを受諾させた。アルム自身も国内や征服地に神殿を建て、祭司を置くことを認め、ここに聖女は剣を取ることになった。
 アルムに宗教的情熱があったかは疑わしい。彼自身は改宗することはなく、ミソルを戦争のための都合のいい軍勢だと考えていた節がある。
 あくまでも彼女が生きていた頃には、信者はごく少数であり、新興宗教の一派以上にはみなされなかった。最初から聖女教が確固とした権威だったわけではない。しかしミソル自身はそれを伝道活動の中心であると考えていた。

 彼らの間には、海外諸国からの脅威に対して、かつて存在したニホンという秩序を回復しなければならないという危機意識があった。だが世俗の君主は政治や戦争に忙しく、決して団結しなかった。
 ミソルは国を作ることには興味がなく、宗教という一段階高い次元から民族の大きな紐帯を結ぶことが目的だった。しかし同時に極力戦わずに相手を降伏させることにもたけていた。聖女はニホンの精神的統一のために『異邦人』であるルタオ人の元に赴いた。

 2624年当時、かつて都市同盟の一つだったナガサキ市は再びルタオ人の支配下にあったが、同じルタオ人の街であるアマクサやクマモトの攻撃にさらされていた。聖女は武装せずにナガサキ市を平和裏に開場させた。彼らの信仰の自由も保証した。
 この際信徒の伝承として有名なのはイナサ山での経験。彼女は人目を避けて祈っていると、神の姿を見た。そして天使を通してではなく、神から聖なる使命を聴かされ、再び地上に降ろされた。またナガサキではモスクもあったが、

 こうした手柄に、中央ヒロシマ国も聖女の力を認めざるを得ず彼女が国内を通過することを認めた。ミソルがもはや単なる蜂起ではないことは誰の眼にも明白だった。
 こうしてカンサイ地方にも伝道を始めた。新オーサカ王にも使節を送り改宗を求めた所、国王は彼らに土嚢を担がせて追いかえしたが、使者たちはそれをオーサカの土地が聖女に降る証だと考え、更に士気を挙げた。

 2627年八月十五日、オーツの戦いで新オーサカ軍と戦うが、敵兵の奇襲を受けて危機に陥る。ミソル自身も剣を振るって戦ったが、突然姿を消し行方不明となった。そのため聖女軍は勢いを失い、敗走する。しかし二十日の深夜、突然兵士の中に舞戻り、再び気力を取り直して新オーサカ軍を撃退した。
 聖女は戦いの後で信徒たちに説法し、五日間姿が見えなかったのは預言者エリヤと同じく、自分が神の元に取り去られるためだと語った。
 そして最後の審判の直前再びこの世に戻るまでは、神の右から地上を見守っていることを告げ、再び姿を消した。それが聖女の起こした最後の奇跡。

 啓示が途絶えたために、信者は彼女の残した啓示から教義を展開せざるを得ず、こうして聖女教の宗教としての形が整って行った。
 重要な聖典である彼女の言行録はその賜物。

 聖女教自体は当初、ニホンではごく少数派でしなかった。この宗教がさらに信者数を増やし続け、ニホンの三分の一の地域に広まるのは数百年後。