なぜ君は文章の段落を下げないのか?

 noteやweb小説を見ると段落を下げていないのがままある。確かに行間を開けるといった工夫はネットならではのものだが、段落を下げないのはどう考えてもおかしい。コメント欄やメモみたいな簡易な文章なら分からなくもないが、一定の記事というレベルに達した文は段落を下げる必要があるはずだ。
 ちゃんと型を整え、推敲を経た文章には本来、一定の規則があるはずなのに。それを守らないのはなぜだ!?

 紙に文章を書くことに慣れているかどうかは大きな分岐点だ。
 今まで紙の上に文章を書くことに触れてこなかった人間か、文章を日頃から紙の上に書きなれている人間か、分かるような気がする。紙の本に慣れた人間は、web上でも紙の文章に従って書こうとする癖がある。
 webでは多分紙の上みたいな文章を書いてもそんなに読みやすくない。小説でしばしばある程度の文章をつづった後に一行空白にするのも、最初は抵抗があったが、今はそれに慣れた。事情が全く違うからだ。
 web上の文章は、異なる常識が支配していることを学ぶ必要がある。

 noteでは普通に改行すると一行開く。すぐ下に続けるにはshiftキーを押さなければならない。それを知ってか知らずか、常に一行開けながら文章を書いてる輩の何と多いことか。一体彼らは整然とした文章を知らないのか? 自分の書いた文章の見栄えをより改善させることができるのに。もう読まれてるから、そんなことを考える必要がないのか。ここら辺はもう気にしちゃだめな所なんだろう。
 
 でもコメント欄ならともかく、ちゃんとした記事の時は少なくとも段落を下げろよ。それすらできないと書く人間の品性疑われるぞ。
 
 何というか、こういう所で本人の教育ってうかがい知れるような気がしてならないんだよな。ツイッターだと句読点すらつけない人間もいる。文面からしてそれが意図的なのか、本当にそんな感じの文章しか書けないのか、分かるような気がする。

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 文章からして人間性が分かるのか。何だか複雑な気がする。
 そもそも文章は簡単に書けるものではないのだ。上手く、格調高く書くにはそれなりの時間と技巧が必要になるはずなのだ。けど、文章は基本的に誰もが身につけるはずの技術、というイメージが定着しているから、ついつい特殊能力という感じには思われない。
 言語の理解は、人間の心の深さに直結しているのだ。
 絵の場合は最初からきちんとした能力がないと描けないという理解が一般的なのに、文章の場合はあまりそういう巧拙の問題は議論されない。なぜか、誰もが平均的な書く力を持っているように理解されてしまっている。それが前提としてみんな文章を書くんじゃないかと。でも読む方にとってはどうなのだ。

 今ほど文章が多くの人間に書かれ、読まれる時代はない。けど、その分質の低い文章が目につくようになってしまっている。しかもそういう文章の方が目立つ。ちゃんとした校閲や編集を経て出版された本を読む方がずっとストレスが少ない。これじゃやはり、文字を読み書きできる人間は多くない方が良いんじゃないかと思うほどだ。

 確かにそんなこと言って文章にいちいちケチをつけていては書く力も読む力も身につかなくなるのは分かるんだけどさ! 言葉は神聖なものじゃない! ……文章が踏みにじられているような気がして厭わしい。