マツモト・ギオ

松本義雄
2492-2540

 マツモト・ギオはキューシューの政治家、軍人である。2531年にフクオカ・ヒロシマ国を建国した。

 フクオカ市にて、マツモト・ソーヤの子として生まれる。祖先はウミムコーの流刑囚、元はアンドン共和国の貴族であるという。

 ソーヤはフクオカ市に移住したヒロシマ人の三世である。南部の異民族であるルタオ人を攻めて、多くの都市を服属させており、国内ではかつて唯一の立法機関だった民会を傀儡として多くの政策を決定し、フクオカの事実上支配者となっていた。それゆえ、本来のフクオカの市民からは憎まれていた。
 2512年七月五日、ソーヤは宴席で政敵に襲われ重傷を負う。死の間際にギオの足元にすりより、小声でささやくよう、

「もはや都市同盟はヒロシマの癌と成果てた。お前は彼らを滅ぼして新しい国のもといを築いてくれるか?」

 ギオにとってこの言葉は終世、彼の行動原理となるものだった。その場で斬殺された男はヒロシマ人でありながら、民会議員と密通して賄賂を受取っていた。これ以降、彼は都市同盟を滅ぼす必要を強く覚えたのである。

 2525年、ずっと北部からの圧力に耐えかねていたルタオ人は合議を開いて大陸から派兵要請を引き出すことに成功した(第一次大陸戦争)。ギオは彼らの攻勢を食止めるためヒロシマの諸侯とも連合して抵抗した。
 ギオは名声を獲得し、「ヒロシマの鷹」という異名で呼ばれた。この戦争で西ニホン全体が荒廃してしまい、ルタオ人は大陸人の同胞として憎まれるようになっていたから、ますますこの男がルタオ人を海に突落とす役目として期待されるように。

 2530年十月、大陸軍が撤退すると、ギオは民会議員の無能をなじり、これからは自分が王として君臨すると宣言した。そのため議員達が2531年三月から七月にかけて市内の主要施設を占拠し蜂起したが鎮圧。九月二十日についに民会を廃止し自ら王位についた。このフクオカ・ヒロシマ国は聖女教団に併合される2638年まで存続する。

 2540年、再び大陸軍が侵攻した(第二次大陸戦争、~2546年)。この時ギオは報告を聞いた時、以前から悪化していた頭の傷口が破裂して死去。王位は子のレシンが継承した。