見出し画像

冬、会津にて

盆地の冬は冷え込む。冷気は山々に閉ざされ、わずかな平地に沈み込んでいた。布団から身を起こす。湯たんぽと毛布の温もりだけが暖かい。炬燵のスイッチを入れてから、顔を洗おうと廊下へ一歩を踏み出すと爪先から激流のように冷たさが全身を駆け抜けた。一気に目が覚める。

ここ何日かで一気に降り積もったという雪は、春になるまで溶けることはないのだろう。会津の冬は長い。雪融けを待ちて静かにただ忍ぶのは、人間も動物も草木も同じこと。そんな季節にわざわざ足を運んでしまうのは、その滞留した山あいの空気をたまらなく吸い込みたかったからに他ならなかった。

朝食を食べ終え、温くなった炬燵でローカルニュースを見た。時計の針は8時半を回った。列車の時間は9時半過ぎ。今日の宿はそれほど遠くない。それまでどこに行くか、ぼんやりと考えてはいたが、あまり思考がまとまりそうもない。行きたいところはあるのだが、この雪の中を歩いて行けるか不安もあった。少し酒を飲もうかと瓶を手繰ったが、昨日で全部飲みきっていた。やむ無く着替えて、まあどうにかなるだろうと出立することにした。

廊下は薄暗く、古時計だけが小さく音をたてている。重く軋む音をたてながら帳場へと向かう。廊下の先の玄関は、まばゆいばかりの白。雪がガラス戸越しに光を差し、誘われるように帳場へと至った。程なくして女将さんがやってきて、昨晩は積もりましたねえと淡々と言った。話好きの大女将もそこへ顔を出すと、帳場で話に花が咲いた。

それからまたしばらくして彼もやってきた。彼とは、偶然にも同日に宿泊したTwitterの相互フォロワーだった。彼も加わると、雪かきも担い手が減った、この町の除雪車の腕はいい、そんな話を会津訛りを交えて大女将は大いに語った。外からの冷気で冷え込む帳場もこの時ばかりは暖かい。

女将と大女将に見送られ、宿を発った。曇り空から小雪が舞っていた。駅までの道のりを彼と歩く。彼とは前日の夜に顔を合わせていたけれども、特に今日の出発を待ち合わせていた訳ではなかった。列車の本数は限られているから、何となくまた出くわすだろうとは思っていたけれども。滑る路面に歩幅を小さくしながら歩いた。

駅に着くと、地酒の自動販売機があった。売店でコインを買うと、お猪口一杯ずつ注いでくれる。とるもとりあえず、一杯飲むことにした。注いで戻ると、彼もコインを求めて売店へ。そして、ささやかな乾杯をする。

ネットでかねてから知っていた方と、冬の会津で遭遇するとはいささか奇妙な縁を感じる。それこそ雪が見せた白昼夢のような感覚である。それでも話すと、ああ確かにこの方なんだなあと勝手に独りごちて、不思議な感慨に耽った。会津の地酒、国権の味がひときわ美味しく感じる。ここに行きたいんですけどね……とスマホの画面に指差す。行けますかね、行けるんじゃないですかね、彼とそんなやり取りをしながら列車を待った。

やがて改札が始まり、列車に乗り込んだ。連休中でそれなりに混雑していたが、ボックス席に座ることができた。対面で座り、しばらくして列車は動き出す。町の景色はあっという間に遠ざかり、一面の銀世界に変わる。川があって、山があって、田んぼがあって、その全てが眠っている。その景色を自分は眺めていた。それからはっとして、ちらと隣を見た。彼も車窓から景色を見ていて、いつの間にか酒の小瓶を手に持ってちびりと飲んでいた。なんだかほっとした気持ちになって、それからまた車窓の雪景色を眺めていた。今はきっと、同じ景色を見ている。

しばらくして、彼が降りる駅のアナウンスが流れた。何人かの乗客とともに席を立つ。別れ際に何て声を掛けようか迷って、「良い旅を」と自分にしては幾分きざな台詞を吐いた。彼は間髪入れることなく「またどこかで」と返した。それだけで充分だったのだと思う。列車の扉が開くと、暖かな車内の空気は外の冷気にかき乱されて、雪で覆われたホームに彼は降りていく。反対側のボックス席から彼のことを目で追った。ぼんやりと人影が見えた気がする。それが彼なのかはっきりしないまま列車は動き出す。

ホームを発った列車は木々を抜けて、また一面の雪原の中を走る。自分はこの冬の一時をまだ本当のこととは思えないままに、車窓を眺める。山あいの空気はただひたすらに澄んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?