見出し画像

沖縄から鎌倉

 20代の時に幼馴染に電話をして今どこに居るのと尋ねたら久高島に居ると言ったので
どんな用事で?そして久高島ってどこって聞いたら沖縄から船で行けると。
幼馴染の知り合いの方の娘さんが久高島の学校に通っていると。山村留学の様な場所だとその当時から教育に興味があった私は
呼ばれた!と思い次の日沖縄に行き1日沖縄で止まり次の日の船を待った。

次の朝
船に乗り久高島に行った
船場まで幼馴染は待っていてくれた。

そして公民館に行き荷物を置いて幼馴染の知り合いの方や山村留学の代表の方と挨拶をしてひとりで久高島を散歩しに出かけた。

途中海岸沿いでおばぁがワカメのようなものを集めていた。

勿論はじめて会うおばぁで
私はなんだか話したくて
おばぁに近づき挨拶した。
おばぁが遠くから来たか!みたいなことを聞かれた
おばぁとチョコレートを食べた
おばぁが戦争の話をしてくれた

私はこの島を一度も出たことないさ!
一度もないと

その後戦争でこの島を離れた
でも一度も島をでてないと

ふと思った

おばおの心はずっとここにあったんだ!

なんだか泣いた記憶がある

おばぁと別れて私は島の奥まであるいた
その時
神様に喜ばれた気がする
出来をやらかした。

そしてまた島の反対を歩いた
すると公民館近くのあずまやに
1人のよく日に焼けたにいにいがいた!

はじめてあったが
また私はニイニイと話しかけた

話してるうちに
ニイニイが言った僕は人が苦手なんだと
どうやら都会の人だった。
でもにいにいの背中は人を待っていたさ!
と話すと面白い子だねと
いっぱい話をした

ニイニイは本を書く人で
親は有名な政治家だから
名前は明かさないと

でもニイニイはにいにいさ!と私
ニイニイはそうだねと!
君のことは忘れないと
私もニイニイのこと忘れないさ!と

話に夢中でそろそろ帰らないと
幼馴染が心配するな?と

そして
ニイニイにさよなら告げて公民館に帰ったら案の定お姉ちゃん帰るの遅いと

その晩私の為に
うちうちで会食を開いてくれた

そして大学の卒業旅行に来ていた学生さんを誘い皆んなで語った。

ある学生さんは調子を崩して寝ていると
なんだか居ても立っても居られず
彼女のところに行って少しさすって上げた
すると彼女は急に泣き出し私は父が嫌いなんです母を大切にしない父が嫌いだと、彼女は色々なことを話し出した。
その話を聞き貴方は優しいんですねて
そしてさすっていたら急にぐうぐう寝てしまった。
よく朝元気いっぱいで次の場所に行ったと聞いて嬉しかった。

いっぱいいっぱいお母さんを思ってためていたものが久高島で爆発したんだね。

そしてお父さんも好きなんだよね。

あれから20年はたつ
彼女は元気かな?

夜公民館をでて
ほったて小屋に幼馴染と知り合いのお母さんが三線の仙人の様な人に合わせてくれた

その時三線の若い女のお弟子さんがいた

話が和んでいた矢先
即興で歌ってみーさ!と
仙人がお弟子さんに言った

お弟子さんの後に
私に歌ってみーさ!

私は三線に合わせて
海の上を歩き
空の上を歩き
みたいな歌を歌った

仙人に褒められて幼馴染の知り合いも私の仲間だね貴方は繋がっている人だと
よくわからないが喜んでもらえた。

この度に来る前から太鼓・太鼓と
インスピレーションが言っていた。

すると公民館に立派な大きな太鼓があった
そこで働いている名前を忘れてしまったが
彼女のお姉さんが東京で太鼓をやっていると
私は興味深々でお姉さんを紹介してもらった。

久高島の公民館の屋上に上がると久高島の端から端まで見えた

あぁ何もないけど全てあると

思った。

帰り際

久高島で働かないか?
とお誘い頂いたが私はお断りした

久高島を出る時
幼馴染が船場まで送ってくれた



その時の写真を幼馴染が撮ってくれました

久高島から私は東京の青山に行きました
友だちの家具屋さんに寄ると友だちがこの裏に岡本太郎記念館があるよ
面白いから行ってきたらいいよと

私は早速荷物を預かってもらい
岡本太郎記念館に行きました
すると2階に岡本敏子さんが
1日限定の久高島展をしていました
えええ!
私いま久高島から帰ってきたんですと
ニコニコ敏子さんが笑顔
あら!そうなの?

凄いわね!と

それが岡本敏子さんとの出逢いでした
その時知ったのか
何かの本で書いていたのか?
少し記憶が定かではないのですが
岡本太郎さんも久高島は
何もないけど全てあると
語っていて驚いた記憶がありました

それから縁があり岡本太郎さんのパートナーの岡本敏子さんに何度かあった事があります。大阪の中之島の画廊に岡本敏子さんがこられるから一緒に行かないと友だちに誘われて私は彼女と画廊に訪れてすると目をキラキラさせて魂が爆発した笑顔に岡本太郎さんと重なってみえた。その時敏子さんは私オオサンショウウオの絵本が描きたいねと目を輝かせながら言われて、でもね私オオサンショウウオの目を見たことないのだから目を見てみたいの!と。えぇ!私最近見ましたよ!京都の鴨川で歩いていたら知らない叔父さんに呼ばれてあんたラッキーやなとオオサンショウウオがいると教えてもらって私オオサンショウウオの目を見ましたよ!えぇ!どんなのだったと!?聞かれ岡本敏子のキラキラした目を見て空気が読めない私がなんだか言っていいのか?悩んで本当の事を伝えられず

その時期メキシコから岡本太郎さんの無くなっていた作品が見つかりその作品をどこに
展示すればいいかしら?と
私に聞かれました
私は咄嗟に中之島公会堂はどうですか?とか言った記憶があります。

そして私は岡本敏子さんに目の真実を伝えられなくてそれが気になり再び大阪から東京の青山にそれだけ伝えに行ったんです。

駅を歩いていると
岡本敏子さんと大阪に同行されていた
マネージャーの様な方が通り過ぎて
あぁ敏子さんのマネージャーさんですよねと
いぇ私は画廊のものですと。
あぁそうだったのですか?
大阪の画廊ではどうもなどといい
私は今から岡本太郎記念館に敏子さんを
尋ねて来ますと。
岡本敏子さんにアポも取らず神の計らいがあれば必ず会えると知っていたので
するとやっぱりいるんですよ

敏子さんにオオサンショウウオの目のことを伝えに来ましたとオオサンショウウオの目は敏子さんと同じ目をしていましたと。伝えたら涙が込み上がってきました。するとあなた太郎に呼ばれたのねと。明日川崎市岡本太郎美術館の5周年パーティに来て下さいと招待されました。

青山の記念館のコーナーにスケッチブックが置いてあり皆んな岡本太郎になりたい岡本太郎になりたいと書いてあり私は???岡本太郎になるのではなく自分は自分にならなあかんやろう!己は己になる。みたいな事を書いたら記念館の館長さんがここで働かないかと言われた。何が言いたいかと言うと「いま・ここを自分が自分で生きろ!」と私は言いたい。芸術は爆発だ!なら人生も爆発だ!誰にでも道は開かれる。歩いて行けば!私は特別なコネがあって色々な人の縁があるのではない自分から進んで行った先に縁が出来る。
行動した先に必ず道が開けることを
私は自分の経験を通して本当に素晴らしい経験をさせてもらっているから感謝しかないんです。
誰にでも同じ可能性はあると私は思うのです。


久高島から帰って来て
私は親友に自由が丘の葉祥明ミュージアムショップ「JAKE HOUSE」に連れて行ってもらいました。「JAKE HOUSE」の扉を開くとそこにはまたまた目がキラキラ輝いた泰子さんがいて第一声があっ「オペラ歌手の方ですね?」と。
え!いや声楽は習ってマスが違いますと
そこから泰子さんとは仲良くさせて頂き
お話も弾み
泰子さんは葉祥明さんのお姉様で

いつもニコニコ
絵本の読み聞かせもしていて
皆んなのアイドルだったと思う。

真坂
あんなに早いお別れがあるなんて

私の携帯が何か急いでいるように

受けると「JAKE HOUSE」のスタッフの方から泰子さんが亡くなったと。
スタッフの方はかなり取り乱していて
私もあまりにもの急な出来事で
涙が溢れて
慌てて大阪から泰子さんを送る会に東京まで出向き泰子さんの頬に触れてお別れと有難うを告げました。
その時に息子さんの重見さんとはじめて会ったんです。勿論葉祥明さんとも


今回知り合いの方に、北鎌倉がいいと教えて頂き
円覚寺から建長寺に行く間に葉祥明美術館があったんです。
前々から一度おと連れたいと願っていた
葉祥明美術館!
展示会がなんと
葉祥明さんが姉泰子さんに贈った
再び会う日のためにの作品が展示されていて
涙が溢れて止まりませんでした。

受け付けのスタッフの方に
生前泰子さんに可愛がって頂いたんですと話したら奥から葉祥明美術館の館長さんの泰子さんの息子さんが出て来て下さり。

北鎌倉で、息子さんとも愛えました。真坂!目的地の近くに美術館があるなんて
絵本作家の葉祥明のお姉様に生前可愛がって頂きました。本当に光☀️の人でした。
念願の葉祥明美術館にこれました。たまたま葉祥明さんがお姉様に捧げたひかりの世界の原画展でした。またまた涙が溢れて止まりませんでした。
タイコさんとは不思議なご縁でとても優しく
絵本の読み聞かせもされていて、
私に音楽に合わせて踊れるでしょ♪
そして私が自由に踊って見せるとそれはそれは
喜んで泣いてくれました。
タイコさんは優しくてどんな人も愛してくれる様な方でした。
そんなタイコさんの息子さんとお葬式と葉祥明さんの京都でのイベントいらい約20年以上前にお会いしたきりで
タイコさんによく似ていて再び会う日のためにのメッセージを美術館で改めて読んむと涙がうおんうおん流れて。美術館にタイコさんが連れて来てくれたと私には分かる。
タイコさんありがとう😊
また会う日まで。
息子さんもタイコさんと同じく優しいひとでした。
息子さんに、サインをお願いして、、、

泊まっていたホテルの大浴場でたまたま一緒に湯船に浸かっていたマダムに思わずお話ししたら
鎌倉はなんども来ているけど葉祥明美術館はまだ行ったことがなかったから明日主人と行きますねと。なんと!きっと感動して頂けたでしょうか?

神の計らいはいつもユーモアでいっぱいで感謝しかない。ありがとう😊

泰子さんと、「JAKE HOUSE」で会った時も久高島の帰りで私最近太鼓・太鼓と縁があるんですと言ったら私タイコよと。

もう私は絵本の世界に生きているようなと

息子さんにもそういうと
そうだと思いますと

私は何者でもないのです
でも素晴らしい経験をさせて頂いていましてと、重見さんはそれは素晴らしいことですよと
言って下さり。

泰子さんからメッセージ頂いた
そんな気持ちになりました。

20年以上越しの縁で沖縄も鎌倉も娘が一緒で
娘も感動してくれて
いつも私を見つめている目が。

あぁまたいつか行きたいな!

重見さんが、これからもよろしくお願いしますと私が言いたい言葉を下さり嬉しくて嬉しくて、有難う重見さん。


なに?かよくわからないですが
自分に正直に生きていると
こころが軽く楽しいんだなと

久高島で知り合ったスタッフの
お姉様とも東京のお姉様の店で待ち合わせで
お姉様の紹介でTAO太鼓に参加させて頂きました。

太鼓・太鼓
小さいとき
眠りぎわに太鼓の音が聞こえていたんだな。

2024・3・31
うたうタラピ

沖縄から鎌倉
thank you


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?