The Truman Show

トゥルーマンショーという映画を見た事があるだろうか?

トルゥーマンショーはざっくり言うと、高校生の頃に1回位見ただけなのでうろ覚えにはなるが、ジムキャリー演じるトゥルーマンという平和に生きてきた主人公が、ある日を境に実は彼の人生は全て作り上げられた嘘で実際はリアリティーショーの中の架空の人生を歩んでいたという事に気づくというものだ。自分が暮らしていた街もすべて作り上げられたセット。家族も友達もみな演者であった。。。とここまでにしておこう。

私はここ最近ずっとそれが自分自身に起こっている気がしてならない。小さな時から教えられてきた社会のルール・教室で当たり前のように習った事・テレビや新聞に取り上げられる「頭に入れておくべきニュース」など全ての「当たり前」が自分の中で崩れてきている。まるでトゥルーマンのように。


なぜ自分が現実世界のトゥルーマンであると気づき始めたのか?それはこのコロナ・隔離生活が始まった今年、毎日毎日草を吸った結果だ。自分の住むニューヨークでは草は驚くべきことにまだ合法化されてはいない。だが違法でもないのだということを書いておこう。

まず第一に、草が世界で合法ではないという事がまず有り得ない。本当に欲のないお互いがお互いのベストを望むという世界であったら、草は一番最初に合法化されていただろう。草の良いところは沢山ありすぎるのでここでは言わない。調べて欲しい。知りたいことがあったらコメントで聞いて欲しい。

それでは日本を含む世界各国で使用されていた草がなぜいきなり違法だと取り締まられるようになってしまったのか?それはアルコールの取締りに失敗した政府が次に狙ったのが草だったからである。実際の所草を違法と定めた人物も、もともと草に有害性はなく取り締まる必要もないと主張していた。だが、金と権力が絡んだため違法としたのだ。

医療的にもこんなに多くの可能性を秘めた草を日本で合法化したらどうなるだろう?製薬会社が儲からなくなるだろうか?警察が儲からなくなるだろうか?

自殺者が減っただろうか?私の精神科の医者によって薬漬けにされ精神が戻らなくなってしまった統合失調病を持った親戚は今でも元気に社会の一員であっただろうか?日本人がもっとアートや音楽、自然を楽しむ時間が増えただろうか?


社会がいけないというものをもう一度考えてみて欲しい。なぜいけないのか?それは本当にいけないものなのか?それとも金と権力者がいけないというからいけないものなのか?

草を筆頭に、ほかにいくつもの都合の悪い真実が私ら「庶民」から隠されているのだろう?

その金と権力に戦うものが、探索ジャーナリズムというものなのか?

それに気づいた時から私の考える事はいつもハテナで終わる。もうキリがないから今日はここまで。



狂犬



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