統計はじつは意外と人間的

いまは病院を選ぶところから治療法まで、どういう医療を受けるかが患者に任されていて、自ら選択していかなければならない時代だ。でも、選択できると言われても、何を根拠に選んでいいのかわからない。そんなこともあって、
医学的根拠とは何か』という本に興味を持った。

この本を読んで、まず驚いたのは、日本では「医学的根拠とは何か?」という点で、専門家の間でも統一的な考えがまとまっていないこと。つまり、医者によって考え方が違う。

医者の考え方は、直感派、メカニズム派、数量化派の3つのタイプに大きく分けられるという。この本の著者は「数量化」を重視していて、欧米では主流になっている数量化の考え方を日本ももっと導入すべきだ、と主張している。

数量化とは、つまり統計である。統計調査をすることで、病気の全体像がつかめ、原因をつきとめることができるという考え方だ。人間を追跡して、発病の程度を観察するコホート研究もそれにあたる。コホートという言葉は聞いたことがあって、なんか難しそうだなと思っていたけど、要は追跡調査のことだと初めてわかった。

先の3つのタイプのなかで、直感派は自らの体験(のみ)によって判断を下すタイプ。ある意味わかりやすい。直感でもそれが正しければ、いずれ数量化によっても証明されるわけで、単に数量化の手間を惜しんでいるだけともいえる。

著者が問題視しているのは、メカニズム派である。日本の研究はこちらの方向に向かっていて、大きな予算もついているけれど、はたしてそれに意味があるのか?と疑問を投げかけている。

医学が他の科学と大きく違うのは、倫理的に、実際の人間を使って実験ができないことだ。だから、人間の身体のことを調べるには、統計調査するしかない。それが数量化派の考え方だ。一方、メカニズム派は、細胞レベル、分子レベルでの仕組みを解明することで、病気の原因や治療法を発見しようとするミクロのアプローチである。そのため、実験室での研究や動物実験が多くなる。

問題は、それが実際の人間に当てはまるかどうかだ。なんとなく、マウスで観察されることは人間にも当てはまるのだろう、だからマウスで実験をやっているのだろう、と思っていたけど、そんな単純なことではないらしい。思った以上に当てはまらないことが多いようで、その具体例がいろいろ紹介されていた。にもかかわらず、日本の医学部は、動物実験、細胞実験に力を入れていて、それで本当に人間のためになるのか?と著者は指摘している。

因果関係とは必ずしも1対1ではないため、メカニズムを研究しても、単純な原因が見つかるわけではない。だから、ミクロのメカニズムを見るのではなく、実際の人間を見よう。ある条件が「あるとき」と「ないとき」に分けるシンプルな統計調査を使って、経験を共有していこう。それが著者の考え方だ。

統計ってなんか怪しい。これまで、なんとなくそう思っていた。全体のことは言えるかもしれないけど、自分がどうなるかは教えてくれないじゃないか。

それはその通りで、統計は個人的なことは教えてくれない。でも、他のどんな方法を使っても、個人的なことはわからないのだ。断言できることがあるとすれば、直感派の人が自分の経験で判断するときだろう。その判断に自信があれば、統計調査して、確実な科学的根拠にしようじゃないか、というのは確かにその通りだと思った。

いまは医学が調査の役目を担い切れていないので、実質は製薬会社が調査を行うことが多いそうだ。そうなると、自社の製品にバイアスがかかる恐れも出てくる(たしか最近そういう事件もあった)。

もちろん、メカニズム研究からもわかってくることはあるはずなので、研究は続けていってほしい。でも、それには長い時間がかかりそうだ。だから、今を生きる自分としては、中立で信頼できる統計調査もしっかりやってもらって、よりよい判断をするのを助けてほしいと思う。

そういう意味で、統計についてのイメージが変わる本だった。統計はなんでも数字に置き換える味気ないものだと思っていたけど、人間を観察してその経験から仮説を立てることが必要だという点で、より人間的なのかもしれない。そんなことを思ったのだった。

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