マガジンのカバー画像

日本を創った偉人

9
日本を創った偉人達のあまり知られてない偉業をまとめたマガジン
運営しているクリエイター

#飛鳥時代

俺たちは持統天皇のことを知らなすぎた①

女帝【じょてい】 と聞いて、どんな人物が思い浮かびますか? クレオパトラ(古代エジプト) 則天武后(唐代の中国) エリザベス1世(16世紀イギリス) エカチェリーナ2世(18世紀ロシア) マーガレット・サッチャー(20世紀イギリス) メルケル(21世紀ドイツ) etc… 歴史上、強大な国家権力を掌握し、それを行使して歴史的な実績を残した女性はのちに女帝と呼ばれたりします。 ところで、私達が女帝と聞いてイメージする女性って、多くは西洋人ではないでしょうか?

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた①

白状します。 ワタクシ、まったく見誤っておりました。あの偉大なパイセンのことを。 誰のことかって?🤔 厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと聖徳太子パイセンのことです。 何を見誤っていたのか学生時代、日本史を全力でスルーしていた私にとって、正直「聖徳太子」と言われましても ぐらいの認識でした。 「冠位十二階」とか「十七条の憲法」を作ったことぐらいはさすがに覚えてますけどね。第一条の「和を以て貴しと為す」は色んな場面で言及されますし。そんな感じで、旧一万円札の顔になる程度

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた②

前回の続きです。 我らが聖徳太子(太子パイセン)が、内憂外患だらけの日本を、超人的オペレーションでどう立て直したのかを紹介するシリーズの2回目。 今回は「内憂」です。当時の国内がどれほどマジヤバな状況だったかを紹介します。 そもそも太子パイセンの立ち位置って?日本の「内憂」がどんなものだったのかを紹介する前に、まず太子パイセンの立ち位置を改めて確認しておきます👇 太子パイセンは第31代天皇「用明天皇」の長子です。現代でいえば「皇太子」的なポジションなんですよね一応。

俺たちは聖徳太子パイセンのことを見誤っていた④

前回の続きです。 これまでの内容を簡単におさらいしますと、聖徳太子が推古天皇の摂政に就いた時代(7世紀)の日本はこんな内憂外患を抱えていました👇 この難局を太子パイセンがどのような施策で乗り切ったのか、そしてそこから現代に活かせる教訓はなにか。個人的には政治家だけでなく、全ての日本人が知っておくべき大偉業だと私は思っています。 今日は「外患」に対して太子パイセンがとったオペレーションを紹介します。 聖徳太子パイセンの国家構想日本の外患を取り除くために太子パイセンは数々