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奴らは居ンのが当たり前ェ #木曜日ノ木之瀬
『もっけ』が好きだ。
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妖怪とか、目に見えないもの、不可思議なもの、また神社など霊的なサムシングや民俗学系の話を総じて好むようになったのは、完全パーフェクト100%この漫画が原因。
ジャケ買いだった。表紙の女の子がかわいいなー、と思ったのと、中身(内容)がわからん……裏表紙にあらすじとか書いてないし、帯もついてない。なんか裏に妖怪っぽい絵が描いてあるだけだが、それが逆に想像を掻き立てる!と、なんかわからんなりに嗅ぎ取ったのが、正解だったなー。
つーことで時期的には、私のかわいいセンサー真っ盛りだった高校1〜2年のどこかである。
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↑裏表紙
妖怪が見える姉・静流と、憑かれやすい妹・瑞生。『もっけ』はこんな姉妹の成長物語でありながら、同時に妖怪現象を通じて民俗学を現代視点から捉え直す意欲的な試みでもあります。可愛らしくも、閑かに染み渡る優しいストーリー。妖怪研究家の荒俣宏氏や多田克己氏も絶賛!
↑らしいよ(講談社ホームページより)
その主人公姉妹の爺さんが、その辺りのことを専門にしてる祓い師というか拝み屋というか、あらすじはWikiってくださいなんだけど、この爺さんの名言、てかポリシーとして「奴らは居ンのが当たり前ェ」って言葉があるのね。
妖怪、という呼び方は作中ほとんど出てこないけど、そういうのは常に在るし、見えてようがいまいが関係なくて、ただ居る。もし迷惑被ってんなら「拝んで離れて戴く」という態度。
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この考え方(そして描かれ方)にとても感銘を受けたし、しっくりフィッたりきたし、じぶんもそう考えるようになった。
究極言うと、この世界に人間が存在してなくても妖怪はきっと居ただろう、とかおもう。どうかな。「人間が見る思い込みや錯覚=妖怪」というのはあんまし好きじゃないんよ。不安や畏怖が彼らのタネになることはあるだろうけど。
いい奴、悪い奴、というのではない、ということ。ただ、居るだけ。
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印象深いのは「見上げ入道」の話かな。畦道で見つけた影が見上げれば見上げるほど大きくなっちゃう、という怪で、見上げてしまう前に「見越した!」というと消える。みたいな対処法込みで、実際出くわしたときのために覚えておこうと思ったものだ。
あと「鎌鼬(カマイタチ)」とか「大眼(ダイマナコ)」のとか、“話せる奴”の話も深く心にある。奴らにも営みがあって、困ることや喜びや悲しみがある、というのがまさに「当たり前ェ」を感じさせる。この世にあるということはそういうことだぜ。
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つまり『あずまんが大王』とは全然違うけども、この作品も「シン・日常モノ」というふうに私は思っている。だから好きなんだな。
漫画だろうが現実だろうが、ままならないものもあれば、救いもあるんだよ。
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