2021年の振り返り①

2021年は色々なことがあった。自分の記録として、忘れないように残す。

・卒業設計

今年の1番メインイベント。          というか、4年間の集大成のひとつ。

結果は、敗北。

別に勝ち負けはないが、敗北。失敗。

反省点は沢山ある。   

世界観の作り方、見せ方の表現や空間の甘さ、敷地に対するリファレンスなど‥‥。学内講評では、最終15選にも残らずかなり悔しい思いをした。他人が羨ましくて、自分が悔しくて、Twitterとかで回ってくるのに、また嫌な気持ちになって‥‥

そんな感じの卒業設計だったなにか、得たものはあったんだろうか?

卒業設計自体は今を思えば、いい感じにいろんな要素を得てた。

初めは、「障害者に関する施設を作りたい」という意識だった。自分の母親が脳梗塞で倒れてから、「障害者」という人たちが身近になった。

ここで勘違いされたくないのが、自分は別に不幸でもなんでもない。母親が倒れて、障害者でも父のお陰で大学院の進学までさせてもらい、母が倒れたからこそ、世界に対する視野が広くなった。(母親が倒れてなかったら、建築はやってなかったと思うし)

母が障害者だと、街の点字ブロックやバリアフリーの建物、エレベーターの寸法などが自然と気になる。それ以上に気になるのが、

「普通の人が障害者について、どのように接しているか」

障害者は、意外といる。思った以上に。普段は、目の死角の中にいるようで、知らないだけで。

そして、普通の人は接し方がわからない。優しくしすぎることも、時には間違えになってしまうのだろう。

知らないし、わからない。

このことは大きいと思う。それがわかる建物を作りたかった。知るきっかけの建物を設計したかった。

敷地が、都内の団地。なぜここに?とよく聞かれる。答えは、「街中だからだ」。美術館などは、敷地が広いところに設定されてるところが多い。なぜかそれが好きじゃなかった。特別すぎると感じていたからかもしれない。特別ではなく街中にあって、その美術館を出た後街中の死角にいる障害者に目を向けて欲しかったのだ。

次に、「見立て」の研究を行った。磯崎新の『見立ての手法』やアフォーダンスの研究などから、設計の糸口とした。この辺は詳しく話してしまうと長くなるので、ここでは書かないこととする。

卒業設計をしているときに設計の内容がいろんな要素からきていたのだ。4年間の集大成なので、あたりまえなのだが。

実は、作ってみたい建築があったのだ。

「夜中の真っ暗な海のような建築」

そんな建物を作ってみたかった。夜中の海は、なんとも言えない魅力がある。自分の全てを飲み込んでしまう暗さ。波の恐怖とも心地よいとも取れる音。砂浜は、確かな力の流動を感じる。岩場には、色んな居場所があり人工物とは違う身体性を感じる。恐怖も魅力も身体性もあるのだ。「畏れ」(怖れ、敬う感情)ともなる感情なのだろう。そんな建築を作ってみたかった。(『東京カテドラル』・『千鳥ヶ淵戦没者霊園』でも似たような空気を感じた)

元々、そんなつもりはなかった。作りたかった建築によらないだろう。そんなふうに思っていた。だが、プランを考えるとそちらに寄っていく。(敷地との整合性がそこで失ってしまったのかもしれない。)自分の好きな空間へ寄ってしまったのだ。だから、楽しかったのかもしれない。

2つ目としては、夜の散歩だった。

真夜中、案に煮詰まったときに夜の街を散歩をしていた。昼間と違って、忙しい街は鳴りを潜めて人々がひっそりと暮らしている。夜中に働いてる人も静かになる。そうすると、なんとなく街の輪郭がはっきりとする。人がいないから、人や街に否定されてないような気がする。誰も肯定しないし否定しなく、ゆったりとする。そんな気がする。そんな時間と空間が好きだった。

卒業設計には、夜の街を参照した空間がある。

周りの音が異様に聞こえる空間。橋の上を走るトラックの振動から発想を得た。影が融合しとけ、自分の輪郭が変化していく体験から、擬似体験できる空間を設計した。

全く違う空間だった。全く関係ない空間だった。だけど、自分の中で繋がった。

自分の表現したかったもの。自分の憧れで作ったみたこと。自分の好きな場所を参考にしたもの。点のような空間の動作がつながった。

自分の中ではそんな卒業設計だった。

得たものはなんだったんだろうか?

自分は空間でも研究成果でもなく、設計している空間が繋がっていったこと。

関係ない空間が、経験が、繋がって自分の空間として設計出来たこと。

この経験はかけがえのないものなのかもしれない。



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