シン・エヴァの映画を見てしばらく見なくていいと思った理由。

シン・エヴァンゲリオンがアマプラで公開されたのと伴い、話題がちらほら聞こえるので少し思い出しながら書いてみる。

映画を見に行った時、それはものすごく感動した。Qから掘ったらからしにされた約8年を待ち、全てとはいえないが、さまざまな要素を回収して綺麗に終わったなぁと感じてしまった。

映画を見た後に、本当にエヴァンゲリオンは終わってしまったんだなと思った。

間違いなく、今後の人生でも思い出すような名作であったが、同時にしばらく見なくていいかなと思った。

理由の前に映画感想を述べる。一応ネタバレになるので、見てない人はここからは見ないでいただきたい。



映画の終盤のシンジくんとゲンドウの会話をメインに感想を述べる。もちろん最初から色々あったし、様々な感想があったが、今回はここのみにまとめさせてもらう。

シンジとゲンドウの戦いが始まると、2人はセットのような街並みで戦っていた。この瞬間、画面の向こうの出来事がすこし、現実に近づいてきたような感じがした。2次元を引いてみた感じだが、画面内のことという、2次元と3次元のようなカメラワーク、裏方という作品から見えないメタ的な要素だ。

そこから、シンジとゲンドウはようやく会話を行なっていく。(ここも少し割愛させていただく)

ゲンドウとの戦いが終わると、シンジはアスカ、レイを助けにいく。

アスカの心理描写やレイの髪が伸びて待っていたシーンについても、日々TwitterのTLを参考に深く見れるようになってきた。

そして、その最中、画が変わっていた。

アニメの絵ではなく、下書きのような描写も出てくる。これも先程のセットのような場面と同じで、現実に近づいていくような感じがした。

最後、マリが助けに来てシンジ君は現実へと戻る。

最後のホームの場面。アスカ、レイ、カヲル君は向こうのホームにいて、シンジ君とマリはこちら側にいる。最後に駅から出て、走り出し外に出る。まるで現実のような画だった。

この時、アスカ、レイ、カヲル君というエヴァンゲリオンにやって作られたこどもは、向こう側(2次元に戻ったというべきか)にいなくなってしまい、こちら側は現実へと侵入された感じだった。

映画を見た後の帰宅する際に乗った、電車にいた時、まるで、エヴァンゲリオンの登場人物もいるようなそんな感じだった。

創作物が現実と結びつかれてしまったのだ。


このような、圧倒的な終わりというのが、しばらくみなくてもいいと思ってしまった理由の一つだと思う。

2つ目は約8年という時間だった。

8年という時間は長かった。中学生だった自分は、高校受験、大学受験、大学院受験を終わらせ、Qを一緒に見にいき、今回も一緒に見に行った友人は、就職をしていた。そんな、長い時間を重ねていたのだ。

Qが公開された時は、テスト前の大事な時に朝一番に映画館に向かっていた。そこで、みた映画が分からずモヤモヤしたものだが、今回は違かった。ちゃんとした終わりを見せられ2人で感想を言い合った。自分が現実に侵入されると感じた終わりについて、友達は全く違う解釈だった。

セットのように見えたあの場所は、シンジとゲンドウが、お互いにこの世界をつまらないものとして見ていたと言っていた。

この瞬間、「そうかこんなにも違うのか」とハッとした。当たり前だが、8年前とは違うのだ。全然違う感想をもち、全然違う視点から見る。キャラの心情を真っ先に見ている友達と、メタ的視点を気にしてしまう自分がいたのだ。

その時に、8年間お互い全然違う作品を見て、全然違う感想を得るようになっていたのだ。

これが理由の2つ目である。

エヴァンゲリオンを通して、時間と成長を感じたのだった。

別に、友達にシンエヴァの観賞会をやろうと言われれば行くし、ふと来週あたりに見てしまうかもしれない。

けど、映画を見たその日に思ってしまった。

次、見る時に自分はどんな風にシンエヴァンゲリオンを見て、何を感じるのだろうかと。

なんとなく、何年後かのふとしたタイミングに見てしまいたいものだと思った。



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