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バイクを買うということ

 2020年2月、コロナがそこまで猛威を振るう前、同人誌即売会コミティアで「バイクを買うということ」というコピ本を頒布した。自分が初めてバイクを買い、自己都合により手放すまでをまとめた本だ。本文16ページで1冊200円。コミティア3日前くらいから原稿を描き始め、両面印刷は手動という安プリンターで夜なべして製本したショボい本で、20冊足らずしか作れなかったが、幸いなことに完売した。
 その後増刷したがそれ以降の再販予定はないため、このnoteに100円投げ銭していただくとコピ本を読めるようにした。とはいえすでに倍の値段で購入済みの方にも多少はお楽しみいただきたく、以下コピ本の内容をマルっとエッセー化し行間を埋めた駄文を掲載している。文章部分は無料なので、暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。

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 ところで、コミティアでバイク本を購入してくださった方は、私が旅ジャンルで活動していることもありバイクに無縁の方が多かった。ライダー以外に受けるのか不安だったが、意外にも「ちょっとウルっときてしまった」という感想をいくつかいただき存外に感動した。
 きっと誰にでも「愛着のあるものを手放した経験」がある。お気に入りのぬいぐるみ、食器、本、文房具、洋服…いろんな思い出が詰まっていて捨てられないけど、寿命が来たり、いろんな環境変化で失ってしまうことがある。買ってくれた方のそんな記憶が、私の喪失感に気持ちを寄せてくれたのかなと、ありがたく思っています。

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 自分が中型免許を取ってバイクを買ったのは27か28歳の時で、かなり気まぐれな挑戦だった。それまでは車でドライブするのが趣味で、良いタイヤを履かせたり洗車を楽しんだり恋人のように車を可愛がっていた。ある日なんとなしにバイクの車種カタログを眺めていて、車よりも格段にデザインやカラーリングが豊富で面白いな…と呟いたが最後、高校時代からバイク好きの旧友が猛烈にアピールしてきた。友人は人生の中心にバイクがあり、ツーリング命で洗車とメンテを欠かさず、私の車趣味など比べ物にならない情熱の注ぎようだった。そんな友人に「免許取ったら一緒にツーリングしよ」と誘われ、あれよあれよと教習所に入校した。

 教習は地獄だった。まず自分は相当運動音痴で筋力もない。なにより致命的なレベルでビビりだった。車の免許を取る時も、側溝に落ちたりぶつけたり事故るのが怖くてアクセルが踏み込めず何度も教官に叱られ、免許を取っても運転は長らく恐怖だった。失敗を経て時間をかけてようやく運転が好きになれたが、生身で運転するバイクは車よりも圧倒的に事故死率が高い。教習所の中で20km/h出すのも怖いし、倒しても引き起こしはできないし、右左折できないし、教習中も頻繁にコケて足は常にアザだらけだし、なのに一向に上達しない。再受講は積み上がり、超過料金を考えても自分に向かないことに対してなぜこんなに無駄に必死になっているのかと憂鬱でしょうがなかった。
 当時女子高生のバイク漫画「ばくおん!!」を読んでいて、主人公たちも教習に苦戦していたが自分の方がよっぽど下手くそだった。なんなら彼女たちは一回りも年下で余計落ち込む。でも彼女たちみたいにツーリングしてみたい…と情けなさと憧れを持て余して辛かった。大体もう教官も私のあまりの不出来にドン引きしていて、「君は根性だけはあるよ…」と生暖かく接する方針に切り替えていた。自分ももはや意地だけで受講し続け、なぜか一本橋だけは100%成功する才能を見つけてからなんとかモチベーションを取り戻し、卒業検定は教官も拍子抜けするくらいあっけなく一発合格した。
 しかしまあ、辛うじて免許を取得できて、ちょっとだけ涙が出た。三十路前の自分が、できないことに対して必死になって頑張れると思っていなかった。みんな簡単そうに同じ過程を進んでいくなかでみっともなく泥水をかき分けて免許までたどり着いたことが誇らしかった。自分の底力にちょっとびっくりしたので、勢いで大型免許も取った。

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 免許交付により、ついにバイクを購入した。HONDAのJADEという250ccのバイクで、排気音のかっこよさに惚れて決めた。もうとっくに流行りは終わった90年代の中古車だったけど、自分がこんなかっこいい乗り物に乗っていることに興奮した。それこそ「ばくおん!!」にモブで登場してもいいのではと思うくらいには、正直ライダーになった自分に酔った。
 車とはまた違った目線で公道を走ると、すり抜けや幅寄せの危険さを体感し、道交法順守がいかに大事か改めて分かった。きっと大半のライダーには事故死した仲間がいるか、友人の友人レベルでそういう人がいる。バイクは風にも車にも煽られやすく簡単に死にやすい。近距離ツーリングでも「事故なく生きて帰ること」を目標にしつつ、立ちごけで色とりどりの痣と傷を負い、部品の欠損や応急処置も半泣きで調べながらやり、様々な恐怖経験とともにツーリングを重ねた。
 慣れたころには、ツーリングは一気に楽しくなる。少しずつ走行距離を伸ばして、いろんな道や町に出かけてみた。次はあの道の駅に行ってみたい、あのツーリングスポットを走ってみたい、泊りがけで行ってみたい、高速も乗れたらな…。やりたいことや行きたい場所が無限に広がり、いろんな買い物をして、いろんな知識を勉強して、人生ここまで世界が開けることってあるのかと、本当に毎日ワクワクした。仕事とドライブだけの生活に、バイクはいつも小さな挑戦を与えてくれていた。

 ライダーには「ヤエ―(yaeh)」という挨拶がある。対向車線から走ってくるライダーに、「お気をつけて」の意味を込めて手を振る挨拶だ。返してくれない人もいるが、危険なくらい手を振るハイテンションな人や謎のポーズを返してくる人、同じ車線から曲がり角で別れるときに、振り向いて手を振ってくれる律儀な人もいる。ヘルメットで顔も分からず、すれ違うだけの他人だけれど、クルマにはない温かい文化でいつもヤエ―をするのが楽しみだった。
 そうやって、ツーリング先ではいろんな人やモノに出会って、「ごく当たり前のこと」を体で知っていく。近所を走っていても、気づかなかった工場や店や風景を発見する。ハーレーを買ったばかりの新米ライダーのおじさんは、少年のような顔をして興奮気味にマフラーの冷却音を聞かせてくれた。YouTuberのライダーに出会い記念撮影してもらったこともある。
 日の出とともに起きて日没とともに寝るキャンツーは新鮮で、夏はアスファルトが暑くて、冬は芯から冷えて、春と秋は全ての景色が美しかった。土砂崩れで雨の中足止めされ、林道のぬかるみでこかして汗だくで引き起こし、高速道路は速度感覚が麻痺して余裕で100km/h以上出していた。五感と全身を酷使した疲労感が気持ちよかった。

 めちゃくちゃに、バイクは楽しかった。このまま地続きにどこまでも行ける気がした。
 次第に仕事やお金や年齢やできない理由を並べてどこにも行こうとしない自分が嫌になってしまい、一念発起して国外に出ることにした。

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 一年ほどフラフラして帰ってきたら、バイクのバッテリーが上がっていた。
 乗らない間は完全放置でろくなメンテナンスもしていなかったから当たり前だが、なぜか普通にまた乗れると思っていた。バイク屋に持ち込んだら他にも要整備箇所があり、修理費と工期が思ったよりもキツく、そのまま手放さざるをえなかった。最後の写真も撮れなかった。

 あっけない幕切れで、これまで「バイク最高」とか言っていた自分の薄情ぶりに萎えた。そしたら免許を取った日よりも涙が出た。免許があったところで、バイクは乗らなければ動かなくなる。プラグに火をつけて、車輪を回して錆を飛ばして、燃料を爆発させて、ようやく鉄の馬は走り続けられる。そんな当たり前なことが、自分にはできなかった。

 いつも丁寧にメンテナンスして隙あらばバイクに跨っていた旧友は、本当に愛の深い人だったんだなと、茫然と思った。

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 結局その後、下取り費に貯金を足して新しくバイクを買いなおした。前よりも軽くて街乗りに向いたバイクにした。仕事が忙しく盆栽気味でイカンと思っているうちにコロナで遠出は自粛になってしまったが、買い物などで定期的に動かすようにしている。相変わらず運転は下手だが、前ほどスピードを出したいとも思わず、交通の邪魔にならない程度にまったり乗っている。
 今思い返しても教習の日々は口に出すのも恥ずかしいし、その後の顛末も怠慢すぎて恥しかないけれど、これをコピ本にしたのは「良いオーナーになれなかった反省」をしておきたかったからだ。バイクに耳があったなら、情けない手放し方をして申し訳なかったと謝りたかった。そして色々なところに連れて行ってくれてありがとうと言いたかった。

 もういい年になりもっさりしてきた自分はバイクに乗っても特別素敵でもなくなり、今は「バイクだけ」がかっこいい。放浪癖も落ち着いてきたので、今度はちゃんと愛車の健康管理ができるオーナーになりたい次第だ。

(終わり)

以下有料でコピ本(漫画)が読めます。(表紙含18P、モノクロ)


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