プレイステーションと出会って母との関係が変化した話

僕が初代プレイステーションを初めて手にしたのは1999年。15歳のときだった。

けして裕福ではなかった我が家では、テレビゲームなどそうそう買ってもらえず、子どもながらに気をつかって親にねだることもほとんどなかった。

けれどもこのとき、このタイミングで、どうしてもプレイステーションが欲しかった。心の中のバトルで遠慮というものを押し切るくらいに強いモチベーションがあったのだ。

それは「愛」である。

1999年2月11日がなんの日かご存知だろうか。そう、あの大人気シリーズの最新作「ファイナルファンタジー8」の発売日である。

ファイナルファンタジー8――長いので略すがFF8のキャッチコピーは「愛を、感じてほしい」だった。

多感な男子中学生だった僕は学校でクラスメートたちと「愛を感じてェ……」「リノアと愛を育みてェ……」と蕩けた目で語らう日々を過ごしていたわけだ。

何がなんでもFF8をプレイして友人と愛について語り合わなくてはならない。そこで僕は母にお伺いを立てた。

プレイステーションを買いたい。買って欲しいとは言わない、これまでに貯めたお年玉やお小遣いで買う。とまぁ必死に頼み込んだ。

率直に言って感触は良くなかった。それも当然。当時の僕は15歳。花も恥らう中学3年生。高校受験を控えている。母にしてみればたいして成績も良くないくせに何言ってんだコイツという思いだっただろう。

しかし最終的には僕の熱量に折れた母から渋々といった感じではあるが承諾を得ることができた。

素直に嬉しかった。お年玉や親戚からの臨時収入的なお小遣いを貯めている口座の通帳を親に管理されているという理不尽も許せるくらい嬉しかった。

そして僕はプレイステーションと、発売日当日にコンビニに駆け込んで買ったファイナルファンタジー8を手に入れたのだ。

それまでスーパーファミコンが現役だった僕にとってプレイステーションの見せる技術の進化とは凄まじいものだった。

壮大なムービー、奥行きのあるBGM、迫力のあるバトルグラフィック、魅力的なキャラクターの動きに、僕はたちまち夢中になった。

1日にゲームを許されているのは1時間だけ。毎日その1時間を僕は大切に大切にプレイしていた。

けして効率的なプレイではなかった。FF8はレベル上げがそこまで必要ないゲームだったがそんなこともよくわからないまま狂ったようにレベル上げに勤しんだりもした。

そんなある日のこと、母が突如キレた。

別に何があったというわけでもない。たまたま虫の居所が悪かったのだろう。毎日1時間もゲームをやる息子にイライラを募らせていたのかもしれない。

ちなみに僕の母は怒りを暴力という形で表現するタイプだ。子どもの頃は本当によく殴られたし蹴られた。眼前に包丁を突きつけられたことも一度ではない。あの恐怖は今でも鮮明に思い出せる。

この日も例に漏れず、後ろからヤクザキックを頂戴した。「のんきにゲームばっかやってんじゃねえ」みたいなことを言っていた気がする。

彼女はいつもどおりに悲しげに目を伏せてゲームを片付け始める僕を想像していたことだろう。でもこの日は違った。

「いきなり何するんだよ!!」

僕は強く床を踏み鳴らして母に対して怒った。半ば無意識の行動だった。

母は僕に反撃されると思ったのだろう。ビクッと体を震わせ両手で顔をかばっていた。ひどく驚いた顔をしていたのを覚えている。

母も驚いただろうが僕も自分の行動に驚いていた。もう心臓がバックバック言っていた。本当は、思わず蹴り返しそうだったのだ。

自分の意志とは関係なく、理不尽な暴力に体が対抗した。でも頭はついてきてないから思考はクエスチョンマークだらけだ。

それ以来、母は僕に暴力を振るわなくなった。いつまでもクソガキだと思っていた相手が、いつの間にか自分より体も大きく、力も強くなっていたことをそこでようやく認識したのかもしれない。

正直、あの瞬間のことは今でもよくわからない。なぜあのタイミングで突然の反抗心が目覚めたのか。父親に反抗するリノアに触発されたのかもしれないし、ガーディアンフォースの影響かもしれない。

とにかく、プレイステーションというゲーム機とFF8が僕の人生の転機の傍らにあったということは確かだ。

いい思い出とは言えないがまぁそれなりにエピソードとして面白い思い出にはなったんじゃないだろうか。

ちなみにこんな大立ち回りを演じたにも関わらず、この1年後には僕はもうプレイステーションに触れなくなっていた。

家の都合で全寮制の高校にぶち込まれたのでTVゲームなんかとは縁のない生活になってしまったからだ。無念。

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