昔書いた話
本文
闇夜に結晶樹の葉が鈍く光り蠢いている。さらさらとなびく森と不規則で荒々しい自分の呼吸。それ以外は聞こえない。だが腰を下ろす気にはなれない。
(ちくしょう…なんでこんなことに…。)
状況の変化がまだ飲み込めない。脳裏に今朝食べたパンが浮かぶ。いくら窮地でも腹は減るらしい。もしくは一種の走馬灯だろうか。最後の晩餐というにはあまりにも素朴だ。これで死んではたまらない。とにかくこの場を離れるべきだ。呼吸を整えて足を前に踏み出す。薄暗い巨大な森の影に身体が呑まれていく。見えるものが少ないせいかそれとも火事場の効用か自然と頭が研ぎ澄まされる。一度状況を整理しよう。
ーー話はまだその日の太陽が空高く浮かぶ頃まで遡る。
「かなり深くまで来たけど、そろそろかな!」
目的地までもうすぐという予感が自然と声を弾ませる。村を出て28と3度目の太陽が昇る日。巡礼の旅も半ばまできていた。
「グラム、デケェ声出すな。ここらの獣は手強い。」
シグルドの腹に響く皺枯れ声がオレをたしなめる。老齢だが熊のように隆々とした図体はそれだけで威圧感がある。少し怯むと樹上から間の抜けたトゥトゥーの声が続いた。
「油断すると死ぬぞ、グラムぅ。気張れよぉ。」
ニヤリと口角を上げてこちらを見下ろしている。ひょいと跳んだかと思うと長身には似つかわない身軽さで枝々を渡り隣まで降りてきた。
「ガキは気楽なもんだな。喰われちまうぞ。」
悪態を吐きながらホゥリは片膝をついて手のひらを地面に重ねている。甲に浮き上がった血管が薄らと青く発光している。霊脈を読み、結晶大樹の在処を探る。それは神子だけに許された行為だ。
「どうだ。」というシグルドの問いに、ホゥリは下を向いたまま答える。
「かなり近いな。この調子なら日が沈む前には着くぞ。ただ、霊脈が乱れてやがる。獣も近くにいるな。」
「どうする?」とホゥリがシグルドに顔を向ける。
「熊か?」
「いや、それほど大きくない。狼か……狐あたりだろうな。」
シグルドは少し考えると表情を変えずに言った。
「……飯にするか。」
トゥトゥーは元々上に向いた広角を更に上げると担いでいる大槌を取り出した。オレも腰の剣に手をかける。ホゥリが茂みを指差して言う。
「獲物はこの先だな。」
各々が距離を取り、ホゥリの指差す方向へ進む。足音は立てない。獣と同じように息を殺して、気配を探る。森は閑かに枝葉をざわめかせている。
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