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水瓶座の時代とホリスティック・フナアレイ、そして映画『TAR』2

前回の記事で、水瓶座の時代においてメロディ・クリスタルワーク「ホリスティック・フナ・アレイ」との関係性、必要性について簡単に書いた。

あらためて書くと、水瓶座冥王星の時代はいままで大多数の人々が信じてきた社会的価値観、信念、国家や大企業が掲げる未来像や理想、あるいはたくさんのひとたちが信奉依存してきたカリスマたちの虚像が見事なほど崩れ落ちていく時代となる。

民衆が絶対、唯一、と信じてきたあらゆる価値、信念、構造が壊れていくのが水瓶座の時代のエネルギーだと。

つまり、すべてのひとが自らの内側に信じるべき光となる自分軸を持たなければ、迷い、行くべき未来さえ見えなくなるということ。

ゆえに自分自身の意識と意志とインスピレーションの回路が完全に繋がることで、どのような価値観の変化、社会構造の瓦解と再生のなかにあっても、自分自身の内なる声をキャッチし、その声を生き方として具現化できるようになるためのワークがメロディ・クリスタルワーク「ホリスティック・フナ・アレイ」である、といった主意である。

2週間前くらいからプライムビデオの配信で映画『TAR』を観ている。


昨年末あたりからどうゆうわけかひさしぶりのマーラー熱がぶり返していて、現在に至るまで毎日マーラーばかり聴いている。

ほぼカラヤンかバーンスタイン。カラヤンはすべてのマーラー作品を演奏していない、もしくは録音していないが、バーンスタインはほぼ全曲録音しているので、どちらかを聴いている。

そんな流れでこの「TAR」である。公開は昨年の5月。

劇場へ観にいくタイミングを逃していたが、今や配信で観られる。

しかし2時間超の映画なので、なかなか通して観ることができない。

一回に15分から20分くらいの間隔で空いた時間に観てきたのだが、まさにこの映画の主題は、水瓶座冥王星の時代のテーマと重なる、と感じたしだいである。

 ストーリーは天才的な才能を持った女性指揮者リディア・ター。

ベルリンフィルの首席指揮者である彼女は、その天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、世界の音楽界において圧倒的な地位を築いたのだが、ある事件をきっかけに疑惑をかけられ追い詰められていく・・・。

監督は今作品が6年ぶりに手がけた長編作品となったトッド・フィールド。

主演はケイト・ブランシェット。

冒頭からこれはノンフィクションなのか、と思ってしまうほどのリアリズム。

ベルリンンフィルの首席指揮者といえば、世界の音楽界の頂点に君臨する存在。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトルと歴代の主席指揮者の顔ぶれを見ればその圧倒的な力は想像するに難くない。

映画ではそのポジションが女性で、しかもトランスジェンダーとなれば、従来の権力者の栄枯盛衰物語を超える時代性とメッセージが込められているということは映画を観なくても推察が可能だと思う。

映画のストーリーと内容についての洞察は書き過ぎるとネタばれになるので、ぜひ気になる方はご覧になっていただきたい。

とはいうものの、とても深く多面的な理解が必要な作品なので、ご覧になった方は​このサイトの批評と分析​を読んでいただけるといろいろと納得できると思う。

とても優れた批評だと思う。


「TAR」の何がすごいか、というのはいままさに現在進行形で起きている世界規模、人類史においてもっとも巨大な意識変容のドラマ・・その中心的なエネルギーである権威、価値観の崩壊劇で起こっている人間の意識の解体と再生を一本の映像作品に全て凝縮してしまったということに尽きると思う。

ベルリンフィルの首席指揮者の権力の強大さはマエストロ自身の想像力を超えるほどのパワーであり、マエストロはもちろん、その家族、あらゆる関係者がそのドラマの渦になんらかの役割・・・つまりは隷属する者、怒りをぶつける者、嫉妬する者、裏切る者、そして愛する者というまるでシェイクスピアの悲劇の中の登場人物のようなそれぞれの立場を明確に演じざるを得ないという真実を観客はまざまざと見せつけられる。

強大な権力者を太陽として、その太陽によって自分の立ち位置がその強烈な光と熱によって炙り出されるのである。

 そして、その強大な権力のピラミッドが崩壊していくなかで起こるのは単なる加害者と被害者という図式を超えた人間の潜在的な情念の巨大な渦のドラマが発生するということ。

特に被害者は一面では加害者的でもあり加害者は実は被害者的な意識を内在させている矛盾があられもなく暴かれていく。

つまり、それまで当たり前に機能していた強大な権力構造が破綻すると、権力の核を中心に自動的な運動を反復させていた流れがいきなり反転し、破壊への意識の渦が一気に爆発的に広がっていき、社会全体をカオスへと導いていく。

現在わたしたちが体験している状況こそ、この映画で描かれている加害者と被害者という図式を超えた人間の潜在的かつそこ知れぬ巨大な情念の渦の爆発的拡大であると思う。


昨日、糸島で「水瓶座時代のためのクリスタルワーク・シリーズ Vol.1 ホリスティック・フナアレイ体験会」が開催された。

はじめてのワークだったのでわたしも満身創痍で臨んだのだが、結果はとても良いものだったと感じている。

当初から予測していたことだが、このホリスティック・フナアレイによって受け取れる最大のギフトは、上述した「加害者と被害者という図式を超えた人間の潜在的かつそこ知れぬ巨大な情念の渦の爆発的拡大」からいかにはやく、そして自由に分離状態の「自分」から離脱できるか、そして、インナーセルフ、コンシャスセルフ、ハイアーセルフという我々の意識のエネルギーのそれぞれの駆動軸を一体化させて、本質的な欲望と意識の自律性の獲得をする、ということ。

それこそが巷でよく言われている水瓶座の時代へ適応するための処方箋であり、出国と入国を保障するパスポートなのだと思う。

幻想の権力と価値観のバベルの塔はすでに崩壊し始めている。

その幻想の塔を自らの内側から消去できるか、どうかが現在の我々のテーマなのだ。


■たんたん糸島スケジュール

○クリスタルボウル瞑想会
2月17日(土)残1
詳細はこちら


○2月25日(日)「ホリスティック・フナ・アレイ」の体験ワークショップ
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■たんたん東京スケジュール

〇2月6日(火)「ホリスティック・フナ・アレイ」の体験ワークショップ
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