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いつもほぼ日に書けないことは(永田泰大)

こんばんは。
ほぼ日刊イトイ新聞の永田泰大です。

そうそう、ぼくもここに書くメンバーのひとりだった。古賀さんに負けず劣らず、「いいですよ、やりますやります」と軽快に請け負ってしまったのだった。そういうわけで、なにかを書くつもりで書き出したのですが、不思議ですね、いつもと違った場所になにかを書くというのは。

「生活のたのしみ展」について書くというのは決まっているんだけど、なにを書くかは決まっていない。引き受けたときは、なんでもいいんだから大丈夫だろうと思っていた。で、実際、大丈夫なんですよね、なんでもいいんだから。

でも、せっかくほぼ日ではない場所に、なにかを書くんだから、やはり、ほぼ日には書けないことを書いた方がいいのだろうと思う。この、noteという場所にしか書けないことを。それはなんだろうな、と考えはじめたら、意外にすぐに思い当たった。あ、あれだ、と。いつも書けなくて困っているあれだ、と。

それは、肯定したり、褒めたり、という気持ちを、躊躇なく、存分に表現することである。躊躇なく、存分に、というあたりがポイントだ。

ほぼ日はものごとを肯定することが得意なメディアだと思う。なにかを褒めたりすることも、だいたいはめぐりめぐって自分たちによいことがあるから、遠慮なく褒める。そもそも広告やスポンサーのないメディアだから、気にせず、褒めたいものはどんどん褒める。いいなあと思ったらじゃんじゃん肯定する。

けど、あきらかな例外がひとつある。肯定したり褒めたりということを躊躇してしまうものがひとつある。それで、じつはいつももどかしく思っている。

それは、自分たちを肯定したり褒めたりすることだ。

とはいえ、ぼくらは自分たちへの肯定をしばしば記す。よくできた商品のことは、なかなかよくできましたと説明する。自分たちがつくったものでも、いいものはいいとできるだけ書く。あと、糸井重里も毎日の原稿の中で、ときどき自分たちを褒める。昨日も、「うちの乗組員はほんとにいいです」なんて書いていた。

けど、まさにここにしか書けないこととして言うけれど、ぼくらも、糸井重里も、じつは我慢しているのである。

ぼくらはもっとほんとは遠慮なく言いたいのだ。ああ、最高だったな、と。いろいろたいへんだけど、あまりあるたのしさを感じるな、と。ここの商品のこの部分がいいんだよな、と。この対談のこの人のこの返しからのここの流れがすばらしかったな、と。

そういうことを、自分たちで、存分に書けるかというと、やはりそれは無理なことで、もちろん工夫して、羽目を外さないようにして、読む人がひかないように配慮しながら、短く強くスパッと褒めたり肯定したりはするけれど、子どもがふかふかのお布団の上でバフバフと転げ回るように自由に躊躇なく存分に「よかった!」と表現できるかというと、やはりそれはなかなか難しい。

それでね、みなさん。

第3回生活のたのしみ展の初日は、すごくよかった。並んだ商品はもちろん、来てくださったお客さんのムード、明るさ、小さなミスはあったし、明日からさっそく改善するところもあったけど、おおむね大丈夫だった。なにしろ天気がよかったよ。

深夜だし、このように体裁は気にせずに、いろんなことを手当たりしだいに肯定していこう。昼間干した布団の上でごろごろするみたいによかったよかったと書き散らかして、眠くなったらやめよう。

まず、よくぞ、たどり着いたなあ、と思う。あれだけの商品を集めるのはたいへんだし、どのブースも手を抜いてないし、ラインナップにほどよいバラつきがあるし、見事だと思う。しかも、中心メンバーの数は驚くほど少なくて、そのうちのひとり、名前を出しちゃうと光井なんかは今年の1月に入ったばかり。全員の顔と名前を憶えるようなところからはじまって、5ヵ月後にこの規模のイベントによくぞ、と思う。つけ加えると、社歴も年齢も関係なく、そういう人にきちんと指示をあおぐ同僚たちもいいなあ、と思う。

お客さんたちが感じよかったなあ、と思う。明るいし、マナーがいいし、おもしろいものにちゃんと反応するし。鉄でできたカプセルトイ、一回千円もするんだけど、ちゃんと入ってるオモチャとかを見極めて、あ、これはやってみたいと思ったらきちんと千円払ってくださって、鉄のハンドルをぐるりを回す。ゴトン、とカプセルが出てきたら、すぐそれを手にとらず、鉄の階段を下まで落ちるまで見届ける。いいなあ、と思う。

古賀さんが突然ワゴンを押して本を売り歩き、買ってくださった人にサインをしはじめたら、すでに本を買っていたお客さんが心配そうに近寄ってきて、ぼくに「前に買ったものにサインはしていただけますか?」と訊く。もちろんいいです、と答えるのだが、すごいなと思うのは、そうやって礼儀正しく心配そうに質問してくださるお客さんが何人もいるということだ。

礼儀正しく質問するお客さんに対して、出展者のみなさんがむしろうれしそうに商品について説明するのをあちこちで見た。ほかのブースにいるお客さんに大声でアピールして無理に客引きをしたりはしない。いいなあと思う。

ちなみに、そのブースにいる店員は、全員がそのお店の人というのではなく、生活のたのしみ展で働きたいと応募してくださったアルバイトの方だったりする。そのアルバイトの人たちも、基本的な質問に答えられるよう、自分の持ち場の商品情報はあらかじめ頭に入れている。

アルバイトの人で思い出したけど、そのうちに何人かは、お店やエリアのリーダーを任されている。アルバイト採用担当の趙さんやオータちゃんがひとりひとり面接して、この人には任せられると判断したら、半端にほぼ日の人を割り当てるのではなく、その優秀な人を責任者にして乗組員をむしろその下につけているのだ。そういうのも、なかなかできないことだと思う。

ああ、きりがないな。明日も早いし、ぜんぶはとても褒められないな。

いまも、ほぼ日に、たくさんのメールが届いている。会場に来た人からの「行ってよかった」という感想、そして、会場に来られなかった人からの「つぎはぜひ行きたい」という感想。どちらもほんとうにありがたいし、ほぼ日のお客さんはほんとうにいいなあと思う。これは、ほぼ日でもときどきは書くんだけど、存分には言えないからここでくり返し言っておこう。

ほぼ日のお客さんはいいんです。ほぼ日の読者はいいんです。ほんとです。だから、いっしょになにかをやる外の人たちも驚くんです。「お客さんがいいですね」って。ほんとです。胸を張って言う。

ついでに同僚も褒めておきたい。ふだん、デスクワークをしている同僚たちが、イベントのときは特別な格好(今回はエプロンとバンダナ)をして、オープン前に台車を押したり大きな荷物を持ったり脚立にのぼったりするのを見るのが、ぼくはとても好きである。

会場で走り回る係もいれば、会社に残って自分の仕事をする人もいる。TOBICHIはいつもどおり営業してるし、京都や気仙沼にいる仲間たちも、きっとイベントの成功を願いつつも、持ち場できちんと働いている。5日間、ずっとPCの前で作業する係もいるし、ちゃんと休んでくださいと言い続ける係もいる。

今日、閉店間際に、メルヘンのサンドイッチブースにいたスガノが、全員が情報共有しているLINEのグループに、「冷蔵庫から在庫の箱を出さなきゃいけないんだけど、もうちょっと力が入らなくて持ち上がらない」とSOSを出した。倉庫を担当している田中がすぐ「行きます」と告げてフォローに行ったが、その田中はずっと大忙しで直前に「ようやく落ち着きました」って言ったばかりだった。

流通をずっと担当している西田くんは「とにかく情報をください、情報をくれれば、基本、ぜんぶ対応します」が口癖だ。井上さんは、junaidaさんと堤大介さんがコラボレートした絵ができあがったとき、その仕上がりに感動して「見てください」とみんなに見せて回っていた。細井さんは、古賀さんがワゴンを押して本を売りに会場内を練り歩いたとき、それをお客さんに知らせるべく、「ただいまコガマサタケさんが本を売っておりますーー!」と大声を出してくれたが、古賀さんの名前はマサタケではなくフミタケだ。

これは、控え室で、ずっとパネルを切っている森さん。通称「森ッコ」。ほぼ日のこういうイベントでは、現場でかならず「ここにこういう看板があったほうがいい」ということになるので、ひと目につかない場所で大量のパネルを切る係が必要になる。おつかれ、森ッコ。

きりがないし、夜が明けそうなので、ぼちぼちこのへんにしておく。書いてわかったんだけど、感謝とか肯定って、手当たり次第にやってたらほんとに際限がないね。あっ、そうか、それでオスカーをもらった人とか、オリンピック委員会のバッハ会長はセレモニーのスピーチであんなに延々と名前を言うことになるのか。

今日、生活のたのしみ展に来てくださった方、どうもありがとうございました。これから来る予定のみなさん、どうもありがとうございます。行きたくても行けないというみなさん、そう思ってくださって、ありがとうございます。

明日は違う切り口で書こうと思います。長々と書き散らかしてしまって、失礼しました。それでは、また!