常識と言う魔物
俺の思考は中学校時代に聞いたフォークソングと言っても過言でない。当たり前とか、皆がそうしてるとか、普通とか、常識て言葉に反発を覚えた中学時代に耳に入ってきたのが、高石智也の『学校で何をならったの』だった。
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学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
ワシントンは嘘はつかないと
兵隊はめったに死なないものと
誰も 彼もが自由だと
先生が僕に話してくれた
■学枚で今日習ったよ そういうふうに習ったよ
2 学校で何を習ったの 司愛いおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
お巡りさんは僕の友達で
正義は決してほろびはしない
殺人した人 罪で死ぬ
時々まちがいはあるけれと
■学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ
3 学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
僕らの政府は強くって
そしていつでも正しくて
議員は立派な人達だから
選挙のたびに同じ人選ぶ
■学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ
4 学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
戦争はそれほど悪くはないと
フランスやドイツで戦って
アメリカ軍は負けたことがない
そのうち僕らも戦えるんだ
■学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ
当時は、いい学校に入り、いい会社に入り、家を建てて子供がいて.ハイ幸せね。てそんな時代だった。落ちこぼれの俺は最初の『いい学校に入り』で脱落してるので、時代の幸せの定義からはド外れだった。高校も中退・・・・しかし、お金を稼ぎ愛ある人と楽しく暮らすイメージだけは人一倍あった。当時、勉強のできる同級生との会話で『俺は金持ちになり幸せになってやる』そう根拠もなく勢いだけで豪語した。俺に言わせれば、人の引いたレールに疑問も持たずに、いい学校に入れば幸せが手に入るなんて洗脳以外の何物でもなかった、、、、世に言う常識からは逸脱する人生観はそのころ出来上がったんだと思う。時代は昭和、平成と流れ令和。あいかわらず世の大半は常識と言う言葉に縛られて自由に飛べる翼を押し殺してる気がしてならない。以前読んだ本に子供と書いて『無限の可能性』と読むと書いてあった。子供の無限の可能性を常識と言う洗脳で殺してはないだろうか?常識・・・・中学校時代にあさま山荘事件が起こり、その時に犯人と長丁場の時に警官達が食したのがカップヌードルだった。これを機にカップヌードルは爆発的ヒット。この時のコマーシャルも最高だったのを思い出す・・・
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