訃報で見つめる自分の感情

幸せ・・・・人のよって基準が違うのを感じる。俺はパートナーの笑顔が1番の幸せを感じる。この為に生きてると言っても過言では無い!感情は言葉にすぐに出すタイプで、片時も離れたくない感情を呟くと笑われること多々ある。『愛は地球を救う』そんな言葉を前面にだす番組があったが、言葉は、そうだ!と思うが、その番組は嫌いなので見ない。愛とは何か・・・異性の愛は、それは言葉を超えた所にあるように感じてる。あえて言うなら、互いに相手の全てを受け入、悩んだり、苦しんだり、泣いたり、笑ったりの日常で、寄り添うのでなく、同じ方向を見てるて事じゃないかなって最近は思うのです。寄り添うを調べると、共感とか汲み取る。そんなフレーズが出てくる。他者の気持ちて、そんな簡単なもんじゃないと最近は思う。だから、、、、寄り添うのでなく、同じ方向を見る。になるんだ・・・例えば、悲しんでる姿を見て、本当に相手の感情を全て汲み取れる?共感できる?色んな物が入り組んで感情は出来上がるんで、言葉なんかでは説明や言い表しができない事も沢山あるはず・・・でもね・・・相手が悲しんでる原因を知り、そこの場面を想像し同じ目線に努力する・・・・時にそれは無言でもある姿。人に対する人間愛も同じかと・・・・言葉は時に残酷に刺さる時もある。耳障りの良い気遣いが後の行動で整合性がない時に落胆する。そんな感情を今まではそれほど感じなかったが、女房が他界し感じ始めた。その時には本当に同情をし声をかけてくれたのは事実だろうが、その優しい言葉も、その後の態度で虚しさを通り越して卑屈になる時もあった・・・・勿論、そんな事ばかりでなく、女房の病気の時と他界した時、そしてその後も声をかけてくれた人間愛に満ちた人達に出会えたのは幸せな事だと思う、、、、最近は整理もついたし学んだ、、、人の苦しみを理解しようとし声をかけるんでなく、同じ方向を見つめ、発する自分の言葉には一貫した感情を持ち人に接しようと思う。こんな事を感じるキッカケは先日来た1通の手紙が届いたから・・・・長野時代の下山さんの奥様が他界した訃報の手紙・・・・・このご夫婦には人間愛をもらい学ばせてもらいました。手紙を出そうと思ってます。・・・・画像は長野時代の家。長野県下伊那郡阿南町新野【標高800メーター】

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