自分と言う花・・・・

昔から異端児だった。成り行きは忘れたが、小学校5年では先生に『帰れ』と言われ授業を放棄して帰った。当然親と自分は後日呼び出され事情徴収・・・先生の対応に不備有りてお咎め無し。その時に職員室にいた1年の時の女性の松田先生が帰るときに何も言わずに抱きしめてくれた。暖かいヌクモリを今でも覚えてる・・・・父親は学校の夜の用務員を副業でしてた。大工仕事ができる為に重宝され、体育の道具をしまう小屋もたてた。その小屋でイジメにもあった。父は中学2年の時に他界。そんな父は中学校の先生とも交流があり、大工道具を貸したりしてたが、亡くなると同時に我が家と縁が切れた。貸した道具も戻らず、、、そんなもんかと世の中を斜に見始めた・・・中学校の英語の授業の始まる時に寝てたら、生徒が起こしたので気づいたものの、うつ伏せ状態の自分の耳に入った教師の声は『いい、寝かせとけ』だった・・・綺麗ごとと行動の違いに先生は大嫌いの存在だった。大人も嫌いだった・・・心の許せる友達は一人もいなかったが、それほど寂しさはなかった・・・父親は外ずらは良いが、典型的な昔の日本人で、稼ぎが少ないのに偉そうで母に『親の変わりはいないが、女房の代わりはいくらでもいる』そう言ったらしい。悔しかったのか、悲しかったのか、昔話で何度も母から聞いた・・・人間を観察するのが好きだったのか、ひねくれてたのか、はたまた親が反面教師か?不明だが、中学時代あたりから愛ある人と出会う妄想を抱き始めた、、、、時間がたつにつれ、その妄想は根拠のない確信となり、絶対幸せになる、なれないわけがない!と思うようになった。おかげで1億人から一人を探しだすことに成功したものの3年前に他界・・・・田中一村の絵に老夫婦が丘に座る絵があるが、それを見た時に自分を映し出したが、今は振り出しに戻ってしまった。色んな事があった64年。みんな自分の肥やしになった気がしてる・・・・自分らしく生き、もう一花、自分と言う花を咲かせてみようと思ってる・・・・

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