関係
「ありがとう。」
ナムがそう言うと、スイヒは不思議そうな顔をしたあとで、ニコリと笑った。
ナムは死ぬつもりだった。
金に狂った人生のほとんどで、ナムは取り返しのつかないことをした。
多くの罪のない人を殺した。
力のない優しい人の平穏を奪った。
幸せな人の当たり前を消した。
だからあの男を倒したあとは、ただ償い続けるつもりでいた。
しかしその過程で、自分の力不足を知ったのだ。
届くと思ったところに手が届かない。
人の営みを前にすると動けない。
助けるどころか助けられ、償うどころか施される。
償いとは名ばかりの、ただの旅。
だから、死をもって償うことにした。
その決意をした。
そこに現れたのがスイヒだった。
かつてより立派になったその顔は、まっすぐナムを見ていった。
「私の副隊長になって。」
その瞬間思い出したのだ。
償いは、生きているからこそできること。
死ぬことはただの自己満足で、責任から逃げる救済の行為。
なにを楽になろうとしているの?とその顔が聞いている気がした。
スイヒは、とても成長していた。
大人になっていた。
スイヒは人と関わる仕事をくれた。
街に出て、平穏を肌で感じさせ、見つめる時間をくれた。
だから向き合う方法を見つけた。
情勢を知るための書類仕事も任せてくれた。
人が必要とするものがよくわかった。
だから解決できた。
戦いの仕事をくれた。
かつて人を苦しめた力で、人を救うことができた。
あの頃よりずっと弱くとも、手にできたものはたくさんあった。
あなたは隊に必要なのよ、と言って、スイヒは生きていくための理由をくれる。
同人誌の修正を依頼されたときは流石に参ったが、きっと彼女なりに何か考えがあるのだろう。
ナムのスイヒに対する信頼は、そこまで厚くなっていた。
だから、礼を言ったのだ。
ちなみに、このときのナムはかなり疲れていた。
だから頭がちゃんと回っていなかった。
正常な判断ができていなかったのだ。
「ありがとう。」
ナムお礼を言われた瞬間、スイヒはキョトンと思考を停止し、取り繕いの苦笑いをした。
なんで?
なんでお礼言われたの?
スイヒは混乱していた。
だって私、ひどいことしかしてない。
スイヒは、隊長になったとき、本当に困った。
どうしよう、面倒なことしたくない。
隊長って思っていたより仕事が多いし、プレッシャーがすごい。
頼られるかっこいい存在でいなきゃ、隊を引っ張れるカリスマがなくちゃ、信頼される象徴でなきゃ。
そんなことを考えていたら、趣味のイケメン観察や同人誌づくりもできない。
正直潰れそうだった。
だからせめて、小事を押し付けられる存在が欲しかったのだ。
そこで白羽の矢を立てたのがナムだ。
彼とは、命を預けあって戦った経験がある。
仲良しではないが、そこそこ信頼し合える関係にある…とスイヒは思っていた。
お師匠を倒して、バカンスでもして余生を謳歌しているであろう彼を、私情で呼び戻すのは申し訳なかった。
スイヒだって、引退した後に計画しているのBLパラダイスの最中に面倒事を押し付けられるのはいやだ。
しかし仕方ないだろう、今やスイヒが潰れることは、八番隊の崩壊を意味する。
なんとも優しいことに、二言返事で戻ってきてくれたナムに対する申し訳無さは、数日で消えた。
彼は何でもうまくやってくれた。
本当に要領のいい人なのね、とスイヒはちょっとずつ押し付ける仕事の量を増やした。
全力で、自分が楽になる方に走った。
街のちょっとした揉め事にはじまり、書類仕事、戦闘の任務、そして趣味の同人誌づくり、それらを全部押し付けた。
だって四番隊にすごい逸材がいるんだもの、仕方ないじゃない。
とんでもなく顔が良くて優秀なイケメンたちがいる。
一ヶ月で三冊のフェジャス同人誌を作ることを決意したスイヒは、見事それを達成した。
達成してから、なんとオルフェ本人直々に、秘部のサイズに対する言及をもらった。
それはそれはありがたい、三日三晩拝み続けられる最高のお話。
即日同人誌の修正を始めたことは、言うまでもない。
しかしその後すぐに任務が入ったスイヒは、あろうことか残りの同人誌の修正をそのままナムに丸投げした。
話したことすらないだろうオルフェの秘部を一晩中修正させられたあの日、彼は何を考えていたのだろう。
頭のネジが飛んだのはアレのせいなのだろうか。
ひょっとしてドMなのか?
スイヒは真理にたどり着いた。
面倒な仕事を任されて興奮するタイプ?
私という可愛い女の子に顎で使われるのが好きなのかしら。
じゃあ攻めより受け?
なるほどね、とスイヒはようやく合点し、お礼の意味も掴んだのだった。
ナムがまともな思考を取り戻し、隊に脱退届を提出して却下され続けるようになるのは、ほんの数週間後である。
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