アフガニスタンで何が?(6)【2002-2006年回想】 裏切られた選挙(2)大統領選挙の現場で

What has happened in Afghanistan? 2002-2006 Reminiscence

裏切られた選挙(2) 大統領選挙の現場で

  はじめに
1.パキスタンで投票を見る
2.「カルザイ万歳」のシュプレヒコール
3.難民キャンプでの投票
4.投票を拒絶された人々
5.選挙に行くか行かないかはプライバシー?
6.「誰に入れるかは一族で決めました」
7.「アフガニスタンを誇りに感じました

はじめにーアフガニスタンと日本に本当に主権と民主主義はあったのか
 20年近く前の回想を今になって掲載するのは、2002―2006年が新生アフガニスタンの屋台骨が作られた時期であり、この時期を振り返ることでタリバーンの政権復帰の意味が見えてくると考えるからです。それともう一つ、アメリカとの関係においてと断ったうえで、今の日本が置かれている状況を照らし出す合わせ鏡にもなると考えるからでもあります。今私が住んでいる沖縄が、私にはアフガニスタンとダブって見えてきます。そしてアフガニスタンで起こったことが、対中国の戦争準備に前のめりになる日本の先行きを警告しているようにも思えてなりません。
 2004年の第一回大統領選挙に関する当時のメモ書きを綴り直しながら常に頭にあったのは2つの問いでした。一つは、タリバーンの復権前、アフガニスタンで民主主義は進展していたのかということ。もう一つは、2020年2月のアメリカとタリバーンとの交渉で米軍の撤退が合意されたのに、なぜタリバーンはアフガニスタン政府との交渉をずっと拒否していたのかということでした。この二つの問いは、これまでの投稿でもある程度触れてきたつもりですが、今回の第一回大統領選挙とその後の3回の大統領選挙を概観することで、より鮮明になると思うので、少し補足します。
 2004年の第一回大統領選挙は民主化プロセスの総仕上げでした。アフガニスタンの人たちはこの選挙に並々ならぬ関心を寄せました。それは選挙人登録と投票率(71%)の高さに如実に現れていす。しかし選挙の過程で多くの人の命が奪われました。選挙人登録作業第二期の4ヶ月だけで12人の登録作業スタッフが殺されています。このような状況で本当に選挙ができるのかという疑問が国際社会から上がります。しかしアメリカの強い働きかけで予定通り10月に強行されることが決まりました。それはアメリカの同月予定のアメリカ大統領選挙の前に行われなければならなかったからです。ブッシュ大統領はアフガニスタンでの初めての大統領選挙を対テロ戦争の成功を宣伝するために使ったのです。
 2009年に行われた第二回選挙では7,000の投票所の約3,400の投票所で不正が発覚しました。対立候補のアブドゥラ・アブドゥラは、「公正さや透明性が期待できない」として決選投票をボイコットしたため、カルザイの再選が宣言され、国際社会もこれを受け入れました。2019年の選挙の投票率は18.8%、選出されたガニ大統領が国民の信任を得たとは言えない結果でした。この驚くべき投票率の低さの原因は、その前の2014年の大統領選挙で国民が選挙そのものに不信感を抱いた結果だと言われています。このとき対立候補のアブドゥラが再び不正を糾弾し独立政府の設立をほのめかしたためアメリカの仲介で秘密裡に手打ちが行われたのです。選挙の最終結果も公表されませんでした。異常というほかはありません。
 アフガニスタンに民主主義はあったのか。アフガニスタン政府は独立した国家としての主権を行使できていたのか。制度としての民主主義は存在しました。しかし根幹の部分で民意は政治に反映されず、主権はアメリカが認める範囲でしか存在していませんでした。アフガニスタンと日本がまるで双子の国家であったかのような現実が浮かび上がってきます。

1.パキスタンで投票を見る
 2004年10月9日の大統領選挙当日、私と同僚の本間さんはアフガニスタンとの国境に近いペシャワールにいました。選挙前後は治安が悪化することが予想されるためANSOの助言を受けてここに一時退避をしていたのです。退避しているとはいえ私たちは選挙の行方が気になって仕方がない。そこでジャララバードに残っているアフガニスタン人のスタッフからアフガニスタン国内の選挙当日の様子を電話でレポートしてもらうと同時に、私たちはパキスタン北西辺境州で難民のために設けられた投票所を訪ねることにしました。
 私たちは知人の計らいで4箇所の投票所を見学することができました。難民キャンプ2箇所、ペシャワール市内の投票所2箇所です。パキスタンでは北西辺境州、バロチスタン州、イスラマバードの3つの行政区で計740,000人が選挙登録を行いました。北西辺境州では410,000人が選挙登録を行い、そのうち女性の割合は27%でした。同州内には1,016箇所の投票所が設けられました。
 
2.「カルザイ万歳」のシュプレヒコール
 最初に訪ねたのはユニバーシティロード沿いにあるアンバーブロウ地区の投票所でした。朝10時半、投票所の前は投票に来た人々とカルザイのキャンペーンチームの人々が人だかりを作っていました。投票所に通じる小路の入り口脇に仮設の詰め所が設けられているのを見つけた私たちは、まずそこで見学の挨拶をしました。ところがそこは選挙関係者の詰め所ではなく、カルザイキャンペーンチームの詰め所でした。私たちはたちまちカルザイ支持者に囲まれ景気づけの神輿を担がされることになったのです。「ゼンダバーカルザイ(カルザイ万歳)!、ゼンダバーカルザイ」。カルザイ支持のシュプレヒコールが始まりました。
 投票所に通じる通路は男性用と女性用に仕切られていました。男性は30メートルほどの通路いっぱいに列を成していますが、女性は列をつくる必要はありませんでした。先頭の男性に聞くと、もう1時間も待っていると言います。関係者と思しき人に聞くとこの投票所では7,000人が登録をしたそうです。パキスタンでは登録をした場所で投票することが決められているので、ここで7,000人近くの人が投票することになります。人数に比べて投票所のキャパシティーは小さいように見えます。
 ここのように市内に設けられた投票所は、難民キャンプではなく市内でパキスタン人にまぎれて暮らす難民のために設けられているのです。正確な数字は分かりませんが十万人を優に越えるでしょう。ここが他の国に見られる難民のイメージと大きく違うところです。
 この日の朝ジャララバードのハヤトラに聞いた話では、投票所に来る人たちは皆イードの祭りのときのように楽しげだったといいますが、ここでは違っていました。皆緊張した面持ちで黙々と投票を済ませて帰っていきます。試しに誰に投票したかを男性4人に聞いてみました。4人ともハミッド・カルザイと答えました。

3.難民キャンプでの投票
 カチャガリ難民キャンプはかつてパキスタン最大の難民キャンプでした。2001年10月に私が訪ねた際の公式発表では8万人、実数では10万人を越える難民が住んでいましたが、現在は10,000人足らずに減っていました。6箇所に投票所が設けられ、各投票所はいくつかのポストに分けられています。各投票ポストには、選挙数日前にトレーニングを受けた2人のコミュニティー・モービライザーが配置されています。また各投票所には4,5人のパキスタン警察が警護に当たっていました。
 学校No.156の投票所は男性のためだけの投票所でした。4つの部屋にそれぞれ1つづつ投票箱が設置されています。最初に訪ねたポストでは214人が選挙人登録をしたといいます。ここは閑散としていて、見学していた15分ほどの間に投票に来たのは3人でした。投票の流れを観察しました。まず入り口でボディーチェックを受けて投票所の中に入り、係員に選挙票を渡します。係員は渡された選挙票の登録番号と登録者リストの登録番号を照らし合わせ、照合できると登録者リストの欄に捺印をさせます。選挙票はパンチで穴を開けてから回収します。投票者は立候補者の名前、顔写真、ロゴの印刷された長さ1メートルほどの投票用紙を受け取り、各部屋の奥の記入台で記入する。記入した投票用紙を投票箱に入れると、親指に特殊なインクをつけられて終了。選挙手続きでは最初の選挙登録と最後の投票証明のマークであるインクの塗付が重要です。このインクはインド政府から援助されたもので2日間は消えないことになっています。選挙登録ではインク塗付がなかったので二重三重の登録が可能でしたが、投票そのものはこの特殊インクを用いることで二重投票はできないことになっているはずでした。

4.投票を拒絶された人々
 ハヤタバード・ハルハニ地区フランス病院の投票所。ここはトルカムの国境に向かう幹線沿いにあり、道路と平行して走る線路をまたいで100メートルほど行ったところにあります。投票所に向かう途中で二、三十人で固まった一団に出会いました。もう投票は済ませましたかとパシュトゥー語で聞くと、投票を拒否されたと口々に不満をぶつけてきました。話を聞くとこういうことでした。彼らは皆ジャララバードから来ました。ジャララバードで登録し選挙票ももっているのでここで投票をしようとしましたが、アフガニスタンで登録した者はパキスタンでは投票できないと言われ拒絶されたのです。だから今ジャララバードから来た人間が集まってジャララバードに戻る算段をしているところだというのです。しかし今日はなぜかパキスタン側の国境が閉鎖されていて困っているのでした。
 彼らはジャララバードに家があり、仕事や家族の病気治療のためにペシャワールにきていました。パキスタンで投票できないなどとは夢にも思っていなかったようです。なぜなら、彼らによると登録をしたとき係員からはどこで投票してもいいと言われたし、BBCラジオでも同じことを言っていたからです。ひとしきり不満をぶちまけた彼らは、私たちでは埒が明かないと気づいて、今度は近くにいた警官に矛先を向けました。
 投票所の入り口で中の様子を窺っていると、選挙登録と投票所の運営を委託されているIOMの国際スタッフがやってきたので、この問題を投げかけてみました。話を聞くと彼は、「それはミステイクだな」と言いましたが、すぐに思い直して、アフガニスタンではどこで投票してもいいことになっているので、係員はアフガニスタンでのことを言ったのに、聞いたほうが誤解したのだろう、と付け加えました。確かにその可能性はあります。しかしパキスタンでは投票できないことが告知されていなければ、やはりそれはミステイクです。彼は2日後にカブールのUNAMAの会議に行くというので、このことを報告しておいて欲しいとお願いしました。

5.選挙に行くか行かないかはプライバシー?
 それにしてもアフガン人たちの投票に対するこの熱意はどこからくるのでしょう。彼らは投票を拒否されたことを本気で怒っています。さらにトラックをしつらえて投票のためだけにジャララバードに戻ろうとしています。ふと、投票をすれば何か恩恵がある、あるいは投票しなければ何らかのペナルティーがあると誤解しているのではないかという疑問が生じました。失礼だとは思いましたが敢えてこのことを先ほどの一団に聞いてみました。しかし誰もそんな誤解をしている人はいませんでした。ただ一人、気になることを口にした人がいました。親指にインクのマークがなければアフガンに帰ってから困る。お前は何で投票しなかったのか、お前はアフガン人じゃない、などと言われるのではないかというのです。
 4番目の見学地であるジャロザイ難民キャンプ第4投票所学校No.150の投票所でもインクの問題に出くわしました。ジャロザイ難民キャンプはペシャワールから車でおよそ30分ほどのところにあり、この時点でも40,000人の難民が暮らしています。投票所の係員に問題はありませんでしたかと聞くと、インクをつけたがらない人が何人かいたのが問題だという返事が返ってきました。なぜインクをつけたがらないのでしょうと聞くと、インクをつけていると投票にいったことがわかってしまう。タリバーンに見つかると指を切られる、と言っていたというのです。
 インクがついていないと困る人間、インクがついていると困る人間、立場によって両極端の反応をする人がいるのです。だから一概に彼らのどちらが真実ともいえません。しかし、先進国といわれる国でこのような方法を採用したらどういうことになるでしょう。プライバシーの侵害にあたります。この「消えないインク」は、投票に行った人と行かなかった人を峻別するために身体に施された「烙印」なのです。投票に行ったか行かなかったかを知られたくない人がいるのですから明らかにプライバシーの領域だといえるでしょう。このことはアフガニスタンではとても深刻な意味を持っているように思えます。選挙に参加するかしないかをめぐって、アフガニスタンでは反政府勢力の脅し、コミュニティーの縛り、家族の決定など様々な外的な制約があります。誰に投票したかだけではなく、投票に行ったか行かなかったかをも秘密にできるような方法を考える必要があるのではないでしょうか。

6.「誰に入れるかは一族で決めました」
 ジャロザイキャンプの投票所を見学した後、投票を済ませた何人かの人に誰に投票したかを聞いてみました。2人に聞いて2人ともカルザイに入れたと教えてくれました。では奥さんは誰に投票したのですか、と聞いてみました。2人ともカルザイに投票したと答えました。兄弟は誰に投票しましたか、とも聞いてみました。やはり2人ともカルザイに投票したと答えました。そこでなぜ奥さんや兄弟がカルザイに投票したことを知っているのですか、と聞きました。するとそのうちの一人は、ファミリーでカルザイに投票すると決めたからと言います。ファミリーは何人ですかと聞くと、村全体で15家族いるが全部ファミリーだと言うのです。アフガニスタンは奥が深い。
 難民キャンプの中でも一族がコミュニティーを作って集住しているのです。そしてこの例でも分かるように、一族が決めたことは皆が従うのが一般的な慣わしです。欧米流の自由で公正な選挙の「自由」と「公正」の意味を、ここアフガニスタンでは一族で決めることの自由、一族で決めることの公正さという意味にまで広げて考え、よしとする必要があるようです。さもないと社会に基層の秩序に大変な混乱が生じてしまいます。
 一方で、今アフガニスタンはこの選挙をひとつの契機に大きな社会変化の過程をたどっていると考えることができます。JVCスタッフのハヤトラの報告では、アフガニスタンは政治的な問題は男性の意見に従うのが当たり前の社会だが、口では男性に従うと言いながら、実際には自分の意思で投票した女性も多かったのではないかとありました。無数の人々の内面の葛藤が熱を帯びて社会全体を覆っているようです。特に伝統的な社会規範の強い農村部で、人々は反発と迎合の狭間で困惑と不安とに身もだえしながら新しい時代を模索しているのではないでしょうか。「自由で公正な選挙」を蒙昧な人々を啓発するものと考えている人には、アフガニスタンの現実は見えてこないでしょう。

7.「アフガニスタンを誇りに感じました」
 ジャララバードで留守番をしているJVCスタッフのハヤトラとナザールに選挙当日の様子をレポートしてもらいました。ハヤトラはJVCに出勤する前に投票をすませ、帰宅途中に他の2箇所の投票所によって投票の模様を観察しました。ハヤトラによれば投票に大きな混乱はありませんでした。人々は皆イードの祭りのときのように明るい表情をしていました。午前中に人々が集中したようで、3箇所の投票所は午後3時にはほぼ終わってしまったような状態でした。女性の参加者も多くみられました。
 ハヤトラは投票の前夜、夫人に誰が立候補していて、それぞれがどんなバックグラウンドをもっているかを説明し、誰を選ぶかは自分の意思できめるようにと話しました。ジャララバードでは女性も自分の意思で投票したと思うとハヤトラは言います。彼によると、アフガンの女性は男性に従うと言われていますが、口では男に従うように言っておいて、心の中では自分の意思で行動しようと思っているそうです。男に従った結果がこの30年に及ぶ戦争だったと痛感しているからだ、とのことです。
 ナザールもこの日事務所に行く前に投票を済ませました。場所はミア・オマル高校に設けられた投票所でした。校内には8教室が投票所にあてがわれていました。ナザールによると、彼が驚いたのは、投票所では皆が規則に従って一糸乱れずにちゃんと2列に並んで投票を待っていたことでした。ナザールは、アフガニスタン人がこんなに規則正しく振舞っているのを生まれて初めて見たと言います。そして自分が知る限り、みな自分の意思に従って投票したと考えているとも。
 投票に参加した人は皆嬉しそうだったそうです。アフガニスタンで初めて選挙に参加したという喜びが表情に表れていたというのです。ナザールの友人のジャーナリストが取材にいったガズニ県から帰ってきてナザールに次のように言いました。この選挙でアフガニスタン人が見せた熱意と規律を見て自分は誇りに思うと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?