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病と人権のコラボレーション

憲法記念日の今日、去年は何していたかな~、とFacebookを繰っていると、そういえば、兵庫県弁護士会主催のこんな講演会を視聴していたのでした。

このイベントの開催を知った時、
「緩和ケア」という単語に反応
     ↓
がんになった緩和ケア医がいるのか
     ↓
ていうか、これは憲法のくくりで語られるテーマなのか!
とびっくりしたものです。残念ながら、この講演会から1年を目前にした先月、講師の関本先生がお亡くなりになったという報に接しました。その後の1年のご功績などをうかがう「season2」みたいな講演会がないものかとも思っていたのですが。
だから、というわけでもないのですが、病気と自己決定って、憲法として語っていいテーマだったな、ということを思い出したので、関本先生の動画を聞きながら、最近思っていることを、思いつくままにつづってみたいと思います。

障害者権利条約×病

先週だったか、TBSの「報道特集」という番組で、インクルーシブ教育の特集をしていました。

インクルーシブ教育とは、障害のある子もない子も、同じ場を共有して受ける教育のことを言います。私がインクルーシブ教育という言葉を聞くと、自分の学齢期や、その後の高校、大学での苦い記憶がよみがえります。
現在、インクルーシブ教育という単語がメインで想定する障害のある子は、いわゆる医療的ケアを要するような重度の障害のある子。その背景には難病が隠れていることが少なくありません。しかし、一口に難病と言っても、そんなに重い状態の子ばかりではなく、私のように、「黙っていれば普通の子」もいます。普通の子なので、特別支援学校へ分けることもできず、必然的に普通学校、普通学級に所属することになります。「分ける先」がないのです。
ところが、能力的には普通学級でも、多少の配慮は必要です。ベースとして、普通の子よりも頻繁に体調不良になること、通院のために早退することがしばしばあることなど、地味だけど普通じゃないことがこまごまとあります。要配慮事項が地味すぎること、多すぎることが災いして、これらを完全に理解いただけた学年は、1年としてありませんでした。とりわけ、体育見学の頻度が増えてしまうために体育教師との相性はすこぶる悪く、これは難病カフェなどで話していてもよく話題にのぼる「難病の子あるある」として誰に聞いても経験があるところでしょう。そんな日常から自分を「分ける」ために、保健室や図書室へ通う時期が結構長期間ありました。
おかげさまで、「ムダに周りの大人に怒られる経験」ばかりが積み上がり、社会に対する信頼を形成できず、それは現在まで尾を引いているような気がします。インクルーシブ教育とは、「ともに在ること」の実現ではあるのですが、そこには多様性への理解がないと安心して「在る」ことができない。この点は、難病の子であれば誰しも思うところでしょう。

では、こどもだった同級生に、病気のことを理解してもらえばいい、ということかと言うと、それも難しい気がしています。というのも、大人になればなるほど、配慮は獲得しやすくなっていったような気がするからです。それは、私自身の、「自分の取扱い説明」が熟達してきたということに加え、単純に周囲の人間も成長し、大人になればなるほど理解を得やすくなったということがあるように思います。
とはいえ、職業人をするにあたり、聞いたこともない病気について、どの範囲まで、どのように伝えるのかは永遠の課題です。年齢≒病歴の私でさえこうなのですから、成人してから病気に直面したような人の場合、その説明責任をすべて本人に負わせるのは酷でしょう。特に現在の職場にあって痛感するのが、「周囲の『病気』への抵抗感の低さと理解度」によるところが非常に大きいという点です。私の現在の職場は、ほとんどが保健師などの医療職で構成されています。そうすると、「下垂体」という単語ひとつとっても、これが障害されるとどれだけ大変なことになるか、職業人として一言で理解してもらえるのです。これは、かつて大半を福祉職で構成される職場にいた時よりも明らかに働きやすさを感じるので、他の職種では代替できないところだろうと思います。副腎皮質ホルモンの分泌が低下するとどうなるのか、経験していなくてもある程度の知識が備わっている人と一緒に働くことが、これほど楽なのか、というのは私にとっての大きな発見でした。
つまり、病気のある人にとって、周囲の病気についての理解度が上がれば上がるほど、病気を捨象した「生身の私」を発揮できる、口幅ったく言うと「尊厳が守られる」ような、そんな気がしています。

今年夏、障害者権利条約に基づき、日本の障害者の国内人権状況について、国連の審査が行われる予定です。私は、難病当事者ということで、意見を聞かれることもあるのですが、それは必ず25条(医療)についてです。しかし、私たちは「難病」だから医療だけに困っているわけではありません。若年期には学校に行きますし、教育の過程でさまざまな排除を受けている子はまだまだ多いです。地域生活を送ろうにも、生活上一人ではどうしようもない生きづらさを伴走してくれる支援制度もありません。病気と一緒に成長し、大人になり、天寿を全うするライフステージのそれぞれの場面において、どのような人権が保障されるべきか。2人に1人はがんという大病に遭遇すると言われている現代、「病と人権」は、医療以外にももっと広がりをもってとらえられてほしいと思います。

意思決定支援×病

他方、病気のある人は、「黙っていれば普通の人」であることを理由に、普通の人を装って生活する場面が少なくありません。働き盛りの年齢にがんを患った場合はそうもいかないのでしょうが、少なくとも人生の早い段階で大きな病気をした場合は、病を明かした瞬間に排除される経験を積み重ねているので、重大局面になればなるほど黙る選択をします。黙るリスク、明かすリスクを天秤にかけた時、今の社会は明かすリスクの方が明らかに大きいからです。ということは、健康体の皆さまは、まだまだ病のある人に信頼されていない、ということなのだろうと思います。
今でこそ、障害者雇用促進法に基づき、事業主は、障害者への合理的配慮の提供をしなければならないとされています(36条の3)。これは、事業規模に関わらず、また、障害者雇用率の対象になっている障害かどうかに関わらずしなければならないため、それががんであろうが難病であろうが同じです。
・・・という話がむなしくなるほど、現実は厳しく、「そっか☆じゃあ上司と相談してみるよ!」と無邪気に考える難病患者はほとんどいないでしょう。この点が、法律相談として難病患者の「はたらく」の話を聞いていて、無力感を強く感じるところです。
というのも、上司に相談すればいい、そこで排除されるなら内容証明の一本も抛りこんで、裁判になったっていいじゃないか、法律は味方してくれるわ、と、思いがちですが、私たちはそうはいかないのです。
日々の生活に精いっぱいで、紛争に割くだけの身体的・精神的余裕はない。なにより、自分が、普通の人に比べて「役立たず」であることがよくわかるだけに、紛争してまで権利を獲得する踏ん切りがつかない。そうした、確固たる根拠のもと、「紛争をしない」という意思決定をされる方がほとんどです。そんな患者を前に、障害者雇用促進法がどれだけ救いになるか、「法律だけでは解決できない」、でも、そこには貧しい人権状況があると感じる一場面です。
人権状況が貧しければ、権利侵害があれば、必ず人は戦う・・・というものでもありません。人権状況が改善するためには、どうしてもどこかで声を上げることが必要なのだけれど、ここで「戦う」という意思決定に向かうよう支援することが正解なのか、「戦う」以外の選択肢で人権状況改善に向かうべきなのか、いつも悩ましいところです。

優生思想×病

この、「自分は普通の人と比べて役立たずだ」「だから権利救済を得ることに気が引ける」という思考回路に、形を変えた優生思想があるような気がしないでもありません。私自身の中にも、否定しようもなくそうした思いがあります。社会の入り口で、自分で自分を排除しているのです。誰かに「そうじゃないよ」と言ってほしいけど、この余裕のない時代にそれは難しいかなぁ。
でも、優生思想は、旧優生保護法被害救済の文脈だけじゃなくて、日常の片隅に常にあるものなんだろうと思います。そして、それは本能的に襲ってくるため、常時相当気をつけていないとすぐに飲まれるものであること。病とともに生きる身としては、「事件化している問題だけが、優生思想じゃないで」。

アライ×病

アライ、って最近よく聞きますよね。新井さんじゃないですよ。英語で「同盟、支援」を意味する「ally」が語源で当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方、あるいはそうした立場を明確にしている人々を指す言葉だです。性的マイノリティの運動から生じた単語ですが、べつにそこに限る必要はありませんよね。
さて、ひとつ前のnoteで書いたように、難病患者はなぜか知らないですけれど、その支援活動のほとんどがピア、つまり当事者同士での自助的な活動であり、難病カフェも、認知症カフェやひきこもり居場所と異なり、ほぼ100%に近く、当事者運営です。

ところで、全然違う話をすると、最近では相当数の難病で、障害福祉サービスを使うことができます。また、特定の病気では若くして(40歳以上)介護保険サービスも使えるため、ケアマネジャーのお世話にもなります。ところが、いずれにしても対象者のうち難病者が少なすぎるため、病人特有のニーズを理解できるヘルパーやケアマネジャーの方に当たることが非常に難しいようです。せっかく福祉サービスを利用できるようになったのに、ユーザーである難病患者の満足度が低くなり、「もう、ええわ」となったり、望むようなケアプランにならなかったりする場面に遭遇することがあります。サービスは、使えるようになっただけではダメなんだ、ということを痛感します。
こんな話いずれにおいても、難病患者には、「看病」の視点を持った健康な支援者が必要なのに、そんな専門職はおりそうでおれへんなぁ、と言えると思います。「看病」の視点を持ったヘルパー、ケアマネジメント、就労支援、居場所支援、などなど。しんどい時に、背中をさすってくれるだけで安心すること、ありますよね。そんな支援者を、先生を、同僚を、地域住民を、増やすことが、これまで自分と家に閉じこもっていた難病患者を、尊厳をもって社会の一員として迎え入れることじゃないでしょうか。
難病患者の個人の尊厳は、難病患者だけでは保障できません。
2022年5月3日、憲法記念日に、そんなことを思いました。

あ、ちょうど、関本先生の昨年の講演動画が終わったところだ。

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