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【備忘録】書く仕事を求めて

とあるコンプレックスと折り合いが付けられて、「できないこと」や「やりたいこと」よりも、「できること」を伸ばしていこうと考えたのが、ちょうど1年半前のことだった。

ある光

そこからさまざまにトライする中で、ひとつ希望が見えたのが「書く」だった。「できる」とは僕にとって伸び代を意味した。周りと比べて優れているというよりは、かけた労力に対して小さくても「伸び」があること。それが「書く」には感じられた。特に書いていた場所が閉じられたコミュニティであったため、実力よりも多めにもたらされるフィードバックが自信にも動機にもなっていた。

やがてそれを仕事にしたいと思うようになった。ずっとできないことに心身をすり減らし、やりたいことを空に描き続けていた僕にとって、仕事とはただ心を殺して耐えるものだった。そこから抜け出したかった。できることを通して、時間を切り売りする以上の価値を生み出せるようになりたかった。

ある契機

2週間前。
僕は面接を受けていた。ライティングの仕事がしたいと思い、とある求人に応募したのである。ライター職未経験だと書類選考で落とされることが多い。その分自分としてはまたとない機会だったので、事前のメールのやり取りも慎重におこない、気合を入れて臨んだ。主に志望動機を聞かれて、できることで生きていこうと決めた経緯や書くことに希望を見出したエピソードを話した。その後互いに質問をしながら面接は滞りなく進んだ。

「それではライティングテストを受けていただきます。今から20分間で〇〇について調べてWordにまとめてください」
冷静を装って応じたが、内心は焦っていた。制限時間の中で書くという経験が今まで一度も無かったのである。
僕にとって文章とはじっくり推敲をしてようやく形を成すものだった。それが使えない。ザックリの仮説を立てて、慌ただしく調べて、それっぽい文章になんとか落とし込もうとした。

「時間になりましたので作業を中断してください」
あまりの書けなさに打ちひしがれた。でもよく考えれば、制限時間があるのは当たり前の話だ。いつまでも推敲をしていていいはずがない。締切があって、他の業務との兼ね合いがあって、時間対効果を考慮して、はじめて仕事として成立する。時間内にできたものが実力。その足りなさを痛感させられた。

1週間前。
手応えが無さすぎてもはや忘れていたが、合否の通知メールが届いた。
合格だった。
後日電話で打ち合わせをし、8月から仕事を受けられることが決まった。
その際にどうしても気になっていたので聞いてみた。
正直自信がなかったが、なぜ自分が受かったのか。
「主にはメールのやり取りが丁寧だったからです」

今の結論

そして今に至る。面接の一件から学んだことが2つある。一つ目はアウトプットをすることでのみ自らの実力を正確に把握できるということ。二つ目は思いもよらない小さなことが結果に結びつくということだ。総じて言えるのは、どれだけ拙い1であっても0よりはマシだということである。

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