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嫌いな人のそれが、自分にあるって、面白いし素敵すぎる。

よく、他人を悪く思ったり批判したりすると、

それは自分の中にあるのだから、

自分の中にそれがあるから他人がそういう風に見えるのだという話しがある。よくよくある。

私はこの話しが結構好きだ。

相手の嫌なところが自分の中にもあると思うと、すごく嬉しい気がする。

「ああ、そんなに私は、多彩なんだ!」と思うのだ。

この人が、こんな風に、こんな感じで、こんなに嫌な人に見えるんだけど、

それが自分の中にあるって、すごくない?

そして、自分が知ってる自分より、もっと自分は大きい存在なのだなと思うのだ。

なので、私は積極的に嫌な人は嫌だなと思う事にしている。

嫌だと思わなくなったら、

その嫌な部分が自分には無いということになり、

なんとも自分が味気なく、つまらない人間になったような気がして残念だからだ。

こいつホント嫌だなと思った時、

その人のその性質がそのまま自分の中にあると想像してほしい。

途端に自分はウルトラマン以上の強者になったような気がする。

そして、その多彩な自分のほれぼれするのだ。

みなさんも、この人嫌だなと思ったら、積極的に嫌だと思ってほしい。

そして、その嫌なところがそのまま自分にあると想像してほしい。

途端に、自分は、いつも知っている自分より、大きな存在になるだろう。

それは、結構面白いことだ。


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