社交性か媚びかワケワカラン話


しがない大学生太郎マッタニです。


元気でーす 明るいでーす ボケれまーす みたいな若さとして求められるような風貌、態度を最近かなぐり捨てました。これを生意気と仰る方はいられますでしょうか。いるんやろなあ。マッタニです。迷走なのか反抗期なのかはよくわかりませんが、結果としての今だと常々思っています。いいねんカメラテストは終わったねん。


※めちゃくちゃ持論です。めちゃくちゃエッセイです。学問性皆無です。最近は検定の勉強をしています。チャミスル美味しいです。


自分の社交性やコミュニケーション能力が、果たして自分として認められるものなのか全くわからなくなっていました。大変だった。大変だ。今もわかりません。学問を考える上でのスイッチは切り替えるけども。裏でめちゃくちゃ言うけど表では『🥺♡』みたいなことはしませんけども。他人様に対してイメージだけで批判するようなことはしませんけども。それをしたら終わりだと思うのです。

しかし、最近の概念としての人が無理無理侍マッタニ、好きな人達のみで閉ざしたい。狭くていいわよ こんな世界。大変だった。大変だ。社会人は目前です。

自分の気持ち悪い過去の話無料配布期間を永遠続けられるほどのエンターテイメント性は残念ながら持ち合わせていないので有料記事にしています。あの例の記事を覚えていらっしゃる方はいられますでしょうか。そんなこんなで博愛主義になれるわけもないのでした。それでも失格の札を貼られるわけではないのがミスiDの良いところと言っていいですか。是か非かに二分する自らの浅はかさを感じます。

カメラテストが終わったので、マッタニがどこまで行くかはわかりませんが、もうせっかくなので自分の話をします。もうええかなって。何がって。言うことが次々に変わって申し訳ありません。化けの皮が剥がれる1分1秒。自我の成長ってことで讃えていただけませんでしょうか。


これぐらい書いたら、『マッタニのnote読んでくるわ!』と言った割にはクソ土足で踏み散らかしてくる方々はもう画面を閉じますか?ろくに読んでへんやろ~!ちなみに 140字やったら読めたりしますか?マッタニの文章構成能力、伝達力がそれまでやったらごめんなさい。Don't think, feel.で片付けたい。貴方様のヒーロー気取り自慰にマッタニを使わないでください。口が悪すぎる己氏。

そういう日もあるよ。知らんけど。


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『相手が求める答えを出さざるを得ない人生を歩んできたんかなって思うわ。』


初夏も過ぎた頃、初めましてからの数時間経たずうち、ある方から頂いた言葉です。これを聞いたときのマッタニの感想を考えてください。

(終わった。)

『そんなことないですよ~』が直ぐに出てこなかった時点で終わりです。コンマで出なかったら終わりです。最悪です。嘘です、ちょっと肩の荷は降りました。否、こっちのが嘘です。どっちや。崩壊のコングは確かに鳴っていました。待って防具を買ってすらないのよ。くれよ客席。見てんじゃないわよ。

このnoteを読んでいる方はどこからのマッタニをご存知なのでしょうか。自分も”これ”が始まったのがいつからかよくわかりません。幼少期はもっと自由だった気がします。確証はないけれど。友達とか友達の友達には無いはずなんですけど。高校時代もそんなことはなかった気もします。確証はないけれど。


元々、地域コミュニティとの関わりも、親戚の関わりも薄い育ちのマッタニです。最近の風潮として、家庭環境の話をしたら一個人の大体がわかる気がしませんか?嫌すぎワロタ。そもそも家を「閉鎖的コミュニティ」と称する時点で察してください。全部を話さなきゃいけない義理も責任も、皆 無いのよ。

”いい子”であることを絶対的な善として、生きる術として。対象の言うこと全てを受けて肯定し、自分の意見にすることで従属を示していたような人間です。でした。別の人でもこういう考えの方はいらっしゃるのではないでしょうか。それは呪いよマイメロディ。『悪い子はどこにでも行ける』って爆イケお姉さんが言ってたじゃない。これが真理よThis is。


コミュニケーションはキャッチボールって言うじゃないですか。投げて返して じゃないですか。相手の投球を全キャッチ→自分の投球を相手のグローブに目掛けたら成立するじゃないですか。怒られないし亀裂も生まれないはずじゃないですか。それが他人、特に年上の方なら尚更。ピッチャー、ビビってる~!マッタニはビビってる。そういう話です。


上手く立ち回るって大事だと思うんです。社会を他人と共生する上で、自分の役割を認識し、その通りに行動すれば最大幸福は無くとも不幸は生まれないと思うんです。こう考えてる時点でマッタニはマッタニが気持ち悪いんです。わかるの。

このお言葉を頂いてから、ずっと自他ともに賞賛していたマッタニの社交性及びコミュニケーション能力もどきが 純粋であるのか疑問を覚えるようになりました。色々振り返るようになりました。拗らせ で片付けていいでしょうか。自我、もとい主体性はスイッチで爆誕する機能性を帯びていないと最近知りました。変わりてえ~。


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社交辞令と接待と媚び


事前情報を一つあげるよカウボーイ。親の趣味に連行され続けて、幼少期は主に年配の方との一時的交流が連続して存在していました。年上に対してタメ口をきけた試しがありません。逆に予防線とも言う。


日本人特有か、話によっては男尊女卑社会における慣習じみたものが相まってるのでしょうか。とりあえず自分を下げて相手を持ち上げることに慣れてはいませんか。マッタニだけかなぁ。やめたいのでやめます。やめれる?

「対応が良い」という誉め言葉は、「他人に媚びる」行為ができる自分の性を指摘されているように感じてしまうのでした。ひねくれと称されてしまっても何も言えません。それはそうかもしれん。

これらは「そうせざるを得ない相手方」を責めているのではありません。自ずから自動的にそのような態度を取ってしまう自分を拒絶しているのです。気持ち悪いyoマッタニのオンパレードです。万人に良い顔をして八方美人になった末のマッタニが去年よ。忘却は連鎖を生む。

他人様との付き合いで、礼儀としての行儀が必要なことは承知しているのですが、自分のそれは果たして、過も不足もないベストなのか?自信がないのです。媚びがプラスをもたらすと思えないマッタニです。だってそうして結局舐められてきたから。嫌な目にあってしまっていたから。策や術としては正当性があるのだと思うのですけど、そう生きたいわけではないマッタニとしては肯定できません。元々自分自身を肯定しきってもないんですが。全否定俺氏。


あれは0次選考最終日。ツイキャスなるものをしたんですマッタニ。ちゃんと喋ろうと。ドンドン己のアイデンティティを真正面から考える羽目になってしまったミスiDについて。マッタニの今の考えについて。

覚えていらっしゃる方はいられますでしょうか。見てた方はごく少数だと思います。一切話しませんでした。1テーマどころか一瞬も話せなかったのでした。自分の記憶力が憎たらしい毎日です。お恥ずかしい。超穴に埋まりたい。こんなはずじゃなかった、と 頻繁に言ってしまう自分がもう己。全否定俺氏。


全く。本当に。真面目な話を一切しなかったのです。元々野心でマッタニを存続させているわけではないと言えど。寧ろ見てくれている方に対してのエンターテイメントを第一に考えて。ふわっと。お恥ずかしい。超穴に埋まりたい。

「メンヘラの保健室」と称されるミスiD=メンヘラ=承認欲求故のエントリー みたいな図式をお持ちの方がいらっしゃることは想像が容易いです。いやでもマッタニ単なる承認欲求だけでアカウントを消さずにエントリーしてるわけではなくて。


『つまりマッタニは愛されたいんだよ。』

違うんですけど、『いや違いますけど。』ってその場で言えなかった自分。嫌気が差してのアカウントに鍵をつけての鎖国でした。全然違うのです。そもそも愛という概念に対して捻くれた思考を持っている当方です。

愛以前の話で。まず個人として対等に存在したいわけで。公に姿を晒すオーディションという形式の下、こんなことを言うと反感を買うのかもしれませんが、『可愛い』って言われたいわけじゃない。いやでも『ブス』とは言われたくない。『そんな可愛くないのに。』と『マッタニ可愛いからいいやん。』の言葉が脳裏にずっと同伴しているような世界線。そしてそこから自分の中途半端な外見に対して嫌悪しか生まれなくなっていくのです。泣き顔を見て『泣いてても顔はいいな。』なんて絶対言っちゃダメですよ。


前述した、頂いたお言葉とこの無意味ツイキャスでドンドン思考はマイナスに陥りました。社交辞令としての『飲み行こ』はもうやめます。やめるんやマッタニ。接待じみたトークスキルもどきはやめます。やめるんやマッタニ。優しさを媚びと混同させ、「話を聞いてくれるマッタニ」を好かれても嬉しくもなんともないやろマッタニ。性欲とかじゃなくて人間的に好きっていう感情を覚えた▽最近。ワッツハップン2020。正直いつ消えるかわかりません、何かの拍子に消しちゃうかもしれません。消えないでほしいって言って頂いたからには努力はしたいですが。ひいん生きる。


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フォロワー外から見に来られているお知り合いの方々こんにちは。マッタニは最近激痩せして可愛くなりました。調子はどうですか。

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