自分の最大のアンチこと自分の話


しがない大学生太郎マッタニです。

今朝は喫茶店で目の前に鏡があり、前髪が絶望的だったので格闘をしていた所、近くのお爺様が不思議そうにご覧になっておりました。私達には前髪はとても大事なことなのです、おわかりください。化粧室空いてなかったんですごめんなさい。暫しの間お付き合いください。


冒頭の挨拶はずっと変わりません。

しがない: 1 取るに足りない。つまらない。2 貧しい。みすぼらしい。(goo辞書より)

とあるように、マァ〜自己肯定感の低いマッタニです。こんにちはこんばんはHave a nice day~!

しかし、総合としての自己肯定感はなんなら高い説isであり、自信過剰なのではないかと思うこともあります。この自信過剰説を唱えること自体、自己肯定感の無さから来ているのかもしれませんが。

昨今の若者の課題として、アイデンティティ迷子案件自己肯定感マイナス成長ドドンガドン案件があると思うのですが、マッタニもそのような時代のブームの一節であることを願うばかりです。

にしては、最近のマッタニは何をするにも反論が頭に浮かびながら生きています。最近じゃなくてずっとかもしれません。わかりません。陰鬱なnote.ばっか書いてるんマジでやめたい。マジでハッピーラブラブ青春の曲作りたい。いつぞやのある日、マッタニに『マッタニは一生幸せになれなさそうな歌を歌うね、でもそこがいい。』って仰った方のことを思い出します。マ?


自分の最大のアンチが自分で厄介すぎる話を、します。

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人に頼ることの鬱屈さ俺氏 


最近 近頃、学年もミスiDも相まって私自身 個人に対して評価を頂く機会があります。その際に何かやたら言われるのが『人に頼るの苦手?』『閉じこもらないで欲しい。』マ?

前回のnoteでこれまた鬱屈とした記事を書き、マッタニのズドンドン部分をお見せしたのですが、『えっ まだ言われるん2020』。


実際人に頼るという行為はめちゃくちゃ苦手で、『じゃあ全部1人でやりたい。』って言っちゃう当方なのですが。まず、何故人に頼るのが苦手かの話をしましょう。


1.人に頼る=他人の手を煩わせる=他人に迷惑をかける

2.人に頼る=弱みを見せる=メンタルが弱い=メンヘラ?

3.人に頼らない=自分1人の責任=切迫感がない


生き急いでる己氏をどうにか今年で変えたいと思います。前置きとして、マッタニ自身は頼られるのは苦ではありません。好きな人達だったら喜んで引き受けますし、頼られることに対して高揚感すら感じます。自分の自信になりますし、信頼関係故だと思って更に一層LOVEは加速ドドンガドン

去年は本当に生き急いでずっと汗をかいていたので、今年は絶対に汗をかきたくないし焦りたくないと思っています。が、この問題がデカすぎるのよマッタニ。あなたグループワークで先に仕事割り振り決めようとしすぎよ。効率重視の結果よりも1人1人が確固として存在する過程の方が経済性を度外視したグループワークでは重要なことは分かっています、ええとても。

この『何故マッタニは人に頼らないのか問題』において、1と3はまぁ皆さんお分かり頂けると思うので、『マッタニお疲れフェイ。頑張レィ。』で終わってください。


マジで問題の2。メンヘラて何。

自分が『メンヘラ』って言われるの嫌すぎバカスカのマッタニです。いつまでも経験からしかお話できないのがとても平易で、なんなら稚拙と思われても致し方ありません。モ~マジで『メンヘラ』って言われるの嫌すぎワロエナイ。共依存を先手で目論んできたのに 結果的に『メンヘラに好かれる俺』を演出する殿方も、マッタニの事情も何も知らないで『メンヘラ笑』って言う方々も懲り懲りグッバイ。言葉が人によりけりではありますが、マッタニに対してのメンヘラは悪口でしかない。悪意しか見えない。なんやねん『俺メンヘラ結構好きやねんな笑』。なんやねん『マッタニメンヘラやし、わかってくれるよな?🥺』。わかんねーよ。マッタニが一般的な見解の下にあるメンヘラの条件に実はあんまり当てはまらないことを提示してもいいのですが、なんだかウザい気もするので やめときます。

そうやって『考えが短絡的でヒステリックなメンヘラとしてのマッタニ』を周りが求めてるのではないか とも思います、なんだと思ってんだ。プンスカドン。

しかし一方で、自分が病んで思考を拗らせてしまい、大変面倒な性格になってしまったことに対して『いやこういうことがあってさ』って裏付ける背景も持ってるはずです。『その背景に傷ついてしまう自分のメンタルの弱さが原因なのではないか』と堂々巡り負のスパイラルは止まらないのです。止まれ

そんなこんなで誰かに対して相談するときも茶化してしまうし、ネタに走ってしまう。でもパンクしたら閉じこもるしなんなんだお前は。フランクに生きれる時とそうでない時の差がマリアナ海溝。溺れてるよマッタニ~!シンプル息継ぎはできない。


からのこんなことを言ってるマッタニに対して、アンチマッタニの口は止まりません。結局『相手方に迷惑をかける=自分に対して低評価がつけられる』ことに対しての事前回避を目論んでるんちゃうか。実際の発生率がどうあれ。挑戦しない者は甘えだという言説がありますが、その通りだと思います。リスク回避を優先しすぎて自分を守って他人から離れている。他人との共生社会において欠陥となり得る部分です。ひーん治したい。治せるかはわからない。

『頼っていいよ』って言ってくれる方もありがたいことにいてくださいます。が、自分がそれに見合う代替物を提供できない方の場合、罪悪感故に頼れません。提供できたとしても、なんなら『そう言って下心なんちゃうん。』と思ってしまいます。下心自体の善は善なのですが、人によっては扉開いたら土足で踏み散らかされるのマジで勘弁すぎる。下半身に心が伴っているかなどが問題ではなく、最早知性の問題まであります。


自分終わってる。


等価交換の方が有意義だ』という歌詞を書いたのですが、等価交換の方がなんだか安心しませんか?先に許されないと何もできない。そのような〝等価交換〟が必要ない関係こそが清く美しい。わかってるけども。マッタニに対して何かを提供して欲しいなんて思わないけれど、マッタニは何かを代わりに提供できないと不安でペチャンコになります。すいませんの気持ち。

まぁかと言ってこれを文章で書けているだけマシだったり、友達にSNSを通して吐けるだけでもマシなのです。


って言って〝更なる不遇の方〟を想像して自分を黙らせようとしてる自分もキツすぎる。『マシ』っていう言葉の求める沈黙の圧エグくないですか?何の解決にもならない。自分が永遠に自分に『その程度で?』って言い続けるので、他人の方に対しては絶対言わないでおこうと思います。反面教師俺氏

頼るって難しくな~い?難しいやんなぁの会で慰め合うのを誰か誘ってやりたいです。これはキモくねーだろお前が黙れマッタニ。


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せっかくなので小出しにして人生において自分のドロロロ加減と向き合っていこうと思います。字面えぐ。

次は『可愛いと俺氏』


☆最近はポニーテールのお姉さんが結局好き___!!

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