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ムウたま考

ムウ姫思考整理note

つい最近オマージュ元である人間・失格を読んだので改めて考えを整理
読んでる人がいたら気楽に読んでください。


ムウの人物像

楠夢羽たまの人物像について人間関係を中心に考える

ムウの「友達」

お金持ちで美少女のムウは、学校では以前「友達」に囲まれて過ごしていた。彼女の友達とはいったいどんな人物だったのか。『アフターペイン』『悪くないもん』のMVから、その様子は一部伺える。
ムウのスマホの画面に映る写真では、ムウは3人の友達に囲まれている。しかしMVの様子から後にムウは友達の輪から外されるどころか、手のひらを返して悪口を言われ、彼女たちからのいじめの対象になっていることがわかる。彼女たちにとってムウはそれほど大切な存在ではなかったという事だろうか。
LINEのやり取りから、ムウは高級コスメを彼女たちに与え、喜ばれていたことがわかる。ミルグラムでのハルカにもヘアピンを渡している描写から、このような贈り物は彼女が友達と思う人物に、日常的に行っていたものと推測される。
これらの事から、ムウの友達らは、かつてムウと共にいる事で享受できるお下がりの高級コスメのようなメリットを目的に「友達」をやっていた面があったものと考えられる。

『アフターペイン』MVより

 それでは、ムウにとっての「友達」とは?
「Queen B」では、ムウは「何かに利用するとかではない」「お互いにいい事があるから一緒にいるのが友達」と発言している。
MV内の描写では、ムウの「友達」はムウに緑色の蜜を貢物のように運んできてくれている。こうやって「友達」に奉仕させる事を「利用している」とは思っていない様子。
ムウから金銭的なメリットを享受する「友達」と、お互いの関係の認識に相違がある。
ミルグラム内では、ハルカの事を「とっても居心地がいい」「ミルグラムの中で一番仲良し」と言っている。
なので、より具体的な様子がわかっているハルカとムウの関係から、ムウの友達観を探れないか考える。

ムウとハルカ

 エスはムウがハルカを利用するために近づいたのではないかと疑う。
しかし、前述のとおり、ムウは「友達」の定義についてエスに「何かに利用とかじゃない」と言う。
実際、ハルカは不器用で、知識があったり、人を騙すのが得意というわけでも恐らく無い人物で、ムウがハルカを利用しようとしたところで自分の靴紐も結べないハルカが何の役に立つかというと特に思いつかない。囚人同士で自分達の罪を把握し合っている様子はコトコ以外に見られないため、ムウがハルカの殺人の詳細は知らないと仮定すると、他の囚人から「虫も殺せない」と思われているハルカに物騒な事をさせようとしてるとも思えない。
ハルカ自身も自分も「人を不幸にする事だけは得意」と言っており、なにか人に喜ばれ、成功体験を積めるような特技やスキルを持っている様子が見られない。二審でもムウについて話す際には「ダメな僕を見てくれる」と発言しているため、何か具体的にムウの役に立つ行いができるようになったという訳でも無いと考えられる。
 というか、これまでハルカがムウに「死にます」以外で何かしてくれている描写というのが、私の見る限り特に見当たらない。
逆に、ムウがハルカに「与えている」描写はある。ヘアピンの他、衣服もムウが選んで施したものらしい。ムウがハルカを使うどころか、ムウがハルカを気遣ってご飯を持ってきてくれている場面すらある。学校の友達にも、ハルカにヘアピンをあげたようにムウは余りもののリップをあげている。自分の施しによってハルカが喜んでるのを良しとし、LINEメッセージの文面はやや人を選ぶものの友達が喜んでくれて「うれしい」のスタンプを送っている。

『アフターペイン』MVより

 こう見るとムウは割と「与える」事が好き、またはそれを自分の役割だと思っているのではないか。裕福な生まれの彼女が教育の過程でノブレスオブリージュ的な価値観を身に付けていても不思議ではない。例えそういった教育を受けていないとしても、周囲が喜んでくれるため、ムウの中では周囲が望む物を与える事は順調な人間関係と言える。
ではなぜ「友達」やハルカなどの周囲の人間がムウに尽くすような形で友人関係が形成されるのか。
それは「友達」やハルカがムウから享受できるメリット(高級コスメなどのお下がり、お母さんらしい振る舞い)を求めて、ムウに尽くしたがっているから。
『悪くないもん』のMV描写から見て、この役割はムウにとって緑色の蜜のように自尊心を充たしてくれるものであったに違いない。
このように自分を否定せず、勝手に尽くしてくれる友達との友人関係を築き続けた結果として、「したい事をさせてあげる(相手を否定しない)のが友達」という価値観が形成されても不思議ではない。
『アフターペイン』での「こんなにも私はいらない」「乾いちゃってどうしたら」という歌詞は、「友達」からの奉仕が途絶え、自身の「尽くさせてあげる」役割を求められなくなった事による自尊心の喪失を指しているのかも。

 エスは「ハルカに得があるように思えない」と言っているが、私にはどちらかというとムウの与える姿の方が目につき、「ハルカをそばに置くことでムウにエスの考えるような利益があるように思えない」と感じる。
つまり、ムウにとってハルカは心理的な充足をくれる存在である。

「ハルカくんはとっても優しいんだよ。何言っても許してくれるし、言う事きいてくれるし」

そもそも、ムウは本人が言うように、またエスが指摘するように「こうして」「ああして」などのお願いや命令を基本的にしない。ムウにとって自分が中心人物である自覚はあり、それに快感を感じてはいるものの彼女のために周囲が行う奉仕は、先に述べたように周囲がムウの望んだ状況を勝手に達成してくれているものである。
という事は、この場合の「言う事」とは、お願いや命令のことを指しているわけではない。

1番初めの尋問でも、ムウは「お前にとって友人とはどんな存在だ?」と聞かれ、「夢羽の言うことをちゃんと聞いてくれる人」と答えている。
「言うことを聞いてくれる」という言葉が「命令を聞いてくれる」という意味でないとすれば、「話を聞いてくれる」という意味だと考えてみてはどうか。

『アフターペイン』では「ごめんなさいが届かないよ」と言う歌詞が登場する。何度も繰り返されていることから、これはムウの強い望みを表したものと見てよいだろう。
「ごめんなさいが届かない」は
「許してもらえない」
「謝罪を受け入れてもらえない」
「話を聞いてもらえない」
と言う状況を表していると言える。
砂(油?)時計に閉じ込められ、ムウが何度ガラスを叩いても同級生達には言葉が届いていない描写からしても、ムウは訴えを聞き入れてもらえない事を悲しんでいる。

この事と、ムウがお願いや命令はしないという事実、またハルカが奴隷や召使的に「使える」事をムウが期待しているとは推測し難い事実。
これらを合わせて考えるに、「言うことをちゃんと聞いてくれる人」が友達であり、ハルカについて「何言っても許してくれるし、なんでも言うこと聞いてくれるし」と言っているのは実際のところ「ムウが何を言っても否定せず、受け入れてくれる事」を指しているのでは。理解のあるハルカくん
 つまり「都合よく動いてくれる」などの実利的なメリットは副次的なものであり、それより先に「否定しないで、許してくれる居心地の良い存在」であるというのがムウの友達の条件ではないかと考えられる。

ムウにとっては「否定しない」ことが友達としての役割。
その内容が例えば「いじめ」などでもそれは変わらない。ムウが気に入らないと思った子を周りの子がいじめたとしても、ムウにとっては「したい事をさせてあげる」のが友達なので止めない。しかも、自分の気に入らない子が制裁を受けているのだから気分が良い。
「させてあげる」事によって自尊心が満ち、さらに自動的に自分の都合のいい子だけが残っていく。こういった学校の友達による、ムウのためのいじめ行為などの奉仕は、『悪くないもん』の中で「友達」がムウに緑色の蜜を捧げる様子として描かれている。

『悪くないもん』MVより

 ムウのステータスにあやかりたいので、周囲の子も積極的にムウの役に立とうと、ムウの気に入らない子へのいじめを行う。ムウは生まれつき裕福なので、恐らく学校などでもある程度固定されたお金持ち同士のコミュニティの人々と一緒に進学していて、彼女への周囲の扱いや接し方はずっとそのようなものであったと推測できる。

 ステータスを目当てに寄ってくる人間しかいなかったムウの「友達」の定義は、こうして対象との認識の相互一致を欠いた事実と共に固定されることになる。
実際、今のムウが友達だと思っているハルカもムウの事を友達ではなく「お母さん」だと思っている。
ムウは学校の「友達」とハルカ、そのどちらにもある意味欲求を満たすために消費されている事に気付いていない。
だからこそ「変わらない」「偽女王」なのかも。

ムウの地雷

ムウは「友達選びは失敗した」と発言している。
その失敗を踏まえて「ムウが何を言っても許してくれるし、何でも言う事きいてくれる」ハルカを共依存するほどの友達に選んだという事は、裏を返せば、「ムウを許さない事、否定する事、謝罪を受け入れない事」が彼女の地雷である。
つまり、これが彼女の殺人の理由に大きく関わっている可能性がある。

ムウの謝罪

 前述した通り、アフターペイン内の歌詞では、「ごめんなさいが届かないよ」と謝罪の言葉が届かないことを何度も主張している。

また、ムウは2審ボイスドラマでエスにいじめられた原因を問われて腹を立てた際、直前までぷりぷりと怒っていたにも関わらず「申し訳ない」という言葉ひとつで「反省してるなら許してあげるけど」とあっさり許している。
このやりとりと「ごめんの魔法はきっと聞き飽きちゃったんだね」という歌詞、またムウの友達の条件「言う事をちゃんと聞いてくれる=話をちゃんと聞いてくれる」を結び付けて考えると、どんな諍いが起きても相手が謝罪をすれば受けてれて許す、「ごめん」「いいよ」がムウの中のルールだったのではないか。

『悪くないもん』MVより

ムウの周りにはムウの機嫌を損ねないように、ムウの事を否定する子は恐らくいなかったと考えられる。だから、ムウが何をしても「ごめんごめん」と口にさえすれば周囲はそれ以上責めたりしなかった。このような環境によって、そういったルールをムウの人間関係の認知に植え付けられていたことも想像がつく。

 謝罪を相手に受け入れられなかったのは、ムウの中のルールではあり得ない裏切りだった。状況も手伝ってムウの頭は「ごめんなさいが届かないよ」とバグり、これは謝罪相手を殺すに至った要因の一つとして挙げられる。

主体性の無さ

 ムウは周りに「尽くさせてあげる」という姿勢で生きてきており、何か欲求や願望があった際に自ら行動したり何かを達成する機会は少なかったと思われる。
そのため、自ら○○を体験したい、○○を作りたい、○○をしなければ、等の主体性に欠けている事が考えられる。
それは第一審で、看守にすがる様子からも現れている。「どうすればいいの?」「ムウ何でもするよ!」自分で考えて行動する事が出来ないから。一審時点の尋問では自分の将来についても考えていない様子で、自分が何をしたいかも見つかっていない。二審では「モデル」という回答が出たが、母に倣っているだけとも考えられる。

罪悪感と責任感


主体性を獲得できず育ったムウは、常に行動の要因が他人にあり、また周りが勝手に全てを行なってくれるため「責任能力」も欠けている。

しかし自分で行動せず他人任せにするという事には、ある程度デメリットも伴う。

以下はMVやボイスドラマに一切ソースの無い妄想話
「常に『尽くさせてあげる』事で想定されるデメリットとは?」
「責任能力が無いとどう考えるか?」を合わせて考えてみる

例えば、ムウがかけっこに出る。ムウは恥をかきたくないと思っている。ムウの周囲の人間は、ムウが何も言っていなくてもムウに恥をかかせない為にムウ以外の出場者を脅したりして、ムウを一位にする。
すると、ムウ以外の出場者が「ムウたちに脅された」とかけっこ委員会に訴え始める。
ムウの周囲の人間は、「ムウのために」あるいは「ムウに望まれてやった」と主張する。すると、脅し行為がムウのせいになる。

ムウは「習い事を沢山やっていた」と言っていたし、人生のいくつかの場面においてこのような事態の発生はあり得ないことではない。
上記の例のように、自分を中心にしているにも関わらず具体的な指示をせず、他者に行動を任せる事には、自分でも意図しない結果を生み出す可能性というデメリットがある。この場合はムウへの責任の要求である。
このような事が起こった場合、ムウにいくらかの責任能力があれば、起こってしまった事への罪悪感自責の念となり、ムウはムウの周囲の人間を止めなかった自分の非を、その正当性はどうあれわずかでも認められたかもしれない。
しかしムウには責任能力が無いため、それができない。行き場のない罪悪感責任転嫁によって処理するしかない。
そして、それが積み重なれば自分自身について「私はいつも可哀そうだ。」「私はいつも悪くない」という認識になるかもしれない。

ムウの他責思考は『悪くないもん』の歌詞に存分に表れているが、『アフターペイン』での
「私が消えればよかったの」「特別意味は無いの」「はずれを引いたの」
という歌詞からも読み取れる。
これらの歌詞からはムウは「自分は相手にただ存在することを許されないからいじめられている」「自分の行いとは関係ない」「自分を許してくれないハズレの友達を選んだからこうなったのだ」と考えており、自分の言動にいじめの要因があるとは思っていないことがわかる。
卑屈な歌詞に見えて、実はこの時点で「悪くないもん」と同じことを言っているのである。

一旦ここまでのまとめ

ムウの裕福な生まれと恵まれた容姿は、奉仕という形でムウを利用する友人だけを寄り付かせ、その結果ムウは主体性と責任能力の欠けた人間に育ち、罪悪感を感じた際に責任転嫁によってしか処理できず「悪くないもん」「私はいつも可哀そう」という考え方をするようになった。

嘘は基本的には言ってない

 LINEのトーク画面からして、正直すぎるほど素直な性格である。ということは計画的に人を騙したりするのにも向いてない。尋問でも恐らくほぼ嘘はついていない。嘘の部分を挙げるならば、いじめの原因を聞かれて「わかんないよ」と答えたところくらい(本当は心当たりがあった)では

 またいじめの原因を隠していたが、すぐにボロが出ている。核心をつかれて目に見えて焦り始める。言い訳ができないので「看守さん嫌い」としか返せない。
ムウが言い訳や咄嗟の誤魔化しができないのは、ムウがいつもありのままで上手くいくから。泥臭い根回しや理由は必要なく、「あの子嫌い」と言えば周りが虐めてくれるし「怖い」と言えば誰かが原因を取り除いてくれる。
ハルカとムウの発言の矛盾にもそれが見て取れる。実際にハルカにどのように話したのかはわからないが、恐らく「ミルグラムの雰囲気良くないね」とか言っただけでも、ムウはミルグラムを居心地良く感じているのに、ハルカが「ムウさんが怯えている、何とかしなければ」と行動してくれる。

(ただ、ムウが快適に過ごせる状況はムウに需要を感じている人物がいなくては成り立たない。そのため、常に正直な態度で他者への配慮という点ではあまり気を遣っている様子が見られないものの、他者が自分の要求や言葉を「肯定してくれそうか、してくれなさそうか」「いけるか、いけないか」等には敏感なところがある。

これはあえてハルカを選んで近付いたり、ユノの冷たい態度に不快感を示している事からも伺える。)

・Q.復讐の下りは言い訳、屁理屈では?
一通り喋ったあと、「ムウ悪くないってわかったから」と言っているので、自分を納得させるために喋ってる面が強いと思う。言い訳しようとしてるというより、実際にそういう正当化の思考回路をしている。
・「あたしがいけない子だったらどうしよ」←「嘘がバレたらどうしよう」ではない。この不安がよぎるという事は基本的に自分のやる事は正しいと信じている。自分がいい子で正しいと信じているので、嘘をつく必要がない。

これらのことから、ムウの言ってることは主観にはまみれてるけど極一部を除いて本当だと思う。
尋問で答えた内容も、本人の認識の範囲ならある程度参考になる。

幼さ

ムウの話し方は、16歳にしては幼すぎるように感じる。
恥ずかしながら香里さんの他のキャラクターを存じ上げないけど、少なくとも役者本人の話し方を見るに、ムウの話し方は極端に幼く表現されていると感じる。
ムウのセリフ自体からも時々語彙力の乏しさや、幼児性を感じる箇所がある。
甘やかされて育った結果ともとれるが、後述する要素からこれがキャラメイクにおいて意図を持っている可能性がある。

オマージュ元

 ムウのMVや歌詞のところどころの表現には明確なオマージュ元がある。私はたつびさんのnoteを見て知りました。
TVドラマ「人間・失格―たとえば僕が死んだら

↑の、小説版。野島伸二著、幻冬舎、1997年。
これを基にみきとPの「少女レイ」が作られ、ミルグラムではそこからムウに殺された「レイ」の名前を取っています。
私はこれを小説版で読んでみました。
あらすじとしては、
・お金持ちの男子が通う学校に、一般家庭の男の子が編入
・ルカという生徒と仲良くなる
・ルカを主犯とした男子生徒グループにいじめられて自殺する
・男の子の父親がいじめた人間たちに復讐する
こんな感じです(超ざっくり)

この小説の中からオマージュっぽいと思ったところを以下の文では時々書いていきます。
小説を読むのが超苦手だから拾いきれてないところも沢山あると思う。 

時系列

私は事の顛末を大体

屋上でのいじめ→レイへのいじめ→ムウへのいじめ→レイ殺害→アフターペイン冒頭

の順番に起きていると考えています。

MV読解を交えて理由を書いていきます

屋上でのいじめ→レイへのいじめ

レイをいじめる理由が、屋上でのいじめが原因だと読み取れるから。

『悪くないもん』MVより

人間・失格にはいじめを証言しようとした男子を「裏切者」としていじめ、証言をさせないようにする描写がある。
「裏切者がどうなるかわかっていただろう」的なセリフもある。

これはまんま、レイに振り向く虫ムウたちの場面の歌詞に採用されている。

これを結び付けて考えると、告発されることを恐れ、ムウの友達がレイをいじめ始めたことがわかる。

レイへのいじめ→ムウへのいじめ

二審MV冒頭で、レイがアフターペインで出てきた油時計をひっくり返す。
これは、単純に時系列を戻しているのではなくムウが底にいた状態をひっくり返す=ムウがいじめる側にいた状態に戻す、という意味

油時計はムウの立場やコトコに言われてる巡るクイーンゲームを表しているのでは?と思っている。『アフターペイン』最後ではレイの殺害と同時に崩壊し、同級生がドン引きしている…

図解

ただ、羽化してから飛び立つ時の描写が砂時計の上側から飛び立ってるんだよな…

二審MVの最後では、レイが冒頭とは逆の向きで油時計を掴む。この後油時計をひっくり返し、油時計をアフターペインの状態にする=何らかの方法でレイによって立場が逆転し、ムウがいじめられるようになるという事なのでは。
(またはムウがそう認識している)

図解


また、レイをいじめている時のムウはセーターを着ておらず、クラスのカレンダーは春。
ムウはいじめられている時はずっとセーターを着ている
これはレイへのいじめ時期→ムウへのいじめ時期の時間の経過を示している。

ムウへのいじめ→レイ殺害

『アフターペイン』MVより

ムウは『アフターペイン』中で、上履きのまま校舎を飛び出してレイを追いかける。
人間・失格では、いじめられた男子の余裕のなさを、上履きのまま校舎を飛び出す描写で表現されている。
MVがこれを踏襲しているならば、レイの殺害はムウがいじめによって追い詰められて校舎を飛び出した後に続く出来事だと受け取る事が出来る。

ムウがレイを追いかけたのは、立場が逆転するきっかけとなったレイに謝って、いじめを止めてもらう為?

『アフターペイン』MVより

この場面で、油時計は横たわっている。ムウとレイが対等になるチャンスを表している、もしくはムウとレイが対等であることを示しているのかも。
しかし、アフターペイン冒頭のように、油時計は横たわっていては安定せず、転がって崩壊する

『アフターペイン』MVより

ムウはレイに縋って謝る。おそらく「謝るから許して」とかなんとか…(少し前の見出しで書いたとおり、ムウの殺人に「謝罪が受け入れられなかった事」が関係しているのではと推測できるため。)

しかしレイに突っぱねられる。

『アフターペイン』MVより

アフターペインではこの直後ムウがレイを刺しているように見えるが、レイの体の向きが変わっている事や、直前のムウの手にはカッターが握られていない事から、実際にはムウの謝罪からレイの殺害までしばらく間があったと考えられる。
おそらく、2審ボイストレーラーの台詞がこの際のやり取り。
「ねえ、なんで言う事きいてくれないの?私が言ってるんだよ?ねえ、ねえってば!」
ここで二人はしばらくもみ合いになるか激しい口論をする。ムウの上履きも脱げる。
脱げた上履きは人間・失格の表紙絵のオマージュも兼ねている気がする。

ちなみにこの表紙絵は内容を読んでから見るとスゲーとなる

レイはムウを許さなかった。
前述したとおり、ムウは「ごめん」を言って通用しなかったことがないため、ムウにとってこれは酷い裏切りに感じられる。

『悪くないもん』MVより

人間・失格には、いじめっ子グループの一人が人を死に追いやってしまった罪によって精神的に追い詰められ、コンパスで家庭教師の腹をめった刺しにしている場面がある。この場面は小説の終盤での出来事であり、人を死なせた罪を受け入れられない者の末路の一つとしてその狂気が印象的に書かれている。

血がにじんでいるシャツ、べっとりとついた返り血などの描写が悪くないもんのラスサビ前に似ている。
これがオマージュだとしたら、ムウは一度ではなく何度もレイをめった刺しにしたかもしれない。
あなたが悪いんだよ、私に酷いことするから

レイ殺害後(アフターペイン冒頭)

『アフターペイン』MVより

 アフターペインの冒頭で、ムウは突っ伏している教卓から目覚める。
これは、人間・失格でいじめの主犯格であった少年・留加が自殺した生徒を想い、彼の席で眠っていた場面を思い起こさせる。
つまり、この場面ではムウは自分もいじめられたとはいえ、いじめた挙句殺したレイの事を考えているのかも。
黒板の字の中には「少年院に行ってほしい」「犯罪者」などと書かれている。
これらの悪口から、この場面が事件後の出来事であると考えられる。
これが事後の場面ならムウはなぜ法の裁きを受けなかったのか、「親の七光りちゃん」という言葉から、それは親の権力でもみ消したのではないかと推測できる。

地主というのが警察すら丸め込める権力を持ってるかどうかはわからないが権力で殺しをもみ消す人物にもう一人心当たりがある。
コトコ殺人の被害者である。

コトコに目付けられてる?

『HARROW』MVより

2月に発売されたミルグラムのイヤホンには、コトコがムウに言及するボイスが入っている。
クスノキムウ、実害がない間は見逃してやる
他に言及されている囚人のフータ、ミコト、カズイはミルグラムのストーリーの展開上、関連するキャラクターばかりなので「どうしてムウを目の敵にするようなセリフが?」という疑問が湧く。
もしレイ殺害後のムウの親による罪の揉み消しがあったなら、それを察したコトコがコトコの殺害相手とムウを権力を盾にし、法で裁かれ損ねた社会的強者の犯罪者として重ねて見ている可能性がある。
今見ると『HARROW』の歌詞の中の強者を非難する部分に『悪くないもん』の歌詞と共通するフレーズが多いような気がする

ごめんでおあいこ?何を願ってんの?
どれだけ勝ってきたんですか?

ムウたまに聴かせられない…

もし一審でムウが赦されていなかったら、コトコはムウを徹底的にボコボコにしたのかな?

いや他の囚人のボイスにも「なんでこのキャラがこのキャラの話してるんだろ」みたいなセリフは全然フツーにあるので考えすぎかも

幼児退行説

黒板に書かれた「ムウ悪くないもん」の文字。
ここではムウの一人称が「ムウ」ということになっている。
ミルグラムでもムウは自分を「ムウ」と言っている。
しかし、ムウがレイを殺した際の音声であろうと思われるボイストレーラーでは、どちらもムウの一人称は「
「ねえ、なんで言う事きいてくれないの?私が言ってるんだよ?ねえ、ねえってば!」
あなたが悪いんだよ、私に酷いことするから
なぜ一人称が変わっているのか、その答えとしては、ムウの幼児退行説があげられる。

人間・失格のいじめ主犯格の少年・留加は、いじめた男子の自殺後、苦しみに耐えられず精神が幼児退行して記憶を失う。

前述したムウの言動の幼さと合わせて考えると、一人称の違いはムウの幼児退行を示している可能性がある。

もともと甘やかされた性格ではあったものの、罪を犯した事による罪悪感を処理できず幼児退行した。さらに、ムウはミルグラムで赦されてしまった。赦しは罪を自覚している者にとって時により罪悪感を大きくするが、ムウにはそれが処理できず、壊れた心への負荷はさらに増し、自らの非を認められない方向に舵を切ったまま頑なになってしまう。二審では加速した心の壊れ具合が、より強調された幼児性となって表れているのでは。

『悪くないもん』MVより

『悪くないもん』MVでレイを殺した後上を向いて叫ぶ場面、このシーンは映像を見ているとその苛烈で迫真な表情に印象を奪われるが、目を閉じて聴いてみるとその声はまさに幼児が駄々をこねている時のようである事に気がつく。

また『アフターペイン』『悪くないもん』の基本一人称は「私」であるが、「あたしがいけない子だったらどうしよ」の部分だけ「あたし」となっている。
ボイスドラマなどの基本一人称が「ムウ」であり、歌詞では基本が「」であることを考えると、歌詞でのイレギュラーな一人称の「あたし」はボイスドラマ、ボイストレーラーの中で言えば同じくイレギュラーな一人称である「」と同格の表現にあたるのではないかと推測される。
つまり、「あたしがいけない子だったらどうしよ」では、幼児退行する前のムウの一人称によって、ムウが目を背け忘れている罪悪感を表現していると考えられる。

ムウの中で密かに増幅した罪悪感は、心象風景でのムウが害虫のような虫の姿をしている事からも読み取れる。

ここまで言っておいてだけど『アフターペイン』MV冒頭がレイ殺害後であるとすると、ボイスドラマのムウの「やっちゃった後しばらく記憶がなくて、気がついたらここにいた」という発言と矛盾する。心象風景に覚えてない事は映らないはずだから
ショックで記憶が混濁している事にすれば…ギリいけるのか?(いけるとかじゃないだろ)
『アフターペイン』でも実際はレイがいなかった場面でレイがいたように想起している場面が明らかにあるので(トイレのところ)ギリいけるかも

MV描写の色々

緑色の蜜の意味

 緑色の蜜は、『悪くないもん』ではわかりやすくムウの気分を満たすものとして描かれている。
しかし、『アフターペイン』ではムウを苦しめるいじめの道具と共にムウに降り注いでいる。緑色の蜜がムウに快楽だけをもたらすものであるならば、この描写は矛盾している。
二つの場面から、緑色の蜜が共通して表現しているものを考えると、これはムウの「自意識」を表現しているのではないかと思う。

二つのMVの中で、蜜は4つの場面で登場する。

1、『悪くないもん』でムウに捧げられる蜜

『悪くないもん』MVより

『悪くないもん』のMVで虫のムウは主に「友達」に奉仕させ、自尊心を満たしていた。ムウが緑色の蜜を食べると、頭上の蛹?が輝く。

2、『アフターペイン』の油(砂?)時計

『アフターペイン』MVより

『アフターペイン』ではムウへのいじめが「私は可哀そうだ」という被害者意識をムウの上に降り積もらせる

3、レイの血

『アフターペイン』MVより

レイを刺殺する場面では、レイの出血が大量の蜜として表現されている。レイを殺したこと、もしくはレイが出血する光景がムウにとって心理的に刺激を与える事であったことがわかる。ムウは二つのMVのレイを殺すシーンどちらでも追い詰められた表情をしているので、この場合、この刺激は「自分が人を(もしくはレイを)殺してしまった事へのショック」だと思う

4、ムウの羽化

『悪くないもん』MVより

『悪くないもん』MVでムウがレイを刺し殺すと虫のムウが蛹に貯めていた大量の蜜を浴びて羽化する。蛹には「友達」からの貢物の蜜、いじめによる被害者意識の蜜、レイの刺殺によって大量に増えた蜜が入っている。『悪くないもん』が一審の判決によるムウの心象を表している事から、看守の「赦す」という判決で拡大された罪悪感もこの蜜の量をいっそう増していると考えられる。二審のMVラスサビでは、ムウは看守の「赦す」という判決によって、「奉仕の蜜」「被害者意識の蜜」「人殺しへのショックの蜜」を集めて育った、主体性のない器を持った自意識の化け物が、「私は悪くない!」「私は可哀そうなんだから!」と叫びながら羽化する様子が描かれていると言える。

机の脚を掴む

『アンダーカバー』MVより

アンダーカバーでは、ムウらしき少女が机の脚を掴んでいる。
時系列の項目で図説したように、レイがムウの立場のメタファーとしての油時計をひっくり返す為に掴む描写=机の脚を握る描写のように描かれている。

油時計をひっくり返す=立場を変えようとするなので、机の脚を握る描写=立場や形勢を変化させる合図だとすれば、アンダーカバーでのカットは実際にムウがレイを上履きのまま追いかけようとする直前の様子なのかも。

ムウとレイの関係

結構前の小見出しで「ムウは相手が自分を許してくれなかった為に殺害し、その失敗を踏まえてハルカを選んだ」と書いた。
それを更に裏返すと、「殺した相手も以前の友達だった」と言えなくもない。
ムウとレイが深い関係を築いていたという考察をしている方々がフォロワー達に既にいるので、その件の細かい部分に関しては他の方々のnoteを参照。(リンク張ると通知が行ってしまうようなので言及しておいて申し訳ないのですが控えます。)

こちらの考察を参考に、私の考察にムウとレイの仲が良かった期間をねじ込むなら屋上のいじめをレイに目撃されるまでの間、レイへのいじめが始まる以前の期間しかない。

その場合発生する疑問点
・ムウとレイが仲が良かった期間があるとするなら、ムウがレイをいじめるのはおかしくないか?
→ムウのいじめはムウの「友達」が勝手にやってしまうことであり、ムウはそれを指示したりはしない。
また、ムウにとって「したいようにさせる」というのが普通だったため、止め方がわからないかもしれない。
「人間・失格」でのいじめの主犯格である留加にも、主人公への加害行為の全貌を把握しきれていない描写がある。
もしムウがいじめを止めようとしたにしても、彼女たちのコミュニティの中では告発や裏切りは次のいじめの対象となるため、それがきっかけでムウがいじめられるようになった可能性すらある。

レイがいじめられているのが教室のカレンダーから見るに既に春だったため、ムウとレイの仲が良かったかもしれない期間がとても短いという事になる、という点がひっかかるが、私の考えた時系列にレイとムウの友情を前提に置いても特に矛盾はしない…はず…

これを加味した上でさっき考えた時系列に付け加えるなら

春のはじめにムウとレイが仲良くなる

レイと仲良くしつつ、友達といじめをする

レイにいじめを目撃される

友達がレイをいじめる

ムウが止めようとするか、レイに告発されてムウに責任転嫁されるかして、ムウがいじめられるようになる

ムウがレイに謝罪し、縋って助けを求めるがレイに突っぱねられて殺害

アフペ冒頭

こんな感じか?

この時点で発生する疑問点
・アフターペイン冒頭について:流石にいじめで追い詰められて人を殺したような子をさらにいじめるような事(黒板の落書き)はしなくない?
しかも親の権力で殺しを揉み消せるような…
↑これ本当に思うんだけど、人間・失格読むと「この教室ならやるかもな…」とやや思えてくる
黒板に書いてあるムウへの悪口がリアリティあるから、あれ自体は一応ムウの妄想とかではないと考えているんだけど…まあ主観
根拠はありません。

・ムウ裁判のテーマは?
オマージュ元からしても、ムウの殺人のテーマは「復讐の殺人」ではないかと思ってたんだけど、私の解釈だとかなり「認知の歪んだ人が地雷踏まれた結果」だけみたいになってしまう。
ムウ裁判でやりたいことはいじめの復讐ではなく、恵まれすぎた子供の審判と見ていいのかも。

その他わからない点

赤い砂

『悪くないもん』MVより

『悪くないもん』で羽化した虫ムウが飛び立った後の時計に残った赤い砂 なにこれ…
砂はムウが羽化した瞬間から、ムウがいじめっ子の立場にいた側の方から降り注ぐ。
つまり…
何…?
赤い砂は緑の油(蜜)と対照的な要素ではある
私は緑の蜜をムウの自意識として考察したため、もしこれの反対とするならムウの「他者意識」と言えるのか?
降り積もる他者意識を置いて飛び立つのは、自分を否定する事を許さない心をミルグラムの判決によって肯定され、完全に他人の否定を受け入れられなくなった歪な心のメタファー?
自分で言いながら微妙すぎる
ただ、二審のムウが他者の否定を心に留めていないのは事実ではある。投票で圧倒的多数に赦されなかったため、その声もムウには届いているはずだけど全然気にしてる様子はない

赤い砂が虫ムウの玉座の空間から降り注いでいるのも謎。
断定できるソースが何もないけど、『アフターペイン』と照らし合わせるとこれはムウが殺人を行ったのを同級生が周りで囲って噂している様子と同じ事を表している?うーん
わかんないな…

今会いたい友達とは?

これ誰の事を言ってるんだ?
私は人間・失格の幼児退行描写を見るまで、『アフターペイン』の冒頭悪口黒板シーンをムウがレイによる逆転でいじめられている次期の場面だとムウが思っているとすると、いじめの原因になったレイを消したから昔の友達が戻ってくると思ってるのかな?
それとも幼児退行による記憶の喪失が進行してる?

夏の間には何かあったのか?

MVには春と秋以降の描写しかなく、夏の時期がすっぽり抜けている。
単純にブレザーを着ている季節でなければ、アフターペインでの最後のカットがムウがいじめられていた時期より前の事だとすぐにバレてしまうため、いじめを行なっていた時期を春に設定する必要があり、春と秋以降のみの描写に限られた可能性があるが、

・元ネタの一つである「少女レイ」は夏を舞台にした曲である
・ムウの囚人服の下に着ている服、また靴などが夏らしい装いである。
・「人間・失格」の留加は幼児退行とともに記憶を失っており、ムウがそれを踏襲しているなら記憶を失っていて心象風景に映らなくなっている時期があってもおかしくない。

以上の点から、夏に何かが起こっていた可能性も否めない。
何が起こったかは不明。

本日のまとめ

整理しても全然わからない事多かった。あっちの穴を塞げばこっちの穴が…

逆に人物像の方はだいぶ固まってますね。

・ムウは自分で行動できない
・ムウは責任能力が無い
・他人任せにしているため、その行動や結果は制御できるとは限らない
・他人の否定を受け入れられない
・罪を赦された事で他人の否定を完全に受け入れられなくなる
・同時に赦された事で罪悪感が加速
・自責で罪悪感を処理できないので責任転嫁が加速
・罪悪感の加速によって幼児性も加速
・心が壊れ自意識の化け物が爆誕

あとこれだとムウって赦しても赦さなくても壊れるんじゃ?と思った。まあそれはみんなそうなのかも既に人殺しなわけだし。
いや仮に一審で赦されなかったらまだ否定を受け入れられる余地はあったのかな?初見殺しすぎるんだけど…

ムウを見てるとちょっとは時々否定してくれるけど一緒にいてくれる友達なんかも人間性を保つ為には必要なのかもな…と思えてきますね。意見の否定=嫌いになる事ではないので、そこのところは人間関係において気をつけよう!今日は大事なことを学んだね(サウスパークの〆)

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