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テーマ 「子供のころのわたし」

自分の子供のころを、小学校までを幼少期、高校卒業までを少年期(思春期)とに定義すると、幼少期は昭和の末期、以降は平成初期のころとなる。
自分としては、まだ思春期真っ只中と思っている。
今回の10分トークのテーマでは、幼少期について話そうと思う。

とは言いつつも、幼稚園のときの記憶があまり無いが、唯一覚えていることがある。

わたしが通っていた幼稚園は、同じ町内にあるのだが、当時の自宅から5~6km離れていたところにあった。
毎朝、母とローカルバスで通っていた。
通っていた幼稚園は、園独自のバスは持っていなかった。
帰りも、必然的にローカルバスで帰ることになる。
母は働いていたため、帰りは一人でバスに乗ることになる。
一人でと言っても、同じ方面に帰る幼稚園の友達もいたので、まったくの一人きりということではなかった。

初めてバスで帰る日、流石に幼稚園の先生がバスに同乗した。
どの子がどこの停留所で降りるか確認していたと思う。
降りる停留所には、祖母が迎えに来ることになっていたようだ。

いよいよ、先生とほかの友達数人とローカルバスに乗った。

しばらくして、バスはわたしが降りる停留所に着いた。
同乗していた幼稚園の先生が降りる子供の数を数えると、一人足らない。
わたしがいないことに気づき、青ざめたであろう。
「え、こんちゃんくんがいない!」

祖母はあわてて自宅に帰り、母の職場に電話したらしい。
「こんちゃんが降りでこね!」

そこから、わたしの大捜索が始まったらしい。

当のわたしはというと、途中の停留所で降りたらしい。
その停留所で降りる友達が多かったようで、みんなと一緒に降りてしまったようだ。
同乗していた先生も、気づかなかったらしい。

降りてしまった停留所付近でみんなとバイバイし、さてこれから帰ろうとして、周りを見渡すと、ここで降りるんだよと言われていた停留所ではないことに気づき、どうすっかなと少し考えて、この道路をこっちの方向に歩いていけば、自分の家に着くと思ったらしい。
父と車でよく通っていた道路というのを覚えていたからか、いまの自分で考えても、よくわからない自信があった。
泣きもせず、むしろにこやかに歩いていたらしい。

降りてしまった停留所からすぐの、道路脇の工場のオバちゃんが、トボトボと、幼稚園の制服を着た小さな男の子が、一人で、なぜか笑顔で歩いているのを見つけた。
「なんだべ、一人?」「どごさいぐの?」とわたしに声をかけた。
「いまからお家に帰るの」とわたしが答える。
「え、おうちどご?」と、オバちゃんが聞いてくる。
「〇〇だよ」とわたしは答えたらしい。

オバちゃんは、〇〇って言ったら、ここから少なくとも4~5kmはあるんじゃないか。
小学生だったら、歩いて1~2時間かもしれないが、幼稚園児だったら、もっと時間がかかるだろう。

そう思ったオバちゃんは、「お菓子とおぢゃっこあげるがら、少し休んでいがい」と言って、工場の休憩所のようなところの和室に、わたしを連れてった。
わたしが、お菓子とジュースを飲んでいる間に、オバちゃんは幼稚園に電話したようだ。

しばらくすると、幼稚園の先生が、慌ててやってきた。
わたしはそこでも泣かずに、言われるがままに先生の車に乗り込んだ。

そして、10分後くらいに、ようやく祖母が待つ、本来降りるはずの停留所に着いた。
「ばあちゃん、ただいま!!」
「あ~、よぐ帰ってきたね。えがった~、ほんとにえがった~」

幼稚園からバスに乗って帰る初日に、わたしがやらかしたことでした。
幼稚園の先生方、ばあちゃんと両親など、ほうぼうに心配をかけてしまったと、だいぶ経ってから思いました。

このときから、なにかあっても、自分でなんとかしようとしてたのかな~と思います。
割りと、こうと決めたらこうと突き進む性格は、このころからあったんだな~と思います。
いまから45年くらい前の昭和の時代のお話でした。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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