#001 スーパーカラフルーイヌマニダイサクセンー

スムルースへの思いを書き連ねるマガジン、イヌマニダイサクセン。
第一回目の曲は、「スーパーカラフル」。


何度もライブで聴いた曲は、ふとライブの風景が頭に思い浮かぶ。
「スーパーカラフル」もそのひとつ。ギターが鳴って、アルペジオが踊り出して、ベースが追いかけて、ドラムがどんどん気持ちを盛り立てて……
その間、ボーカルの徳田さんは会場に何かを語りかけていたような。その間わたしはずっと、最高、最高、、と思っていたから内容はよく覚えていない。

この曲は勢いがあって、さわやかで明るくて、だけどちょっとだけ寂しさもあるというのがスムルースらしいところ。
彼らの曲は、どんな解釈をしても良いという、懐の深さを感じる。歌を聴かせるバンドだが、歌詞の中で答えを押し付けることは絶対にしない。もちろん人の数だけ答えはあるけれど、その1人1人を、そしてその答え1つ1つを、スムルース的に全部肯定してしまう魔法の言葉、それが「スーパーカラフル」だ。

歌詞を辿りながら、私のスーパーカラフル観について書いてみたい。まずは1番から。

僕らは必ず淋しくなった
誰かは不幸で誰かは報われて
「色とりどり」では語れやしない
スーパーカラフル 描く恋の百景

おんなじ人なんていない、それぞれの個性がこの世界をカラフルに彩っている。だけど、それが必ずしも、自分にとって誰かにとって幸せなものである、とは限らない。世界がカラフルなら、人1人をとっても、1色ではできていない。

Aメロは色でいうなら、灰色みたいな感じ。メロディは3音の中で揺れているし、ここから暗い歌にも明るい歌にもなれる歌詞。キラキラしたギターも同じフレーズを弾いている。ベースは絵の基礎になる背景を塗っているようだけど、まだその先は分からない。
“描く恋の百景”のところで階段を駆け上がるようにメロディが動いて、視点が上がる。

音速のスプリンクラー吹き散る
乾いた体にミネラルレインボー
ほぐれつちまつた悲しみに
今日も夢さへ吹きすぎる

“音速のスプリンクラー” “ミネラルレインボー”、一体何かと言われれば説明はできない。
徳田さんの歌詞は、わかりやすい言葉と、言葉遊びと、造語が入り混じる。表しているのは、言葉にならない感情であったり、いつか見た景色であったり、名前のついていない雰囲気だったりだと思う。意味があるようでない、ないようである、という遊び心が、聴いている人の想像力を掻き立てる。

軽快なテンポだけれど、ゆったりと揺れるメロディからはじまるBメロ。ベースが音楽を前に進めていて、インストはサビに向かって勢いを増して行く。

そして僕らは必ず淋しくなった
そしてそのうち忘れていった
何度も塗り重ねる スーパーカラフル
そして僕らは必ず傷ついていった
そしてそのうち馴染んでいった
未完成を重ね続ける スーパーカラフル

色は重なるし、混ざり合う。時に濁る、時に塗りつぶされる。紙に絵の具を乗せて水を落とせば、どんどん広がっていく行くように、色の世界は終わりがない。そしていつまでたっても、その絵は完成しない。

スーパーカラフルとは、ひとりひとりの個性のこと。そしてひとりひとりの人生のこと、そしてこの世界のこと。
つまり、この歌は、スーパーカラフルのスーパーカラフル乗、という式から生まれる、果てしない可能性の歌。
壮大すぎてわからなくなってくるが、色とりどりという言葉では語りつくせないほどのときめきを私は感じる。

僕らは必ず優しくあった
何も気づかずで 何も見つけられずで

2番の最初は、ドラムとベースに歌が乗っかる。1番までで出来あがった絵を眺めていて、急にまた淋しさに気付いてしまう、みたいなシーン。
ここでいう優しさは、多分、戸惑い。

不揃いのジェリービーンズかき回す
目的なき恋 希望に満たして
はがれつちまつた悲しみに
今日も夢さえ吹きすぎる

『汚れっちまった悲しみに』からの借用は、孤独を歌いたかったからだと私は思う。
この世がスーパーカラフルであるということ、同じ色の人はいないということ。それは、いつまでたっても完全に人とわかりあえることはないということだ。
だけど、その孤独を、スムルースは置き去りにしない。最後まで聞いて欲しい。

Bメロの最後、ベースがブルンブルン(多分、スライドしたりトリルしたり?)なって、ドラムがどんどんクレシェンドしていって曲を次のページに向かう感じがドキドキする。

そして僕らは必ず淋しくなった
そしてそのうち忘れていった
何度も塗り重ねるスーパーカラフル
そして僕らは必ず迷っていった
そしてそのうち進んでいった
結末を探し続ける スーパーカラフル

2番のサビは、寂しくても迷っても立ち止まっても、進んでいく、という意志を感じる。
ここで、わかりあえなくとも、そうやってともに進んでいく仲間がいることに気付く。みんな孤独。だから、孤独だけど孤独じゃない。
言い聞かせかもしれない、だけど、スムルース の精一杯の浮かれ気分のラッピングに、私は愛を感じざるをえない。

ここから、曲調が変わるのがスムルースのニクいところで、シンセサイザーの宇宙を漂うような音が人を孤独に誘う。

そして僕らは必ず淋しくなった
そしてそのうち忘れていった
何度も塗り重ねる

果てしない空間にドラムが響いていく。どこか寂しげだけど優しい歌声は、どこか遠くから聞こえてくるよう。
そして、目を覚ますかのように次のサビに向かって行く。

ライブでは、この部分は、観客に歌ってと委ねる。この曲の一人称は「僕ら」。ここでも、独りじゃないというメッセージをスムルースは投げかける。

私は、この曲の“忘れていった”の意味がよくわからなかった。“淋しい”という感情から、なぜ忘れるという行為または現象につながるのだろう、と。

そして僕らは必ず淋しくなった
そしてそのうち忘れていった
何度も塗り重ねる スーパーカラフル
そして僕らは必ず傷ついていった
そしてそのうち馴染んでいった
未完成を重ね続ける スーパーカラフル

この曲に出会ってから10年近く経って、淋しさを忘れられる物事や人に出会う、というのも人生なのかなと思うようになった。

綺麗な色ばかりを集めるのが人生ではない。暗い色も、濁った色も、自然といろんな色を塗り重ねることになる。
ひとりひとりがたくさんの色を持っていると考えたら、その中の一色と、おんなじ色を持っている人がいるかもしれない。補色の関係みたいになれる人がいるかもしれない。
そんな人に出会えたとき、今まで嫌だった自分の色が全部許せるかもしれない。

スーパーカラフルだから、それができる。

だれかとくらべてとか、だれかとちがうからとか。そんなんじゃなくて、スーパーカラフルなあなたがいい。

スーパーカラフルな世界に幸あれ。

私がスムルースから受け取ったメッセージは、以上です。

久しぶりに、CDをゆっくり聴いたり、DVDを見たり、歌詞カードを読んだりした。忘れかけていたけれど、そんな時間の楽しさったらない。
何度も思ってきたことだけど、私はやっぱりスムルースが好きらしい。

今後もこんな感じで(もう少し軽いめがいいかもしれないけど)、スムルース語りを続けていこうと思っているので、よかったらお付き合いください。

さて、次の曲は、「リリックトリガー」です。

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