元日


地震です、の聞き慣れないアラームは無人の本屋さんで聞いた。狭い店内、本が落ちてくるかも。本棚に挟まれては困る。とりあえず扉を開けて外に出た。大地震が起きた時、外にいる時はどうしたらいいんだっけ。と考える暇はないのだった。

ミシミシと建物がきしむ音がする。立っていられなくなるのではとしゃがもうとするが、周りの人は平然としている。動画を撮ろうとスマホを構える人もいる。どうしてそんなに呑気でいられるんだろう。どんな揺れがくるのか知っているのだろうか。落ち着くことは必要だが、それともちがう、大事には至らないだろうという楽観に見えてしまう。

結局わたしがいた場所は、震度4ほどの揺れで、なにごともなく時間が過ぎた。だが、聞き慣れないアラームと共に揺れが来て収まるまでの時間は恐ろしく、いわば死を待つ時間かのように思えた。


ネットやテレビで被害の状況を少しずつ知ることになる。
震源地近くに住む友だちは大丈夫だろうか。遊びに行ったあの町は、親切にしてもらった人たちは、いまどんな思いで過ごしているのだろう。

何かが起きると襲われる自分の無力感。普段は忘れている自然への畏れ。人類は争う暇などないはずなのに。などと、あたたかい部屋から思うのだった。

友だちの無事は、本人のSNS投稿で確認することができたので、そっとスマホを閉じた。


どうか、無事で。誰もができるだけ、すこやかにおだやかにいてほしい。お願いの宛先はわからないけど、お願いします。どうか。

わたしの2024年の元日は、こんな感じだった。

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